「入蒙」の版間の差分
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3月8日午後9時30分、洮南駅に到着した。〔{{rm|nm|13|洮南旅館}}〕 | 3月8日午後9時30分、洮南駅に到着した。〔{{rm|nm|13|洮南旅館}}〕 | ||
== 洮南から下木局子へ == | |||
3月25日早朝、[[王仁三郎]]は[[岡崎鉄首]]、[[植芝盛平]]、[[老印君]]、通訳の王と3台の轎車に分乗して[[洮南]]を出発。副官の[[温長興]]が数名の兵士と共に騎馬で前後を守った。 | |||
3月26日午後6時頃、[[公爺府]]《コンエフ》の老印君の館に到着〔{{rm|nm|15|公爺府入}}〕。公爺府で盧占魁や武器の到着を待つことになる。 | |||
4月14日、[[盧占魁]]は西北自治軍総司令として200人の兵を率い、轎車に乗って公爺府に到着した。〔{{rm|nm|18|蒙古気質}}〕 | |||
4月15日、十連発のモーゼル銃や機関銃が洮南から発送されたという報告が来る。 | |||
4月20日、神勅によって王仁三郎には「那爾薩林喀斉拉額都《ナルザリンカチラオト》」、松村真澄には「伊忽薩林伯勒額羅斯《イボサリンポロオロス》」という蒙古人名が与えられた。〔{{rm|nm|19|仮司令部}}〕 | |||
4月24日午後、洮南から武器が届く。 | |||
4月25日午後、盧占魁は数十の騎兵と200の歩兵を率いて[[索倫山]]へ向かって公爺府を出発した。 | |||
翌26日、王仁三郎と松村真澄は2台の轎車に分乗し、公爺府を出発する。200人の兵士のほか、日本人も皆武器を持ったが、王仁三郎と松村真澄は宗教家として武器は持たなかった。 | |||
4月28日午前9時20分、王仁三郎一行は[[下木局子]]に到着。先発の盧占魁一行が出迎えた。〔{{rm|nm|20|春軍完備}}〕 | |||
== 略年表 == | == 略年表 == | ||