「入蒙」の版間の差分
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また、王仁三郎は[[第一次大本事件]]によって世間から誤解・圧迫を受けていたため、〈国家の為めになる大事業を完成して、日頃主張せる愛神、勤王、報国の至誠を天下に発表し、今迄の疑惑を解くべき必要に迫られて〉いた。これも入蒙の副次的な目的であった。〔{{rm|nm|7|奉天の夕}}〕 | また、王仁三郎は[[第一次大本事件]]によって世間から誤解・圧迫を受けていたため、〈国家の為めになる大事業を完成して、日頃主張せる愛神、勤王、報国の至誠を天下に発表し、今迄の疑惑を解くべき必要に迫られて〉いた。これも入蒙の副次的な目的であった。〔{{rm|nm|7|奉天の夕}}〕 | ||
=== | === 綾部から奉天へ === | ||
[[ファイル:王仁三郎の背中の三ツ星.jpg|thumb|150px|王仁三郎の背中には三ツ星のような三つの黒子があった。]] | [[ファイル:王仁三郎の背中の三ツ星.jpg|thumb|150px|王仁三郎の背中には三ツ星のような三つの黒子があった。]] | ||
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王仁三郎の奉天滞在中に盧占魁は、王仁三郎に救世主の資格があるかどうか観相家に調べさせた。王仁三郎の身体を仔細に調べた結果、三十三相を具備した天来の救世主だという観相家の説に盧占魁は随喜した。特に王仁三郎の掌中の四天紋、指頭の皆流紋、掌中に現れた釘の聖痕、背中のオリオン座の三ツ星のような黒子などを見て盧占魁は驚喜した。盧占魁はそれを現地の有力者や馬賊の頭目、張作霖の部下の将校等に示し、王仁三郎は天来の救世主だ、この救世主を頭に戴いて内外蒙古で活躍すれば成功間違いなしだと説いた。そのため王仁三郎は蒙古に入っても、全ての人々から非常な尊敬と信用を受けた。〔{{rm|nm|9|司令公館}}〕 | 王仁三郎の奉天滞在中に盧占魁は、王仁三郎に救世主の資格があるかどうか観相家に調べさせた。王仁三郎の身体を仔細に調べた結果、三十三相を具備した天来の救世主だという観相家の説に盧占魁は随喜した。特に王仁三郎の掌中の四天紋、指頭の皆流紋、掌中に現れた釘の聖痕、背中のオリオン座の三ツ星のような黒子などを見て盧占魁は驚喜した。盧占魁はそれを現地の有力者や馬賊の頭目、張作霖の部下の将校等に示し、王仁三郎は天来の救世主だ、この救世主を頭に戴いて内外蒙古で活躍すれば成功間違いなしだと説いた。そのため王仁三郎は蒙古に入っても、全ての人々から非常な尊敬と信用を受けた。〔{{rm|nm|9|司令公館}}〕 | ||
=== 奉天から洮南へ === | |||
2年前の奉直戦争<ref>直隷派(北京)の呉佩孚と奉天派の張作霖との戦い。大正11年(1922年)4月28日~5月5日。直隷派が勝った。{{wp|奉直戦争}}</ref>で負けた[[張作霖]]は自分の兵力が足りないことを憂慮していた。張作霖は内外蒙古を自分の勢力圏として北京を圧迫して二度目の奉直戦争を防ごうと思っていた。張作霖は[[盧占魁]]を利用して内外蒙古に進出させ、あわよくば内外蒙古を支配下に置きたいという野心を持っていた。 | |||
盧占魁は王仁三郎に帰依し、その指揮に服従することを誓った。奉天管内においては西北自治軍と名乗り、[[索倫山]]へ行って陣営を整えた上で、内外蒙古救援軍と称して、王仁三郎を総大将として大経綸を行う計画を立てて、索倫山へ進出することにした。〔{{rm|nm|9|司令公館}}〕 | |||
3月1日、張作霖から盧占魁へ西北自治軍総司令の内命が下った。佐々木弥市らは武器の調達など準備に着手することとし、王仁三郎は一足先に自動車で蒙古入りをすることにした。〔{{rm|nm|10|奉天出発}}〕 | |||
3月3日午後4時、[[王仁三郎]]、[[岡崎鉄首]]、[[植芝盛平]]、[[王元祺]]の4人は自動車2台に分乗して奉天を出発。鄭家屯まで鉄道があるが、現地の事情を調べたいということもあり、王仁三郎はわざわざ自動車旅行を選んだ。しかし悪路のため、自動車が壊れ、[[四平街]]《しへいがい》から鉄道で[[鄭家屯]]《ていかとん》へ向かった。3月6日午後6時50分、鄭家屯駅に着く。さらに鉄道で[[洮南]]《とうなん》に向かう。〔{{rm|nm|12|焦頭爛額}}〕 | |||
3月8日午後9時30分、洮南駅に到着した。〔{{rm|nm|13|洮南旅館}}〕 | |||
== 略年表 == | == 略年表 == | ||