「水茎文字」の版間の差分

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== 瑞組木 ==
== 瑞組木 ==
<書きかけ>
明治3年(1870年)頃に発行された源泰亮 撰、蘭園田翁(田嶋蘭園)集録『脩心教余師 皇教真洲鏡』<ref>[[八幡書店]]から復刻版が出ている。『[[皇教真洲鏡]]』平成14年(2002年)刊。</ref>には、「倭攵字瑞組木」と題する真素美の鏡が収録されている。本書には[[中村孝道]]の言霊学が記されており、「望月堂蔵版」と記されているところから、おそらく青年時代の[[大石凝真素美]](幼名は望月春雄)が祖父・[[望月幸智]](中村孝道の弟子)が残した中村孝道の伝書等を発見して、それを地元(蒲生郡)の著名人だった田嶋蘭園(天文地文の著書多数あり。明治6年没)のもとへ持ち込んだと推測されている<ref>[[大宮司朗]]による推測。八幡書店『皇教真洲鏡』188~189頁</ref>。「倭攵字瑞組木」には水茎文字の原型と言えるような文字「瑞組木」が記されている。それを誰が作ったのか、中村なのか望月幸智なのか大石凝なのかは分からない。だが文字の論理的構造は不十分であって、天津金木と結び付けるには不完全なものである。大石凝はこの不完全な水茎文字(瑞組木)をベースとして、天津金木の研鑽や水茎文字の「発見」によって、天津金木─真素美の鏡─水茎文字の体系を完成させたのであろうと思われる。


== 関連項目 ==
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