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「新月のかけ」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
 
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'''新月のかけ'''(しんげつのかけ)は、[[木庭次守]]が編纂した[[出口王仁三郎]]の如是我聞集・言行録。刊本の題名としては『'''新月の影'''』『新月のかけ』『'''新月の光'''(かけ)』がある。
'''新月のかけ'''(しんげつのかけ)は、[[木庭次守]]が編纂した[[出口王仁三郎]]の如是我聞集・言行録。刊本の題名としては『'''新月の影'''』『新月のかけ』『'''新月の光'''(かけ)』がある。


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[[ファイル:Exit Diamond Ring Effect.jpg|thumb|ダイヤモンドリング]]
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[[飯塚弘明]]は「新月のかけ」とは皆既日食を表現した可能性もあると推測している<ref>サイト「王仁三郎ドット・ジェイピー」内のブログ、平成17年(2005年)7月23日付の記事『昭和18年旧元日・10万年に一度の皆既日蝕と「新月の光」の謎』(ただし現在は掲載されていない)</ref>。
[[飯塚弘明]]は「新月のかけ」とは皆既日食を表現した可能性もあると推測している<ref>サイト「王仁三郎ドット・ジェイピー」内のブログ、平成21年(2009年)7月23日付の記事『昭和18年旧元日・10万年に一度の皆既日蝕と「新月の光」の謎』(ただし現在は掲載されていない)</ref>。


[[大本神諭]]に〈艮の金神は(略)丑寅へ三千年と五十年押込められて居り〉<ref>{{os|259|明治33年旧4月7日}}</ref>とあるが、この3千年が完了したのは明治24年(1891年)であり、50年が完了したのは昭和18年(1943年)元旦であることが、「[[百千花]]」で詠まれている(次の引用文参照)。
[[大本神諭]]に〈艮の金神は(略)丑寅へ三千年と五十年押込められて居り〉<ref>{{os|259|明治33年旧4月7日}}</ref>とあるが、この3千年が完了したのは明治24年(1891年)であり、50年が完了したのは昭和18年(1943年)元旦であることが、「[[百千花]]」で詠まれている(次の引用文参照)。
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また、太陽が完全に月に隠れる直前と、月から抜け出した直後に生じるダイヤモンドリングは月面の凸凹によって生じるので、これもまた「新月のかけ」というような光景である。
また、太陽が完全に月に隠れる直前と、月から抜け出した直後に生じるダイヤモンドリングは月面の凸凹によって生じるので、これもまた「新月のかけ」というような光景である。


この昭和18年旧元日の皆既日食を「新月のかけ」と王仁三郎が呼んだ可能性があると、飯塚は推測している。「新月のかけ」という文言は、王仁三郎が保釈出所(昭和17年8月7日)した後の染筆の中から選ばれた<ref name="shikaban_kotoba" />ので、その可能性は十分にある。
この昭和18年旧元日の皆既日食を「新月のかけ」と王仁三郎が呼んだ可能性があると、飯塚は推測している。「新月のかけ」という文言は、王仁三郎が'''保釈出所(昭和17年8月7日)した後の染筆の中から選ばれた'''<ref name="shikaban_kotoba" />ので、その可能性は十分にある。


なお、ChatGPTの計算によると、皆既日食が起きる頻度は次のようになる。
なお、ChatGPTの計算によると、皆既日食が起きる頻度は次のようになる。
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しかし、昭和18年2月5日の皆既日食は、綾部や亀岡では観測できなかった。日本で観測されたのは北海道中部~東部<ref>[https://www.tsm.toyama.toyama.jp/?tid=102136 20世紀中に日本国内でみられた皆既日食・金環日食] - 富山市科学博物館</ref>(つまり日本の艮)であり<ref>時刻は朝7時50~53分頃</ref>、綾部や亀岡では部分日食が観測された<ref>時刻は朝7時32~34分頃</ref>。
しかし、昭和18年2月5日の皆既日食は、綾部や亀岡では観測できなかった。日本で観測されたのは北海道中部~東部<ref>[https://www.tsm.toyama.toyama.jp/?tid=102136 20世紀中に日本国内でみられた皆既日食・金環日食] - 富山市科学博物館</ref>(つまり日本の艮)であり<ref>時刻は朝7時50~53分頃</ref>、綾部や亀岡では部分日食が観測された<ref>時刻は朝7時32~34分頃</ref>。


他に王仁三郎在命中の旧元日に起きた皆既日食としては、昭和9年(1934年)2月14日があるが、皆既日食が観測できたのは南洋~太平洋上であり、内地では部分日食の観測だけである。従って王仁三郎在命中に内地で観測できた旧元日の皆既日食は昭和18年2月5日だけである。
他に王仁三郎在命中の旧元日に起きた皆既日食としては、昭和9年(1934年)2月14日があるが、皆既日食が観測できたのは南洋~太平洋上であり、内地では部分日食の観測だけである。従って'''王仁三郎在命中に内地で観測できた旧元日の皆既日食は昭和18年2月5日だけ'''である。


