「耀盌」の版間の差分

 
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ただし「わん」に「琓」(王+完)という漢字を宛てて「茶琓」と表記している場合がある。王仁三郎は前期の作陶の時から「茶琓」という文字を使っている。「[[#斎入]]」で引用した井上留五郎『暁の烏』の中でも「琓」の字が使われている。<ref>[[出口信一]]・監修『[[出口王仁三郎 耀琓]]』p255に前期作品である「岩戸」と「高尾」の箱書の写真が掲載されており、そこには「薄茶々琓」と記されている。</ref> <ref>『[[出口王仁三郎 耀琓]]』p251(中村六郎「王仁三郎の芸術」)「師のお始めになった大正十五年の時から茶琓という字を使われました。茶琓の琓は玉(ぎょく)の王であり完(まったし)であります」</ref> <ref>前期作陶中の歌日記に「茶琓」と表記している歌があるようだが未確認。</ref>
ただし「わん」に「琓」(王+完)という漢字を宛てて「茶琓」と表記している場合がある。王仁三郎は前期の作陶の時から「茶琓」という文字を使っている。「[[#斎入]]」で引用した井上留五郎『暁の烏』の中でも「琓」の字が使われている。<ref>[[出口信一]]・監修『[[出口王仁三郎 耀琓]]』p255に前期作品である「岩戸」と「高尾」の箱書の写真が掲載されており、そこには「薄茶々琓」と記されている。</ref> <ref>『[[出口王仁三郎 耀琓]]』p251(中村六郎「王仁三郎の芸術」)「師のお始めになった大正十五年の時から茶琓という字を使われました。茶琓の琓は玉(ぎょく)の王であり完(まったし)であります」</ref> <ref>前期作陶中の歌日記に「茶琓」と表記している歌があるようだが未確認。</ref>


そのため「耀盌」ではなく「耀琓」と表記する人もいる。
そのため「耀盌」ではなく「'''耀琓'''」と表記する人もいる。
 
また、「'''天国茶盌'''」と呼ぶ人もいる。
 
「耀盌」は[[宗教法人大本]]が平成30年(2018年)に商標登録した。「[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/TR/JP-2017-131183/40/ja 登録6047663]」(J-PlatPat)。


=== わん ===
=== わん ===
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 昭和五年(一九三〇)二月二十一日、東京の上野美術館で王仁三郎の作品展があったとき、一つずつ別部屋に短冊・色紙・焼き物と分けて展示した。会場の第九室に斎入一号の「朝空」、二号「朝みどり」それに「海の華」など、緑色の深い輝きが実に美しかった。聖師も二代澄も梅田きみ子宅を宿として見に来る。会期は七日ぐらい続いた。|出口和明「落胤問題を実証する 八」、出口和明が禮子の取材メモに基づいて記したもの}}
 昭和五年(一九三〇)二月二十一日、東京の上野美術館で王仁三郎の作品展があったとき、一つずつ別部屋に短冊・色紙・焼き物と分けて展示した。会場の第九室に斎入一号の「朝空」、二号「朝みどり」それに「海の華」など、緑色の深い輝きが実に美しかった。聖師も二代澄も梅田きみ子宅を宿として見に来る。会期は七日ぐらい続いた。|出口和明「落胤問題を実証する 八」、出口和明が禮子の取材メモに基づいて記したもの}}


[[井上留五郎]]は『[[暁の烏]]』の中で次のように記している。
[[井上留五郎]]は『[[暁の烏]]』の中で次のように記している。(文中の「琓」は底本通り)


{{inyou| また聖師様は本年二月より亀岡天恩郷において陶器楽焼(真如楽焼と称されている)をお始めになり、茶琓、盃などを沢山造られつつありますが、楽焼の代表者とされておる齋入と云う名工が、今より約五百年前初めて焼き出した一種の硬度結晶即ち齋入焼と云う天下の珍品が続々焼き出されて来たので、専門家を驚倒せしめ、今や斯界の問題となりております。そして聖師御作の茶琓または盃にて茶、水などをいただくと、病気が治ったり酒癖が直ったりする顕著なる実例が随所に頻発しております。|井上留五郎『暁の烏』(大正14年、天声社)「{{obc|B116500c084|(四)瑞月聖師の肉筆(書画)について}}」p128-129 }}
{{inyou| また聖師様は本年二月より亀岡天恩郷において陶器楽焼(真如楽焼と称されている)をお始めになり、茶琓、盃などを沢山造られつつありますが、楽焼の代表者とされておる齋入と云う名工が、今より約五百年前初めて焼き出した一種の硬度結晶即ち齋入焼と云う天下の珍品が続々焼き出されて来たので、専門家を驚倒せしめ、今や斯界の問題となりております。そして聖師御作の茶琓または盃にて茶、水などをいただくと、病気が治ったり酒癖が直ったりする顕著なる実例が随所に頻発しております。|井上留五郎『暁の烏』(大正14年、天声社)「{{obc|B116500c084|(四)瑞月聖師の肉筆(書画)について}}」p128-129 }}