「大石凝真素美」の版間の差分
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大石凝真素美の祖父・望月幸智(ゆきとも?)は明和3年(1766年)生まれ、天保7年(1836年)帰幽。眼科医。 | 大石凝真素美の祖父・望月幸智(ゆきとも?)は明和3年(1766年)生まれ、天保7年(1836年)帰幽。眼科医。 | ||
{{inyou|望月幸智 | {{inyou| | ||
望月幸智 | |||
幸智は毛枚[油日村大字]<ref>[ ]内は割書</ref>の人、明和三年二月四日を以て生まる。資性穎敏にして学を好み父に事へて孝順、朋友と交りて信義を重んじ己を持すること謹厳倹素なり。家眼科医を業とし頗る其術に巧なるを以て遠近治を乞ふもの多く資産甚饒かなり。幸智石田梅岩の心学を攻め自得する所あり年四十にして幕府旗下堀田氏に仕へ米金若干を給せらる。晩年国学に志し諸国を遊歴して足跡殆んど海内に偏く<ref>「遍く」の誤字か?</ref>教を受くるもの頗る多し。天保七年三月廿五日郷里に歿す享年七十一。子直方家学を継ぎ門人中沢鴻洲画を以て名あり。| 『甲賀郡志 下巻』大正15年(1926年)、滋賀県甲賀郡教育会、1378頁<ref name="ndldl_1876795_9568844">{{ndldl|1876795/1/393}}、{{ndldl|9568844/1/393}}(1971年復刻版)</ref> }} | 幸智は毛枚[油日村大字]<ref>[ ]内は割書</ref>の人、明和三年二月四日を以て生まる。資性穎敏にして学を好み父に事へて孝順、朋友と交りて信義を重んじ己を持すること謹厳倹素なり。家眼科医を業とし頗る其術に巧なるを以て遠近治を乞ふもの多く資産甚饒かなり。幸智石田梅岩の心学を攻め自得する所あり年四十にして幕府旗下堀田氏に仕へ米金若干を給せらる。晩年国学に志し諸国を遊歴して足跡殆んど海内に偏く<ref>「遍く」の誤字か?</ref>教を受くるもの頗る多し。天保七年三月廿五日郷里に歿す享年七十一。子直方家学を継ぎ門人中沢鴻洲画を以て名あり。| 『甲賀郡志 下巻』大正15年(1926年)、滋賀県甲賀郡教育会、1378頁<ref name="ndldl_1876795_9568844">{{ndldl|1876795/1/393}}、{{ndldl|9568844/1/393}}(1971年復刻版)</ref> }} | ||
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この直方なる人物が登(大石凝真素美の父)と同一人物なのか、あるいは兄弟なのかは不明。 | この直方なる人物が登(大石凝真素美の父)と同一人物なのか、あるいは兄弟なのかは不明。 | ||
{{inyou|望月直方 | {{inyou| | ||
望月直方 | |||
直方は毛枚[油日村大字]<ref>[ ]内は割書</ref>幸智の子にして寛政四年正月十一日生まる。幼より学を好み長ずるに及んで医術を修め父祖の業を継げり。直方夙に国学に志し和歌を好み又点茶の技に熟せり。その門友伊勢に多く、伝ふる所によれば佐々木弘綱翁の如きも亦文藻の交りありしと云ふ。又直方寺子屋を開きその教育法に一新機軸を出したりと云ふ。文久元年五月十八日病んで歿す享年七十。| 『甲賀郡志 下巻』大正15年(1926年)、滋賀県甲賀郡教育会、1379頁<ref name="ndldl_1876795_9568844" /> }} | 直方は毛枚[油日村大字]<ref>[ ]内は割書</ref>幸智の子にして寛政四年正月十一日生まる。幼より学を好み長ずるに及んで医術を修め父祖の業を継げり。直方夙に国学に志し和歌を好み又点茶の技に熟せり。その門友伊勢に多く、伝ふる所によれば佐々木弘綱翁の如きも亦文藻の交りありしと云ふ。又直方寺子屋を開きその教育法に一新機軸を出したりと云ふ。文久元年五月十八日病んで歿す享年七十。| 『甲賀郡志 下巻』大正15年(1926年)、滋賀県甲賀郡教育会、1379頁<ref name="ndldl_1876795_9568844" /> }} | ||