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[[ファイル:言霊真洲鏡.jpg|thumb|200px|中村孝道 口述『[[言霊真洲鏡]]』に掲載されている「言霊真洲鏡」([[真素美の鏡]])。平仮名で七十五声が記されている。]] | [[ファイル:言霊真洲鏡.jpg|thumb|200px|中村孝道 口述『[[言霊真洲鏡]]』に掲載されている「言霊真洲鏡」([[真素美の鏡]])。平仮名で七十五声が記されている。]] | ||
[[大石凝真素美]]の祖父・[[望月幸智]]は、[[中村孝道]]から[[言霊学]] | [[大石凝真素美]]の祖父・[[望月幸智]]は、[[中村孝道]]から[[言霊学]]を学んだ。大石凝は中村孝道と直接の関係はないが、祖父から中村孝道の言霊学を学んだ<ref>ただし大石凝真素美は天保3年(1832年)生まれ、祖父の[[望月幸智]]は天保7年(1836年)に帰幽しているので、直接祖父から言霊学を学んではいない。おそらく祖父が遺した書物を通して学んだのだと思われる。</ref>ので、中村孝道の孫弟子ということになる。「[[真素美の鏡]]」は中村から伝えられた。大石凝真素美の名は「真素美の鏡」に由来する<ref>大石凝は幼名「望月春雄」、元服後は「大輔広矛」と名乗っていたが、明治6年(1873年)数え年42歳のとき「大石凝真素美」に改名した。→「〔大石凝真素美#略歴〕」</ref>。<ref>「[[大石凝真素美先生伝]]」:〈祖父に幸智氏あり、中村孝道氏に仕へて言霊学の蘊奥を究め、之を諸国に宣伝せらる。蓋し先生の言霊学は其の源を茲に発するなり〉</ref> <ref>「[[日本言霊学概論#水茎文字の発見]]」:〈この言霊の原典はもと京都の人野山元盛といへる者の許にありしを、文化十三年の頃日向国の人中村孝道が是れを聞き伝へたるものであつて、その後翁の祖父望月幸智がこの伝をうけ、更に翁及び五十嵐篤好等に伝承されたやうである〉</ref> <ref>「{{obc|Z9052|大石凝真素美先生伝}}」:〈明治六年九月大祖の姓に復り、大石凝真素美と改名し〉</ref> | ||
しかし中村の真素美の鏡には水茎文字は使われていない。平仮名で七十五声が記されている。 | しかし中村の真素美の鏡には水茎文字は使われていない。平仮名で七十五声が記されている。 |