「三六亭 (島根別院)」の版間の差分

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* 昭和8年(1933年)5月16日、王仁三郎・澄子臨席で三六亭完成式。
 
* 昭和8年(1933年)5月16日、王仁三郎・澄子臨席で三六亭完成式。
  
〔『[[大本島根本苑五十年史]]』p455-468をもとに作成〕
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2022年5月13日 (金) 20:26時点における最新版

この項目では、島根別院にあった三六亭について説明しています。その他については「みろく亭 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

三六亭(みろくてい)は、島根別院にあった建物。赤山の上にあり、王仁三郎澄子夫妻の居室にあてられた。

昭和10年(1935年)12月8日の第二次大本事件の当日、二人は三六亭に宿泊しており(8日の大祭に出席するため)、未明、王仁三郎はここで就寝中に検挙された。

他の大本の施設同様、島根別院も当局によって破却されたが、三六亭は売却され、八束郡川津村[1]の霊巌寺[2]に移築された。[3] [4]

略年表

  • 昭和7年(1932年)6月10日、三六亭地鎮祭。
  • 同年12月20日、歌碑除幕式、三六亭上棟式。
  • 昭和8年(1933年)5月16日、王仁三郎・澄子臨席で三六亭完成式。

〔この年表は『大本島根本苑五十年史』p455-468をもとに作成した〕

脚注

  1. 川津村は昭和14年(1939年)に松江市に編入された。
  2. 松江市西川津町の「霊感寺」のことか?
  3. 大本七十年史 下巻』「建造物破却の命令#
  4. 大本島根本苑五十年史』p714