「六角切り子」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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(水谷清の説)
(水谷清の説)
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安閑争危の4つの象は「球内に潜在して、表面には現はれない」<ref>『古事記大講 第十四巻』p190</ref>。
 
安閑争危の4つの象は「球内に潜在して、表面には現はれない」<ref>『古事記大講 第十四巻』p190</ref>。
  
このような方位の各面への割り当ては、大石凝の割り当て方とはまるで異なる。水谷は「天津祝詞学」の中で、研究の結果、大石凝の説とは「異なる部分が非常に多くなった」と述べている。<ref>水谷清『古事記大講 第14巻(天津祝詞学綱要上巻)』p4「大石礙先師の説を尊重し、其の方式を祖述することは、我等の当然の任務ではあるけれども、先師の説に対しても、我等は飽まで厳正なる批判的態度を執り、取捨を自由にする事が、斯学を向上せしむる所以たるを信じ、独自の立場に立って研究した結果、先師の説とは全然異なる部分が非常に多くなった事は、余儀ない事と存じてゐる次第である。先師亦以て余の態度を寛容される事と信ずるものである」</ref>
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このような方位の各面への割り当ては、大石凝の割り当て方とはまるで異なる。水谷は「天津祝詞学」の中で、言霊を研究した結果、大石凝の説とは「異なる部分が非常に多くなった」と述べている。<ref>水谷清『古事記大講 第14巻(天津祝詞学綱要上巻)』p4「大石礙先師の説を尊重し、其の方式を祖述することは、我等の当然の任務ではあるけれども、先師の説に対しても、我等は飽まで厳正なる批判的態度を執り、取捨を自由にする事が、斯学を向上せしむる所以たるを信じ、独自の立場に立って研究した結果、先師の説とは全然異なる部分が非常に多くなった事は、余儀ない事と存じてゐる次第である。先師亦以て余の態度を寛容される事と信ずるものである」</ref>
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==

2020年8月12日 (水) 02:07時点における版

六角切り子(ろっかくきりこ)とは、大石凝真素美言霊の活用を説明するために用いている立体のこと。正方形6面、正三角形8面から成る14面体であり、球体を擬似的に多面体化したものである。立方体(正六面体)の8つの角を切り落とすと、この14面体になる。一般には「立方八面体」「ベクトル平衡体」という呼び方がある。

原典

六角切り子の図は、次の文献に掲載されている。王仁三郎水谷清水野満年はみな大石凝の弟子にあたる。

名称

「切り子」とは「四角な物の、かどかどを切り落した形」〔広辞苑〕という意味であり、「江戸切子」のように一般に使われている言葉もある。しかし「六角切り子」は一般には使われていないようである。名称の由来については記されていないが、投影図が六角形であるため、六角切り子と名付けたのではないかと思われる。

大石凝は「天地茁廴貫きの極典」[1]の中で六角切り子を「正方角体六合八角切り」(正方角体=立方体の八つの角を切り落とした意)とも呼んでいる。

十八稜十四面体

六角切り子は「十八稜十四面体」とも呼ばれている。「稜」とは面と面が接する「辺」のことだと思われるが、14面体の辺の数は24である(頂点の数は12)。

なぜ「十八稜」と呼ばれているのかは不明である。

概要

大石凝は「大日本言霊」の中で、六角切り子について次のように説明している。「此六角切り子の玉。至大天球也 地球也の御樋代也 円満完なる球に方面を知り易からしむる為に仮に廉目を立てたる者也 故に十干十二支東西南北等の類は全球の者と同様に心得べし」[2]。つまり六角切り子は宇宙や地球のミニチュアであり、説明の便宜上、球体を平面でカットした多面体を使用しているようである。

次の図1のように、六角切り子の14面のうち7面ずつが見える投影図を二枚使い、十二方角への活用を説明している。しかし投影図の形状が正確でなく、また二枚をつなげて書いているため、一見してよく分からない。正確に書くと図2のようになる。

図1『大日本言霊』に掲載されている六角切り子の図
図2 それを適正な形状で製図したもの
図3 六角切り子の使用例(ア声の言霊)

七十五声の言霊ごとにこの六角切り子の図を使い、十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)が書いてある位置にそれぞれの方角への活用が記されている(図3)。

十二支以外の面

十二支が書いていない6面(正方形2面、正三角形4面)にも活用が記されているが、その6面が何を意味しているのかは『大日本言霊』では説明されていない。

王仁三郎は「言霊の大要」の中で、全14面を「上面」と「下面」に分類しており、その6面も3面ずつ上面・下面に分類されている。また「天祥地瑞」[3]ではその6面の活用を「総じて」という形で説明している。

「言霊の大要」に掲載されている六角切り子の図 ○が付いている面が上面、△が下面
上面と下面をグレーと白に塗り分けた図

【例】(イ声の言霊[4]

