「真素美の鏡」の版間の差分
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→[[霊界物語]]に登場する神器は「[[真澄の鏡]]」 | →[[霊界物語]]に登場する神器は「[[真澄の鏡]]」 | ||
== 特徴 == | |||
アオウエイの[[五大父音]](国語学で言う母音)を区別するため丸囲みの㋐㋔㋒㋓㋑の文字で表記する。 | |||
* 清音だけでなく濁音・半濁音<ref>[[言霊学]]では濁音ではなく[[重音]]、半濁音ではなく[[撥音]]と呼ぶ。</ref>を含めた[[75声]]を用いる。「ン」は「ム」が転訛したものなので言霊としては存在しない。 | * 清音だけでなく濁音・半濁音<ref>[[言霊学]]では濁音ではなく[[重音]]、半濁音ではなく[[撥音]]と呼ぶ。</ref>を含めた[[75声]]を用いる。「ン」は「ム」が転訛したものなので言霊としては存在しない。 | ||
* 一般に五十音図は右上に㋐を配置して起点とし、行は下へ延び、列は左横へ延びる。それに対して真素美の鏡では右下に㋐を配置し、行は左横へ延び、列は上へ延びる。言霊学では | * 一般に五十音図は右上に㋐を配置して起点とし、行は下へ延び、列は左横へ延びる。それに対して真素美の鏡では右下に㋐を配置し、行は左横へ延び、列は上へ延びる。言霊学では | ||
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* 第一世代:[[中村孝道]]とその門弟の[[望月幸智]]や[[五十嵐篤好]]、篤好の子の[[五十嵐政雄]]らの執筆による文献。 | * 第一世代:[[中村孝道]]とその門弟の[[望月幸智]]や[[五十嵐篤好]]、篤好の子の[[五十嵐政雄]]らの執筆による文献。 | ||
* 第二世代:[[大石凝真素美]] | * 第二世代:[[大石凝真素美]](望月幸智の孫)とその弟子の[[水野満年]]、[[水谷清]]、[[宇佐美景堂]]らの執筆による文献。 | ||
* 第三世代:[[出口王仁三郎]](大石凝真素美の門弟)<ref>王仁三郎は大石凝真素美と出会う以前、幼少時から祖母・[[宇能]](中村孝道の妹)を通して言霊学を学んでいた。</ref>やその弟子の執筆による文献。 | * 第三世代:[[出口王仁三郎]](大石凝真素美の門弟)<ref>王仁三郎は大石凝真素美と出会う以前、幼少時から祖母・[[宇能]](中村孝道の妹)を通して言霊学を学んでいた。</ref>やその弟子の執筆による文献。 | ||
第一世代のものは「マスミの鏡」ではなく「マス鏡」と呼ばれる。宛てられる漢字は「真澄鏡」「真洲鏡」「真須鏡」「真洌鏡」など様々である。 | |||
マス鏡とマスミの鏡は基本的には同じだが、部位を呼ぶ名称が若干異なる。マス鏡は『[[言霊聞書]]』に掲載されているものを、マスミの鏡は『[[大日本言霊]]』に掲載されているものを基準にした場合、次の3点が異なる。 | マス鏡とマスミの鏡は基本的には同じだが、部位を呼ぶ名称が若干異なる。マス鏡は『[[言霊聞書]]』に掲載されているものを、マスミの鏡は『[[大日本言霊]]』に掲載されているものを基準にした場合、次の3点が異なる。 | ||
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* 高岡市立博物館蔵書『言霊真澄鏡 壱』[[中村孝道]] 口授、[[望月幸智]] 伝、[[五十嵐篤好]] 筆記、[[五十嵐政雄]]が明治10年に筆写した写本。巻頭に「言霊真澄鏡」(真素美の鏡)収録。[https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/429312 オンライン閲覧] - 文化遺産オンライン | * 高岡市立博物館蔵書『言霊真澄鏡 壱』[[中村孝道]] 口授、[[望月幸智]] 伝、[[五十嵐篤好]] 筆記、[[五十嵐政雄]]が明治10年に筆写した写本。巻頭に「言霊真澄鏡」(真素美の鏡)収録。[https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/429312 オンライン閲覧] - 文化遺産オンライン | ||
* [[五十嵐政雄]]『[[言霊真澄鏡]] 坤』p7-8(明治13年) …真須鏡と同じだが、「真澄鏡」と記載されている。 | * [[五十嵐政雄]]『[[言霊真澄鏡]] 坤』p7-8(明治13年) …真須鏡と同じだが、「真澄鏡」と記載されている。 | ||
