「スの拇印」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
3行目: 3行目:
* [[宣伝使]]に下付した竹の杓子([[御手代]])にはスの拇印が押されてある。
* [[宣伝使]]に下付した竹の杓子([[御手代]])にはスの拇印が押されてある。
* [[天祥地瑞]]各巻の本の見返しにはスの拇印が押されてある。戦後発行された天祥地瑞にもスの拇印が印刷されてある。
* [[天祥地瑞]]各巻の本の見返しにはスの拇印が押されてある。戦後発行された天祥地瑞にもスの拇印が印刷されてある。
* スの拇印を押し始めたのは大正末年からのようである。<ref>『[[出口王仁三郎著作集]] 第3巻』巻末付録の落款一覧に〈拇印=大正末年から晩年まで、真中に独特のポチがあった〉と書かれてある。</ref>
* 王仁三郎がスの拇印を押し始めたのは大正末年からのようである。<ref>『[[出口王仁三郎著作集]] 第3巻』巻末付録の落款一覧に〈拇印=大正末年から晩年まで、真中に独特のポチがあった〉と書かれてある。</ref>
* 〈一九四三(昭和一八)年一一月、満州の部隊に入隊する信者の子弟らは、三六もの拇印をおした腹帯をあたえられ、「日本は敗ける。ソ連が出て一週間もしたら大連まで赤旗か立つ。そしたらすぐ[[道院]]へ行きなはれ」と教えられていた〉。〔『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c6521|戦争の終結}}」〕
* 〈一九四三(昭和一八)年一一月、満州の部隊に入隊する信者の子弟らは、三六もの拇印をおした腹帯をあたえられ、「日本は敗ける。ソ連が出て一週間もしたら大連まで赤旗か立つ。そしたらすぐ[[道院]]へ行きなはれ」と教えられていた〉。〔『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c6521|戦争の終結}}」〕
* 王仁三郎は〈拇印一つ押すと涙が二つ出る〉と言っている。〔『[[新月の光]]』0993「拇印一つに涙二滴」〕
* 王仁三郎は〈拇印一つ押すと涙が二つ出る〉と言っている。〔『[[新月の光]]』0993「拇印一つに涙二滴」〕