「伊都能売観音像 (陶製)」の版間の差分
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{{Otheruses|王仁三郎が製作した陶製の伊都能売観音像|その他|伊都能売観音像 (曖昧さ回避)}} | {{Otheruses|王仁三郎が製作した陶製の伊都能売観音像|その他|伊都能売観音像 (曖昧さ回避)}} | ||
[[ファイル:伊都能売観音像を作る出口王仁三郎(昭和6年).jpg|thumb|製作中の風景。昭和6年(1931年)7月。]] | |||
'''伊都能売観音像'''(いづのめかんのんぞう)は、[[王仁三郎]] | '''伊都能売観音像'''(いづのめかんのんぞう)は、[[王仁三郎]]が昭和6年(1931年)7月頃に製作した陶製の像。「聖観音像」とも呼ばれる。 | ||
== 概要 == | |||
高さ約150cm、胴回り約140cm、重さ約110kgの巨大な楽焼の作品で、王仁三郎の等身大に造られた。 | |||
昭和6年(1931年)8月、王仁三郎の還暦を祝う「更生祭」の際に、[[天恩郷]]の[[更生館]]で王仁三郎の作品が多数展示されたが、その入口正面に置かれてお披露目された。 | 昭和6年(1931年)8月、王仁三郎の還暦を祝う「更生祭」の際に、[[天恩郷]]の[[更生館]]で王仁三郎の作品が多数展示されたが、その入口正面に置かれてお披露目された。 | ||
[[第二次大本事件]]によって行方不明となったが、王仁三郎の昇天直後の昭和23年春に発見された。山梨県甲府市で開かれた防犯展に大本事件押収品([[開祖聖像]])を地元の信徒が見つけ、それがきっかけとなり、東京警視庁内に伊都能売観音像が保管されていることが判明したのである。同年10月21日<ref name="oomoto_nanpyo">「[[大本年表]]」</ref> | [[第二次大本事件]]によって行方不明となったが、王仁三郎の昇天直後の昭和23年春に発見された。山梨県甲府市で開かれた防犯展に大本事件押収品([[開祖聖像]])を地元の信徒が見つけ、それがきっかけとなり、東京警視庁内に伊都能売観音像が保管されていることが判明したのである。同年10月21日<ref name="oomoto_nanpyo">「[[大本年表]]」</ref>に2つとも返還され、天恩郷に帰って来た<ref>開祖聖像は11月1日に梅松苑へ。〔「[[大本年表]]」〕</ref>。 | ||
所々傷ついたり欠けたりしていたが、[[佐々木松楽]]によって修復され、開教60周年の昭和27年(1952年)1月、[[瑞祥館]]の王仁三郎の部屋に御神体として安置された。 | 所々傷ついたり欠けたりしていたが、[[佐々木松楽]]によって修復され、開教60周年の昭和27年(1952年)1月、[[瑞祥館]]の王仁三郎の部屋に御神体として安置された。 | ||
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〔『[[みろくのよ]]』平成24年(2012年)8月号p44「瑞霊真如聖師・楽焼「伊都能売観音像」」をもとに作成〕 | 〔『[[みろくのよ]]』平成24年(2012年)8月号p44「瑞霊真如聖師・楽焼「伊都能売観音像」」をもとに作成〕 | ||
== 関連項目 == | |||
* [[伊都能売観音坐像]]:[[月宮殿]]の登り口の大石垣の上に安置された石像。 | |||
== 脚注 == | |||
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[[Category: | [[Category:出口王仁三郎の芸術]] | ||