「入蒙記」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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→物語の詳細は「[[入蒙]]」
→物語の詳細は「[[入蒙]]」
== 篇章 ==
* 第1篇 [[日本より奉天まで]]
** {{rm|nm|1|水火訓}}
** {{rm|nm|2|神示の経綸}}
** {{rm|nm|3|金剛心}}
** {{rm|nm|4|微燈の影}}
** {{rm|nm|5|心の奥}}
** {{rm|nm|6|出征の辞}}
** {{rm|nm|7|奉天の夕}}
* [[第2篇 奉天より洮南へ]]
** {{rm|nm|8|聖雄と英雄}}
** {{rm|nm|9|司令公館}}
** {{rm|nm|10|奉天出発}}
** {{rm|nm|11|安宅の関}}
** {{rm|nm|12|焦頭爛額}}
** {{rm|nm|13|洮南旅館}}
** {{rm|nm|14|洮南の雲}}
* 第3篇 [[洮南より索倫へ]]
** {{rm|nm|15|公爺府入}}
** {{rm|nm|16|蒙古の人情}}
** {{rm|nm|17|明暗交々}}
** {{rm|nm|18|蒙古気質}}
** {{rm|nm|19|仮司令部}}
** {{rm|nm|20|春軍完備}}
** {{rm|nm|21|索倫本営}}
* 第4篇 [[神軍躍動]]
** {{rm|nm|22|木局収ケ原}}
** {{rm|nm|23|下木局子}}
** {{rm|nm|24|木局の月}}
** {{rm|nm|25|風雨叱咤}}
** {{rm|nm|26|天の安河}}
** {{rm|nm|27|奉天の渦}}
** {{rm|nm|28|行軍開始}}
** {{rm|nm|29|端午の日}}
** {{rm|nm|30|岩窟の奇兆}}
* 第5篇 [[雨後月明]]
** {{rm|nm|31|強行軍}}
** {{rm|nm|32|弾丸雨飛}}
** {{rm|nm|33|武装解除}}
** {{rm|nm|34|竜口の難}}
** {{rm|nm|35|黄泉帰}}
** {{rm|nm|36|天の岩戸}}
** {{rm|nm|37|大本天恩郷}}
** {{rm|nm|38|世界宗教聯合会}}
* {{rm09|nm|70|入蒙拾遺}}
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== 脚注 ==
== 脚注 ==

2025年4月4日 (金) 02:38時点における版

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入蒙記(にゅうもうき)は、出口王仁三郎の著書。霊界物語の特別篇。番外なので巻番号は無い。大正13年、王仁三郎が大陸へ渡り、蒙古を統一して宗教的王国を建設することを目指し、馬賊を率いて行軍した出来事を小説調で著した本。

出来事の詳細は「入蒙」に記す。本項では書籍としての「入蒙記」の情報を主に記す。

概要

  • 本書の前身は大正14年(1925年)2月に発刊された『王仁蒙古入記』(以下「入記」と略す)である。同書は霊界物語第67巻として著述されたものの、結局霊界物語としてではなく、外部の出版社(蚕都新聞社)から「上野公園」という仮名で発刊された。→詳細は「王仁蒙古入記
  • 入記を大幅に改訂したものが昭和10年(1935年)4月発刊の『出口王仁三郎全集 第六巻』に「入蒙記」として収録された。
  • 戦後、霊界物語に特別篇「入蒙記」として収録された。輯としては山河草木に属する。(もともと山河草木の第67巻として著述された)
  • 全集の入蒙記を底本として霊界物語の入蒙記が編纂されているため、両者は基本的に同じ文章である。しかし「入蒙余録」に相違点がある(後述)。
  • 入蒙記は普及版には収録されていない。最初に収録されたのは校定版である。
  • 入蒙記の巻末に「【附】入蒙余録」として数篇の短い文章が収められている。全集収録の入蒙記では次の5篇が収録されているが、戦後発行された霊界物語入蒙記(校定版・八幡版・愛世版いずれも)では最後の1篇「神示の世界経綸」が削除されている[1]。5篇とも入記には収録されていない。初出は機関誌『神の国』や『昭和』『神霊界』である。
    • 大本の経綸と満蒙:『神の国』昭和7年(1932年)3月号──同年2月4日みろく殿に於ける講演
    • 世界経綸の第一歩:『神の国』大正14年(1925年)1月25日号
    • 蒙古建国:『昭和』昭和7年(1932年)10月号
    • 蒙古の夢:『神の国』大正13年(1924年)12月10日号
    • 神示の世界経綸:『神霊界』大正7年(1918年)10月1日号──大正4年(1915年)12月15日稿
  • 入記は実名で記されているが、入蒙記では一部の人物が仮名で記されている。

あらすじ

第1~14章
大正13年(1924年)2月12日、源日出雄(出口王仁三郎)は白昼の空に上弦の月と太白星が輝くのを見て蒙古入りを決意。真澄別(松村真澄)、名田彦(名田音吉)、守高(植芝盛平)の3人の信者を連れて日本を出発する。
16日に奉天で、馬賊の大巨頭・盧占魁《ろ せんかい》と面会。「大本ラマ教」を創立して盧占魁を従えて蒙古に進むことに決め、3月3日奉天を出発して北へ向かう。
第15~30章
このたび日の出の国の大救世主が盧占魁を奉戴して蒙古救援軍を起こすというので、蒙古人は大いに喜び、続々と人が集まって来た。千人近い部隊となって庫倫《クーロン》(現モンゴルの首都ウランバートル)目指して行軍。5月中旬に索倫《そうろん》に到着。
武器弾薬が届くのを待つためしばらく索倫に滞在するが、東三省保安総司令の張作霖《ちょう さくりん》が盧占魁を討伐するという情報が入り、事態が悪化して行く。脱走者が増えて兵員が800人ほどになり、6月上旬には進路が南に変わって奉天方面へ引き返す。
第31~39章
6月21日、パインタラで王仁三郎一行は張作霖の軍に捕まり、盧占魁は銃殺されてしまう。王仁三郎たちも銃殺刑となり処刑場に並ばされるが、なぜか弾が出ない。王仁三郎は辞世の歌を7回も詠み、やがて銃殺刑は中止となった。
7月5日、日本の領事館に引き渡され、帰国の途に着く。
25日に船を降りて下関に上陸。27日に収監され98日間、監獄に入れられた後、11月1日に綾部に帰還した。
入蒙余録
巻末に「入蒙余録」として短文が5篇収録されている。その中の「蒙古建国」は三千人の馬賊を率いる女の頭目と出会ったことが歌にして綴られている。女頭目の父が大本開祖・出口直の次男・清吉ではないか…ということが歌われている。

→物語の詳細は「入蒙

篇章

脚注

  1. 推測だが、政治的に問題がある内容だと編者が判断したため削除されたのだと思われる。