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ファイル:言霊真洲鏡.jpg|[[中村孝道]] 口述『[[言霊真洲鏡]]』年代不明 | |||
ファイル:言霊真洌鏡(言霊聞書).jpg|[[中村孝道]] ?『[[言霊聞書]]』掲載「言霊真洌鏡」年代不明 | |||
ファイル:真澄鏡(言霊真澄鏡).jpg|[[五十嵐政雄]]『[[言霊真澄鏡]] 坤』明治13年(1880年) | |||
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=== 第二世代の文献 === | === 第二世代の文献 === | ||
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* [[大石凝真素美]]『[[真訓古事記]] 上の巻』p46-47(大正14年9月1日発行、『[[大石凝真素美全集]] 第三巻』収録) …「天之座」などの「座」が「機」に変更されている。また、㋐㋔㋒㋓㋑それぞれの柱が、真須鏡では「初柱」「内柱」「中柱」「外柱」「留柱」と呼んでいるが、本書掲載の真素美の鏡では「地柱」「水柱」「結柱」「火柱」「天柱」に変更されている。 | * [[大石凝真素美]]『[[真訓古事記]] 上の巻』p46-47(大正14年9月1日発行、『[[大石凝真素美全集]] 第三巻』収録) …「天之座」などの「座」が「機」に変更されている。また、㋐㋔㋒㋓㋑それぞれの柱が、真須鏡では「初柱」「内柱」「中柱」「外柱」「留柱」と呼んでいるが、本書掲載の真素美の鏡では「地柱」「水柱」「結柱」「火柱」「天柱」に変更されている。 | ||
* [[水谷清]]「[[天津祝詞学]]」(『[[古事記大講]] 第十四巻』所収、p192) …真素美の鏡と同じ。[[水茎文字]]も記されている。 | * [[水谷清]]「[[天津祝詞学]]」(『[[古事記大講]] 第十四巻』所収、p192) …真素美の鏡と同じ。[[水茎文字]]も記されている。 | ||
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ファイル:真素美の鏡(真訓古事記).jpg|[[大石凝真素美]]『[[真訓古事記]]』明治45年(1912年) | |||
ファイル:真素美の鏡(大日本言霊).jpg|[[大石凝真素美]]『[[大日本言霊]]』大正13年(1924年) | |||
ファイル:真素美の鏡(古事記大講第14巻).jpg|[[水谷清]]『[[古事記大講]] 第14巻』昭和5年(1930年) | |||
ファイル:水茎文字の実相(日本言霊学概論).jpg|[[宇佐美景堂]]『[[日本言霊学概論]]』昭和7年(1932年) | |||
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=== 第三世代の文献 === | === 第三世代の文献 === | ||
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* [[出口王仁三郎]]「[[言霊の大要]]」(『[[神霊界]]』大正7年6月15日号掲載、p33<ref>八幡書店の復刻版だと第2巻p471</ref>) …真素美の鏡と同じだが、『真訓古事記』掲載の真素美の鏡のように「座」が「機」に変更されている。 | * [[出口王仁三郎]]「[[言霊の大要]]」(『[[神霊界]]』大正7年6月15日号掲載、p33<ref>八幡書店の復刻版だと第2巻p471</ref>) …真素美の鏡と同じだが、『真訓古事記』掲載の真素美の鏡のように「座」が「機」に変更されている。 | ||
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ファイル:日本国語之組織(言霊の大要).jpg|[[出口王仁三郎]]「[[言霊の大要]]」掲載「日本国語之組織」大正7年(1918年) | ファイル:日本国語之組織(言霊の大要).jpg|[[出口王仁三郎]]「[[言霊の大要]]」掲載「日本国語之組織」大正7年(1918年) | ||
ファイル:真素美の鏡1.png|現代において作図されたもの | ファイル:真素美の鏡1.png|現代において作図されたもの | ||
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