編集の要約なし
 
(同じ利用者による、間の18版が非表示)
1行目: 1行目:
オニペディア編集者用のメモ
オニペディア編集者用のメモ
* [[生没年一覧メモ]]


== 霊界物語の人物 ==
== 霊界物語の人物 ==
*テルモン山の神館の小国別は、初版では「鬼国別」で、御校正本で「小国別」に直された。なぜか{{rm|56|16|不臣}}だけ「小国彦」になっている。4回出る。
*テルモン山の神館の[[小国別]]は、初版では「鬼国別」で、御校正本で「小国別」に直された。なぜか{{rm|56|16|不臣}}だけ「小国彦」になっている。4回出る。
*<del>盤古神王は大自在天大国彦の改名だが、ウラル彦が盤古神王と呼ばれている場面がある。{{rm|30|22}}「老木茂りウラル教 教の祖を祀りたる 神王祠を発見し」</del> 盤古神王は盤古大神の改称
*[[千草姫]]は[[チウイン太子]]の「継母」{{rm|70|20|}}
*千草姫はチウイン太子の「継母」{{rm|70|20|}}
* [[ヨリコ姫]] [[依子姫]] と漢字 {{rm|71|16|}}
* 千草の高姫は43歳 {{rm|72|15|}}「最早四十三」
* 肉体持った神は[[神素盞嗚大神]]だけ {{rm|72|18|||a152}} ヨリコ姫の歌
* ヨリコ姫 依子姫 と漢字 {{rm|71|16|}}
* [[高姫]]と[[梅彦]]([[照国別]])は出会って別れてから13~4年になる。{{rm|72|22||a214}}
* 肉体持った神は神素盞嗚大神だけ {{rm|72|18|||a152}} ヨリコ姫の歌
* [[コルトン]]は[[シャカンナ]]の部下。第67巻で 朝倉谷 浅倉山に、シャカンナ、娘[[スバール姫]]、コルトンの3人で隠れ住んだことになっているが、第68巻では名前が見えない コルトンは6719で逃げている。
* 高姫と梅彦(照国別)は出会って別れてから13~4年になる。{{rm|72|22||a214}}
* [[治道居士]]([[鬼春別]])はバラモン軍の「中将」だった {{rm|65|1|}}
* コルトンはシャカンナの部下。第67巻で 朝倉谷 浅倉山に、シャカンナ、娘スバール姫、コルトンの3人で隠れ住んだことになっているが、第68巻では名前が見えない コルトンは6719で逃げている。
* [[ベル]]は[[治道居士]]一行に加わったが、{{rm|65|8}}までしか出ない。これは寝返ったため。「治道居士は、'''ベルが自分を殺害し、セールに裏返らうといふ意味を仄かしてゐるのを'''、鼾をかいてゐる振して聞いてゐた。」
* 黒姫の年齢 {{rm|24|4|}}:ブランジーの妻にクロンバーといふ女あり。夫婦何れも五十の坂を四つ五つ越えたる年輩なり
* [[大自在天]]の一派は 併呑のみを唯一の主義としている {{rm|8|28|玉詩異}}a005 淤縢山津見のセリフ
* 治道居士(鬼春別)はバラモン軍の「中将」だった {{rm|65|1|}}
* ベルは治道居士一行に加わったが、{{rm|65|8}}までしか出ない。これは寝返ったため。「治道居士は、'''ベルが自分を殺害し、セールに裏返らうといふ意味を仄かしてゐるのを'''、鼾をかいてゐる振して聞いてゐた。」
* {{rm|8|25|火の車}}a105 蚊々虎のセリフ内 淤縢山津見=醜国別は、御三体の大神のお宮こぼちの張本人
* 大自在天の一派は 併呑のみを唯一の主義としている {{rm|8|28|玉詩異}}a005 淤縢山津見のセリフ
* [[閻魔大王]]が交代した {{rm|14|9|空中滑走}}:与太彦のセリフ「変性男子の閻魔サンが御代りになつてからと云ふものは、地獄の中も、余程寛大になつたといふ事を、神憑の口を通じて聞いて居たが、如何にも変つたものだ、民権発達といふものは、地獄の底まで影響を及ぼし、今度の閻魔サンは、民主主義になられたと見えるな」
* [[閻魔大王]]が交代した {{rm|14|9|空中滑走}}:与太彦のセリフ「変性男子の閻魔サンが御代りになつてからと云ふものは、地獄の中も、余程寛大になつたといふ事を、神憑の口を通じて聞いて居たが、如何にも変つたものだ、民権発達といふものは、地獄の底まで影響を及ぼし、今度の閻魔サンは、民主主義になられたと見えるな」
* [[初稚姫]]は5歳のときに母が死んだ。{{rm|26|8|虎の嘯||a028}}
* [[初稚姫]]は5歳のときに母が死んだ。{{rm|26|8|虎の嘯||a028}}
* [[常彦]]と[[春彦]]は、[[杢助]]の命令で、高姫のお供になった {{rm|29|12|悔悟の幕||a262|a264}}
* [[常彦]]と[[春彦]]は、[[杢助]]の命令で、高姫のお供になった {{rm|29|12|悔悟の幕||a262|a264}}
* [[高姫]] 改心が12年遅れた {{rm|29|12|悔悟の幕||a233}}


