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567にまつわる事柄は次のものがある。
567にまつわる事柄は次のものがある。


* ミロク。 →「[[五六七]]」
* ミロク。
* [[王仁三郎]]が霊界探検の際に、女神の姿に変化して半紙に書いた書物の冊数は567冊。<ref>{{rm|1|9|雑草の原野}}:「自分は立派な女神の姿に変化したままで、一生懸命に半紙にむかつて機械的に筆をはしらす。ずゐぶん長い時間であつたが、冊数はたしかに五百六十七であつたやうに思ふ。そこへにはかに何物かの足音が聞えたと思ふまもなく、前の「中」といふ鬼が現はれ、槍の先に数十冊づつ突き刺し、をりからの暴風目がけ中空に散乱させてしまうた」</ref>
* [[王仁三郎]]が霊界探検の際に、女神の姿に変化して半紙に書いた書物の冊数は567冊。<ref>{{rm|1|9|雑草の原野}}:「自分は立派な女神の姿に変化したままで、一生懸命に半紙にむかつて機械的に筆をはしらす。ずゐぶん長い時間であつたが、冊数はたしかに五百六十七であつたやうに思ふ。そこへにはかに何物かの足音が聞えたと思ふまもなく、前の「中」といふ鬼が現はれ、槍の先に数十冊づつ突き刺し、をりからの暴風目がけ中空に散乱させてしまうた」</ref>
* 霊界物語の口述を始めた最初は、567節(567章)で完成させる予定だった。<ref>{{rm09|8|0001|序文}}:「総じてこの霊界物語は、口述の最初に当り五百六十七節にて完成する考へを以て、一冊を五十節に刻み全十二冊の予定のところ、到底是にてはその一部分をも講了すべからざるを覚り、本巻よりは一冊五十章組の規定を破り、口の車の行き突きばつたりに歩を進むる事と致しました」</ref>
* 霊界物語の口述を始めた最初は、567節(567章)で完成させる予定だった。<ref>{{rm09|8|0001|序文}}:「総じてこの霊界物語は、口述の最初に当り五百六十七節にて完成する考へを以て、一冊を五十節に刻み全十二冊の予定のところ、到底是にてはその一部分をも講了すべからざるを覚り、本巻よりは一冊五十章組の規定を破り、口の車の行き突きばつたりに歩を進むる事と致しました」</ref>
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* [[神示の宇宙]]によると、この大宇宙には、太陽系宇宙のような小宇宙が56億7千万個ある。われわれが住む小宇宙の高さは、縦・横ともに56億7千万里ある<ref>仮に1里=4kmで計算すると56億7千万里は226億8千万kmになる。太陽系の一番外側の惑星である海王星の公転直径は約90億km、その外側を回る準惑星の冥王星の公転直径は約118億kmである。</ref>。<ref>{{rm|4|46|神示の宇宙 その一}}:「大宇宙には、斯くの如き小宇宙の数は、神示によれば、五十六億七千万宇宙ありといふ」「我が小宇宙の高さは、縦に五十六億七千万里あり、横に同じく、五十六億七千万里あり」</ref>
* [[神示の宇宙]]によると、この大宇宙には、太陽系宇宙のような小宇宙が56億7千万個ある。われわれが住む小宇宙の高さは、縦・横ともに56億7千万里ある<ref>仮に1里=4kmで計算すると56億7千万里は226億8千万kmになる。太陽系の一番外側の惑星である海王星の公転直径は約90億km、その外側を回る準惑星の冥王星の公転直径は約118億kmである。</ref>。<ref>{{rm|4|46|神示の宇宙 その一}}:「大宇宙には、斯くの如き小宇宙の数は、神示によれば、五十六億七千万宇宙ありといふ」「我が小宇宙の高さは、縦に五十六億七千万里あり、横に同じく、五十六億七千万里あり」</ref>
* 現界の56億7千万年は、神界の3千年である。<ref>{{rm|40|14|空川}}:[[カル]]のセリフ「神界で三千年と言へば現界で云ふ五十六億七千万年の事だから、神界の一分間が娑婆の五六年に当るだらう」</ref>
* 現界の56億7千万年は、神界の3千年である。<ref>{{rm|40|14|空川}}:[[カル]]のセリフ「神界で三千年と言へば現界で云ふ五十六億七千万年の事だから、神界の一分間が娑婆の五六年に当るだらう」</ref>
== みろく ==
「五六七」を「みろく」と読むようになったのは、大正8年(1919年)2月以降だと思われる。『[[大本七十年史]]』に次の記述がある。
{{inyou|一九二八(昭和三)年三月三日(旧二月一二日)は、出口王仁三郎聖師が満五六才七ヵ月となった記念の日である。神示によってこの日に「みろく大祭」がおこなわれることになった。神諭には「五六七《みろく》の世が参りたぞよ。釈迦が五十六億七千万年の後に、至仁至愛神《みろくさま》の神政《よ》が来ると予言《まお》したのは五六七《みろく》と申す事であるぞよ」(大正7・12・23<ref>底本では「旧12・23」だが旧暦ではなく新暦が正しい。</ref>)とある。それにもとづいて大本では、これまでも「五六七」を「みろく」とよんできた。| 『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5111|みろく大祭}}」}}
この神諭は、{{is|13|大正七年一二月二三日}}(旧11月20日)であり、『[[神霊界]]』大正8年(1919年)2月1日号で発表された。「五六七」を「みろく」と呼ぶようになったのは、おそらくこれが初めてではないかと思われる。
[[出口直]]の[[筆先]]は基本的に平仮名と漢数字で書かれており、[[王仁三郎]]が漢字を当てはめて「[[大本神諭]]」として発表した。筆先の「みろく」という平仮名に「五六七」という漢字を当てはめたのは王仁三郎である。
大本神諭は『神霊界』大正6年(1917年)1月号以降に掲載して発表された。
大本神諭で、「五六七」という漢字に「みろく」とフリガナが付けられているものが次の9篇あるが、全て大正8年以降に発表されている。
 筆先が書かれた日/『神霊界』掲載号
* {{os|274|明治36年旧2月9日}}/大正10年3月1日号
* {{os|252|明治36年旧6月12日}}/大正9年1月15日号
* {{os|240|明治36年旧10月10日}}/大正8年12月15日号
* {{os|239|明治36年旧11月14日}}/大正8年12月15日号
* {{os|212|大正4年旧4月9日}}/大正8年10月15日号
* {{os|213|大正4年旧4月14日}}/大正8年10月15日号
* {{os|215|大正4年旧7月12日}}/大正8年10月15日号
* {{os|214|大正5年旧8月5日}}/大正8年10月15日号
* {{os|250|大正5年旧9月9日}}/大正9年1月1日号
[[伊都能売神諭]]にも「五六七」を「みろく」と読ませている箇所が多数ある。伊都能売神諭は開祖昇天(大正7年11月6日)の後、王仁三郎に国祖の神霊が懸かって書かれたもので、『神霊界』大正8年2月1日号以降で発表されている。
したがって、「五六七」を「みろく」と読ませるようになったのは、大正8年2月以降だと考えることが出来る。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==