「月照山 (天恩郷)」の版間の差分
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2025年4月6日 (日) 20:54時点における最新版
この項目では、天恩郷にある月照山について説明しています。その他については「月照山 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

月照山(げっしょうざん)は、天恩郷内の、月の輪台がある高台。別名・船岡山。
- 大正14年(1925年)3月22日、瑞祥閣の前に「月の輪台」が造られた。これは霊国における月照山に相応するものとされ、4月25日にはそこに月照山の御神体として「みろく塔」が建設された。[1]
- 大正15年(1926年)1月9日、月照山に「宣霊社」を建てる。[1]
- 王仁三郎は、天恩郷を南北に別け、月照山より以北を「万寿苑」と名づけ、以南を「千秋苑」と命名した。[2] [1]
- 昭和8年(1933年)11月25日、月照山の麓に建てられた前田夕暮(歌人)の歌碑の除幕式が行われた。[3]
- 第二次大本事件で全て破壊されたが、戦後再建され、現在は月照山上に「月の輪台」「衝立岩」「二代教主歌碑」が、月照山の麓には「宣霊社」がある。
- 昭和27年(1952年)3月30日、月照山上に二代教主(出口澄子)の歌碑が建立された。「ひのもとのくににうまれしかみのこよよきたねをまけのにもやまにも」(日の本の国に生まれし神の子よ善き胤をまけ野にも山にも)という歌が刻まれている。[4] [5]