「出雲大神宮」の版間の差分
| 49行目: | 49行目: | ||
* 麻井玖美、角田直美『丹波物語 ──民俗と歴史のドキュメント』昭和52年(1977年)、国書刊行会、{{ndldl|9573928/1/12}}、著者が参拝した時の広瀬伯紀宮司の談話があり、「大国主を政略結婚で三穂津姫と結婚させて国譲りさせ、後から大国主だけを出雲に遷したので、ここを元出雲と言う」(18頁)とか「丹波国風土記には大国主を出雲に追放したと書かれている」(21頁)等と記されている。大和から来た朝廷系の神々に大国主が出雲へ追い払われたという史観のようである。 | * 麻井玖美、角田直美『丹波物語 ──民俗と歴史のドキュメント』昭和52年(1977年)、国書刊行会、{{ndldl|9573928/1/12}}、著者が参拝した時の広瀬伯紀宮司の談話があり、「大国主を政略結婚で三穂津姫と結婚させて国譲りさせ、後から大国主だけを出雲に遷したので、ここを元出雲と言う」(18頁)とか「丹波国風土記には大国主を出雲に追放したと書かれている」(21頁)等と記されている。大和から来た朝廷系の神々に大国主が出雲へ追い払われたという史観のようである。 | ||
* 永光尚『亀岡百景』昭和58年(1983年)、南郷書房出版部、77頁・81頁、{{ndldl|9575537/1/46}} | * 永光尚『亀岡百景』昭和58年(1983年)、南郷書房出版部、77頁・81頁、{{ndldl|9575537/1/46}} | ||
* 『[[神の国]]』平成4年(1992年)1月号、28~30頁(現地研修会レポート) | |||
* [[窪田英治]]「やっぱりあった素盞嗚尊の社 ──所縁深い亀岡元出雲大神宮」『[[神の国 (愛善苑)|神の国]]』平成6年(1994年)1月号、15~19頁 | |||
== 戦前の宮司 == | == 戦前の宮司 == | ||