「天恩郷」の版間の差分

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まず第一着手として、[[瑞祥閣]]の前に「[[月の輪台]]」(大正14年3月完成)が造られ、続いて「[[光照殿]]」(大正14年10月完成)が建てられ[[人類愛善会]]総本部と[[世界宗教連合会]]東洋本部が置かれた。それまではランプが使われていたが、同年5月23日に天恩郷に電灯が点けられた。(綾部は9月24日に電灯が点く)<ref name="B195401c4444" />
まず第一着手として、[[瑞祥閣]]の前に「[[月の輪台]]」(大正14年3月完成)が造られ、続いて「[[光照殿]]」(大正14年10月完成)が建てられ[[人類愛善会]]総本部と[[世界宗教連合会]]東洋本部が置かれた。それまではランプが使われていたが、同年5月23日に天恩郷に電灯が点けられた。(綾部は9月24日に電灯が点く)<ref name="B195401c4444" />


昭和5年(1930年)の8月と9月に、隣接する東側の土地1万1千坪を5万6700円で買収した。現在の[[万祥殿]]や植物園、[[東光苑]]がある辺りで、当時は竹ヤブや田地だった。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5132|本部の体制}}</ref>
昭和5年(1930年)の8月と9月に、隣接する東側の土地1万1千坪を5万6700円で買収した。現在の[[万祥殿]]や植物園、[[東光苑]]がある辺りで、当時は竹ヤブや田地だった。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5132|本部の体制}}」:〈隣接の東側の土地(当時竹藪および田地─現在の万祥殿・東光苑・植物園・中の島など)を買収することになり、一九三〇(昭和五)年八月二八日と九月一日の二回にわたり、一万一○○○余坪を買収した。それらの交渉にはすべて宇知麿があたり、この買収費・登記雑費を合算すると、五万六七〇○円であった。〉</ref>


== 主な建造物(戦前) ==
== 主な建造物(戦前) ==