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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* [https://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/eclipsey_s.cgi?eclid=19341 1934/02/14 (昭和09年02月14日) 皆既日食] - 国立天文台
* [https://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/eclipsey_s.cgi?eclid=19341 1934/02/14 (昭和09年02月14日) 皆既日食] - 国立天文台
* [https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/59815_76521.html 中谷宇吉郎「日食記」] - 青空文庫:皆既日食当日のレポート
* [https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/59815_76521.html 中谷宇吉郎「日食記」] - 青空文庫:皆既日食当日のレポート
* [https://youtu.be/sofAUbjHimg?si=BgXyWlQ8fDfJFgfd  
* [https://youtu.be/sofAUbjHimg?si=BgXyWlQ8fDfJFgfd 皆既日食2019@チリ・ラセレナ 太陽アップ映像] - ユーチューブ
* 皆既日食2019@チリ・ラセレナ 太陽アップ映像] - ユーチューブ


== 脚注 ==
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[[Category:秀逸な記事]]

2026年5月27日 (水) 01:40時点における最新版

タニハ版の表紙

新月のかけ(しんげつのかけ)は、木庭次守が編纂した出口王仁三郎の如是我聞集・言行録。刊本の題名としては『新月の影』『新月のかけ』『新月の光(かけ)』がある。

概要

  • 本書は、王仁三郎が第二次大本事件で保釈出所(昭和17年8月7日)してから昇天(昭和23年1月19日)までの間に、木庭自身が王仁三郎から直接受けた教示の他、先輩たちが王仁三郎から受けた教示を集めて編纂された[1]
  • 題名「新月のかけ」は、王仁三郎が保釈出所した以降に染筆されたものの中から採用された[2] [3]。→#題名の由来
  • 昭和30年(1955年)に『新月の影』がタイプ謄写製本[4]で作成。→#私家版
  • 昭和63年(1988年)に『新月のかけ』が日本タニハ文化研究所から刊行。→#タニハ版
  • 平成14年(2002年)に『新月の光(かけ)』上下巻が八幡書店から刊行。→#八幡版
  • 上記3つの版の内容が同じかどうかは未確認。

私家版

題名 新月の影
副題 如是我聞
編者 木庭次守
発行日 昭和30年(1955年)1月21日
発行所 (私家版)
頁数
OBN OBN:1073

タニハ版

題名 新月のかけ[5]
副題 出口王仁三郎玉言集 霊界物語啓示の世界
編者 木庭次守
発行日 昭和63年(1988年)12月8日
発行所 日本タニハ文化研究所
頁数 604
OBN OBN:1632

八幡版

題名 新月の光(かけ)
副題 出口王仁三郎玉言集
巻数 上巻・下巻の2巻
編者 木庭次守
発行日 平成14年(2002年)2月22日(上下巻とも同じ)
発行所 八幡書店
頁数 365(上巻)
454(下巻)
OBN OBN:1741(上巻)
OBN:1742(下巻)

題名の由来

本書の題名は王仁三郎が何か(短冊?色紙?)に染筆した文言から採用された[2] [3]が、「新月のかけ」にどういう意味が込められているのか不明である。

「かけ」は「かげ」のことである(戦前までは濁音を付けずに書かれることが少なくなかった)。「かげ」は光によって生じる「影」を意味するが、その「光」自体も意味する。現代では「光」と「影」は相反する概念であるが、古代においてはどちらも「かげ」だった(厳密に言うと光によっておぼろげに浮かび上がるものが「かげ」だったようである)。

「新月」は基本的に月が全く見えない状態(太陽に照らされていない状態)であり、そこには「光」も「影」も生じない

三日月説

昔は三日月くらいの若い月も「新月」と呼ばれていた。文芸で使われる「新月のかけ」という表現は、とても細い月の、おぼろげな月影を指しているのであろうと思われる。

【用例】

  • 〈幽闇の道にまよへるものの新月のかけを望みたるがごとく〉〔明治34年刊、高須梅渓 著『暮雲』、NDLDL蔵書 PID:889263/1/4
  • 新月のかけおもしろみ出て見れはまかきの花も散る夜なりけり〉〔昭和39年刊、『定本柳田国男全集 第26巻』、NDLDL蔵書 PID:9577067/1/251

タニハ版の表紙には月齢3日くらいの上弦の三日月が描かれているため、編者の木庭は「新月のかけ」を、細い月の月影を指す言葉として採用したのだと思われる。「本書収録の王仁三郎の玉言は、一つ一つがとても短い文章であり、弱々しいものであるが、強く光り輝いている」…という意味か?