  • 言霊の大要:「○一、大金剛力也、○二、強く張り籠る也、○三、天の内面也、△一、基也、台也、△二、勢ひ添ひ付く也、△三、同平等也」
  • 天祥地瑞:「総じて大金剛力にして基となり台となり、強く張り籠り天の内面を司り、勢ひに添ひ付き、同じく平等に動く言霊也と知る可し」

八方位の配置

この図では六角切り子に12方位ではなく8方位を当てている。

大石凝は「天地茁廴貫きの極典」(明治33年作)の中で、六角切り子の14面の意義について、「大日本言霊」(明治36年作)に書いたこととは異なる見方を示している(p65)。

6つの正方形はそれぞれ、天・地・艮・巽・坤・乾を、8つの三角形は2つずつにそれぞれ子・卯・午・酉(つまり北東南西) を配しているのである。これは12方位ではなく8方位であり、天地を合わせて10方位になる。

天津神算木との関係

前述したように大石凝は「大日本言霊」の中で、六角切り子について「円満完なる球に方面を知り易からしむる為に仮に廉目を立てたる者也」と述べており、活用を説明する便宜上、仮に六角切り子を用いているだけであって、その形状には大きな意味はないように解することが出来る。

しかし「天地茁廴貫きの極典」では、天津神算木は「六角切り子の分子」であり「極智の極方法を以て道行きの術を尽して以て見る時は元の六角切り子と全く合格する物也」(p67)と述べており、天津神算木と六角切り子は形状が異なるだけで同じものを現していると解せられる。

また同じ文章中で、「天照す大御神」(ここでは主神の意)は「六角切り子の妙体を造り顕はし之を以て至大天球之中の御樋代と定め玉ふ也」とも述べており、六角切り子の形状そのものが大きな意味を持っていることになる。

水谷清の説

六角切り子14面の意義(水谷清の説).png
六角切り子(古事記大講).jpg

大石凝は六角切り子と天津神算木が同じものであることを示したが、具体的にどのような関係があるのかは言及していない。

水谷清は「天津祝詞学」の中で、大石凝の六角切り子を使った七十五声の言霊活用を紹介しており[5]、その後で、天津金木[6]を用いて14面の意義を具体的に説明している[7]。しかし大石凝が「天地茁廴貫きの極典」で示した8方位の配置とは異なり、12方位を配置している。

まず6つの正方形の面を天地東南西北に配する。これは天津金木の6つの面に該当する。色はそれぞれ白黒赤黄緑青となる。次に8つの三角形は、東南西北4方位のそれぞれの中間に位置し、上側と下側の2つずつ4組ある。それを、上側を東南、下側を南東というように配して行くのである。これによって12方位を得る。天地を合わせて14方位=14面となる。

各面の意義は次のようになる。天津金木によって、栄枯・盛衰・治乱・興廃・得失・存亡・安危・閑争の8対16種類の象性が現れる[8] [9]。このうち12種類を六角切り子の12方位に当てている。表にまとめると次のようになる。

方位 天津金木 意義
[10]
総合的代表的意義
反面の意義(総合的代表的意義の反対的意義)
東(卯) 22
東南(辰) 赤黄 21
南東(巳) 黄赤 12
南(午) 11
南西(未) 黄緑 13
西南(申) 緑黄 31
西(酉) 33
西北(戌) 緑青 34
北西(亥) 青緑 43
北(子) 44
北東(丑) 青赤 42
東北(寅) 赤青 24
黄青 14
赤緑 23
緑赤 32
青黄 41

安閑争危の4つの象は「球内に潜在して、表面には現はれない」[11]

このような方位の各面への割り当ては、大石凝の割り当て方とはまるで異なる。水谷は「天津祝詞学」の中で、言霊を研究した結果、大石凝の説とは「異なる部分が非常に多くなった」と述べている。[12]

脚注

  1. 大石凝真素美全集 第一巻』収録
  2. 「言霊の大要」と『霊峰』にも同様の説明文がある。
  3. 第74巻総説#第80巻総説#
  4. 第74巻総説#
  5. 古事記大講 第十四巻』p111-186
  6. 大石凝は「神算木」という文字を、水谷は「金木」という文字を使っている。
  7. 『古事記大講 第十四巻』p187-190
  8. 『古事記大講 第六巻』(「天津金木学」)p141-144
  9. 『大石凝真素美全集 第二巻』p81では、「栄枯」「盛衰」ではなく、「動止」「進退」である。
  10. それぞれ上下2本の天津金木で現されるが、上の神算木の数字を10の位で、下の神算木の数字を1の位で表記した。
  11. 『古事記大講 第十四巻』p190
  12. 水谷清『古事記大講 第14巻(天津祝詞学綱要上巻)』p4「大石礙先師の説を尊重し、其の方式を祖述することは、我等の当然の任務ではあるけれども、先師の説に対しても、我等は飽まで厳正なる批判的態度を執り、取捨を自由にする事が、斯学を向上せしむる所以たるを信じ、独自の立場に立って研究した結果、先師の説とは全然異なる部分が非常に多くなった事は、余儀ない事と存じてゐる次第である。先師亦以て余の態度を寛容される事と信ずるものである」

関連項目

外部リンク