「出口王仁三郎の歌碑」の版間の差分
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王仁三郎の在世中に建立された歌碑が40基あるが、[[第二次大本事件]]によってほぼ全て破却された。そのうち一部は戦後再建された。また、戦後新たに建立された歌碑もある。 | 王仁三郎の在世中に建立された歌碑が40基あるが、[[第二次大本事件]]によってほぼ全て破却された。そのうち一部は戦後再建された。また、戦後新たに建立された歌碑もある。 | ||
→出口王仁三郎の歌碑の写真は「[[:カテゴリ:出口王仁三郎の歌碑]]」 | |||
→出口王仁三郎の歌碑以外の石碑は「[[石碑]]」 | →出口王仁三郎の歌碑以外の石碑は「[[石碑]]」 | ||
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場所の数は32ヶ所、歌碑の数は40基、刻まれた歌の数は88首ある<ref>歌数は大本七十年史の「6、出口王仁三郎聖師の歌碑」による。[[#参考文献]]参照</ref>。 | 場所の数は32ヶ所、歌碑の数は40基、刻まれた歌の数は88首ある<ref>歌数は大本七十年史の「6、出口王仁三郎聖師の歌碑」による。[[#参考文献]]参照</ref>。 | ||
歌そのものは『[[出口王仁三郎全集]] 第七巻』「{{obc|B121807c03|巻上}}」を参照。 | |||
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== 建立が予定されていた歌碑 == | == 建立が予定されていた歌碑 == | ||
# [[伊予別院歌碑]]/愛媛県温泉郡荏原村/建立が予定されていたが[[第二次大本事件]]によって建立されなかった(2基あり、それぞれ1首ずつ刻まれていたようである<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』307頁</ref> | # [[伊予別院歌碑]]/愛媛県温泉郡荏原村/建立が予定されていたが[[第二次大本事件]]によって建立されなかった(2基あり、それぞれ1首ずつ刻まれていたようである<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』307頁</ref>)/昭和48年(1973年)8月10日、松山市恵原町に建立された<ref>『[[愛善苑]]』昭和48年(1973年)9月号18頁</ref>。歌は次の2首。「具佐ま久ら多飛能二名能阿左明けや静に宇閑ふ御代乃志万可希(訳文・草枕旅の二名の朝明や静かにうかぶ御代の嶋かげ)」「吾う遍しに者能若松新けりあひて多つ能す閑た乃ほの見ゆるかな(訳文・吾植へし庭の若松繁り合ひて竜の姿のほの見ゆるかな)」 | ||
== 再建状況 == | == 再建状況 == | ||