「玉川研究所」の版間の差分
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昭和10年(1935年)6月1日、[[昭和神聖会]]は映画部を設置。東京の多摩川の河畔に作られた「玉川研究所」の開所式及び鎮座祭が執行された。副統管の[[出口宇知麿]]が臨席した。<ref name="B195402c5309">『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5309|創立一周年}}」</ref> <ref name="on">「[[大本年表]]」</ref> | 昭和10年(1935年)6月1日、[[昭和神聖会]]は映画部を設置。東京の多摩川の河畔に作られた「玉川研究所」の開所式及び鎮座祭が執行された。副統管の[[出口宇知麿]]が臨席した。<ref name="B195402c5309">『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5309|創立一周年}}」</ref> <ref name="on">「[[大本年表]]」</ref> | ||
部長に[[原真平]]、次長に[[中山勇次郎]] | 部長に[[原真平]]、次長に[[中山勇次郎]]が任命された<ref name="B195402c5309" />。映画部の中に、製作局、配給局、貿易局、経理局、研究局の5局が置かれた<ref>『[[戦前における右翼団体の状況]] 下巻 その一』101~102頁</ref> <ref>『[[人類愛善新聞]]』昭和10年(1935年)6月中旬号、3頁</ref>。 | ||
住所は世田谷区玉川町。地番は世田谷区660番地<ref>「{{obc|B195502c22052|総本部日記 昭和10年}}」6月1日の項。</ref>。→その具体的な場所について「[[トーク:玉川研究所]]」 | 住所は世田谷区玉川町。地番は世田谷区660番地<ref>「{{obc|B195502c22052|総本部日記 昭和10年}}」6月1日の項。</ref>。→その具体的な場所について「[[トーク:玉川研究所]]」 |