仮に木庭の意図はそうだとしても、王仁三郎の意図も同じかどうかは不明である。

皆既日食説

2019年にチリのラ・シヤ天文台で撮影された皆既日食
ダイヤモンドリング

飯塚弘明は「新月のかけ」とは皆既日食を表現した可能性もあると推測している[6]

大本神諭に〈艮の金神は(略)丑寅へ三千年と五十年押込められて居り〉[7]とあるが、この3千年が完了したのは明治24年(1891年)であり、50年が完了したのは昭和18年(1943年)元旦であることが、「百千花」で詠まれている(次の引用文参照)。

五十年君国のため世のために闇照らさんと道を説きたり

五十年の地上のしゆんびの神業了ヘて十八年は第一年となれり

昭和歴十八年の元旦は五十年しゆんひの充てる日にそある

御経綸三千年に充ちぬるは明治の二十四年なりけり

昭和十八年のとしより三千年のいよいよしくみの幕はあかれり

三千年と五十年にてきりかヘの準備全く出来上りける

三千世界一度にひらくしらうめの花咲きみちてみのるとき来ぬ
出典: 『月照山 (歌集)』いづとみづ版135~136頁から抜粋

このように昭和18年は、地上の準備神業を終えて、3千年の仕組の幕が開き出した年である。この昭和18年の旧元日(新2月5日)は皆既日食が起きており、それについて王仁三郎は次のように述べている。

元旦の(皆既)日蝕は十万年に一度である。天文学者は星の運行は判っているが神の意志が判らない。(昭和十八年旧正月元旦新二月五日西暦一九四三年)
出典: 『新月の光』0494「元旦の皆既日蝕」
この頃夜明けの空を見ていたら、日月星が一直線になっていた。これは更始会の徽章を造った時(大正辛酉十年二月十二日旧正月五日丙午。大正甲子十三年二月十二日旧正月八日辛酉)と同じである。(昭和十八年 旧正月元旦 新二月五日 西暦一九四三年)
出典: 『新月の光』0493「日月星一直線(更始会の徽章)」

昭和18年旧元日は王仁三郎が特別視していたことがわかる。

日食は、地球と月と太陽が一直線に並ぶことで起きる。月が地球と太陽との間に入り太陽を覆い隠す。皆既日食は月が新月の時にだけ起きる天文現象である。

皆既日食は、新月の背後に隠れた太陽からわずかに光が漏れており、あたかも「新月のかけ」と表現してもいいような光景となる。

また、太陽が完全に月に隠れる直前と、月から抜け出した直後に生じるダイヤモンドリングは月面の凸凹によって生じるので、これもまた「新月のかけ」というような光景である。

この昭和18年旧元日の皆既日食を「新月のかけ」と王仁三郎が呼んだ可能性があると、飯塚は推測している。「新月のかけ」という文言は、王仁三郎が保釈出所(昭和17年8月7日)した後の染筆の中から選ばれた[2]ので、その可能性は十分にある。

なお、ChatGPTの計算によると、皆既日食が起きる頻度は次のようになる。

  • 地球上のどこかで起きる頻度:約1.5年に1回
  • 同一の場所で起きる頻度:約360~400年に1回
  • 日本のどこかで起きる頻度:数十年~百数十年に1回
  • 日本のどこかで、かつ、旧暦元日に起きる頻度:数百年(だいたい600年)に1回[8] [9]
  • 同一の場所で、かつ、旧暦元日に起きる頻度:数千年~数万年の1回

王仁三郎が前掲の引用文で〈元旦の(皆既)日蝕は十万年に一度〉と言っているのは、「綾部・亀岡など同一の場所から見える皆既日食は」、ということになる。

しかし、昭和18年2月5日の皆既日食は、綾部や亀岡では観測できなかった。日本で観測されたのは北海道中部~東部[10](つまり日本の艮)であり[11]、綾部や亀岡では部分日食が観測された[12]

他に王仁三郎在命中の旧元日に起きた皆既日食としては、昭和9年(1934年)2月14日があるが、皆既日食が観測できたのは南洋~太平洋上であり、内地では部分日食の観測だけである。従って王仁三郎在命中に内地で観測できた旧元日の皆既日食は昭和18年2月5日だけである。

外部リンク

脚注

  1. 私家版「編集のことば」
  2. 2.0 2.1 2.2 私家版「編集のことば」:〈本書が題名「新月の影」は、聖師の未決出所后の御染筆の中から頂戴致しました。〉
  3. 3.0 3.1 タニハ版「あとがき」599頁
  4. タニハ版「あとがき」600頁
  5. 目次には「新月の光」と記され、「光」に「かけ」とルビが振られている。
  6. サイト「王仁三郎ドット・ジェイピー」内のブログ、平成21年(2009年)7月23日付の記事『昭和18年旧元日・10万年に一度の皆既日蝕と「新月の光」の謎』(ただし現在は掲載されていない)
  7. 大本神諭 明治33年旧4月7日#
  8. 皆既日食は必ず朔日に起きるので、確率的には12~13回に1回は旧暦元日に起きることになる。
  9. これは本州・九州・四国・北海道の主要四島に限る。沖縄なども含めた日本全域で計算すると、約200年に1回の頻度になる。
  10. 20世紀中に日本国内でみられた皆既日食・金環日食 - 富山市科学博物館
  11. 時刻は朝7時50~53分頃
  12. 時刻は朝7時32~34分頃