== 現実の人物 ==
== 現実の人物 ==
24行目: 21行目:
* 『真如能光』昭和3年(1928年)4月5日号「天恩郷だより」p40に「[[笹目恒雄]]氏本日蒙古よりの珍客三名を伴ひて来郷いたしました」とある。
* 『真如能光』昭和3年(1928年)4月5日号「天恩郷だより」p40に「[[笹目恒雄]]氏本日蒙古よりの珍客三名を伴ひて来郷いたしました」とある。
* 笹目恒雄 人類愛善新聞 在満州記者 記事あり 『人類愛善新聞』昭和6年(1931年)11月23日号p1
* 笹目恒雄 人類愛善新聞 在満州記者 記事あり 『人類愛善新聞』昭和6年(1931年)11月23日号p1
* 『真如能光』大正15年(1926年)4月25日号「天恩郷だより」p89に「[[比沼真奈井神社]]々司聖師様令弟[[中澤幸吉]]氏並に令息来郷後郷里穴太へ」とある。
* 「豊受の神の豊国の、主と現はれ真寸鏡」{{is|15|大正8年1月27日}}
* 「豊受の神の豊国の、主と現はれ真寸鏡」{{is|15|大正8年1月27日}}
*日向良広は旧名は尾崎享吉 真如の光1934-5p4
*日向良広は旧名は尾崎享吉 真如の光1934-5p4
36行目: 32行目:
* [[岡田茂吉]]、『真如の光』大正14年(1925年)12月25日号に賀詞を出している
* [[岡田茂吉]]、『真如の光』大正14年(1925年)12月25日号に賀詞を出している
* [[藤沼庄平]]『婦人の国』5月号の「大正聖代の怪宗教大本教撲滅秘史」を取り消す。『真如の光』大正15年(1926年)4月25日号p99
* [[藤沼庄平]]『婦人の国』5月号の「大正聖代の怪宗教大本教撲滅秘史」を取り消す。『真如の光』大正15年(1926年)4月25日号p99
* [[西田元教]]、大正15年(1926年)5月5日、宣伝使試補に任命される。『真如の光』大正15年(1926年)5月15日号p34
* 昭和2年(1927年)大本春季大祭の後、井上総裁から四女・[[出口一二三]]の帰幽が発表された。一二三は大正10年(1921年)12歳の時にお腹に水が溜まる病気になった。筆先には「[[輪能比売]](りんのうひめ)」という神名。一二三には[[祥栄]](よしひで)という子供がいたが、3月20日に国替えし、一二三は24日に国替えした。 『真如の光』昭和2年(1927年)4月15日号p23~
* 昭和2年(1927年)大本春季大祭の後、井上総裁から四女・[[出口一二三]]の帰幽が発表された。一二三は大正10年(1921年)12歳の時にお腹に水が溜まる病気になった。筆先には「[[輪能比売]](りんのうひめ)」という神名。一二三には[[祥栄]](よしひで)という子供がいたが、3月20日に国替えし、一二三は24日に国替えした。 『真如の光』昭和2年(1927年)4月15日号p23~
* [[星田悦子]](ほしだえつこ) {{rm09|44|0001|序文}}
* [[星田悦子]](ほしだえつこ) {{rm09|44|0001|序文}}
* 昭和2年(1927年)6/23 ろ組 [[星田悦子]](ほしだえみこ) 帰幽 真如の光 昭和2年(1927年)7/5号p42
* 昭和2年(1927年)7/28付 [[砂泊兼照]] [[宣伝使試補]]から[[准宣伝使]]に昇任 真如の光 昭和2年(1927年)8/15号p34
* 昭和2年(1927年)7/28付 [[砂泊兼照]] [[宣伝使試補]]から[[准宣伝使]]に昇任 真如の光 昭和2年(1927年)8/15号p34
* 王仁三郎の従妹の[[小竹松子]]が帰幽した 昭和2年(1927年)10月28日 真如の光 昭和2年(1927年)11月5日号p24
* 昭和3年(1928年)3月3日、[[松村真澄]]、帰幽、49歳 [[真如の光]]昭和3年(1928年)3月15日号p40
* [[大宮守子]]を歌った歌 『真如の光』昭和3年(1928年)4/26p2
* [[大宮守子]]を歌った歌 『真如の光』昭和3年(1928年)4/26p2
* [[第2巻]]で[[盤古大神]]は[[常世の国]]にいる。{{rm|2|49}}「盤古大神の館に参向し」
* [[第2巻]]で[[盤古大神]]は[[常世の国]]にいる。{{rm|2|49}}「盤古大神の館に参向し」
52行目: 44行目:
* [[東尾吉雄]] よみかた ひがしおよしお {{rm09|17|0003|総説歌||a091}}
* [[東尾吉雄]] よみかた ひがしおよしお {{rm09|17|0003|総説歌||a091}}
* [[岩田久太郎]] いわたきうたらう 真如の光 昭和9年(1934年)3/25p20
* [[岩田久太郎]] いわたきうたらう 真如の光 昭和9年(1934年)3/25p20
* [[土井大靖]](ひろやす)読み方は『[[大本関東教区七十年史]]』p117による
* [[西村光月]] 本名は西村輝雄(てるお) 『真如の光』昭和3年(1928年)3月15日号p10
* [[小山内匠]](こやま たくみ)大正2年(1913年)生まれ、新聞記者10余年の後、信仰生活に入る。『[[霊魂と霊界の話]]』p215著者略歴 富山新聞論説室長 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1692760/972
* [[小山内匠]](こやま たくみ)大正2年(1913年)生まれ、新聞記者10余年の後、信仰生活に入る。『[[霊魂と霊界の話]]』p215著者略歴 富山新聞論説室長 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1692760/972
* [[三雲龍三]] 大正3年(1914年)12月27日生まれ 『[[三雲竜三神示と神一厘の仕組]]』p343 昭和20年(1945年)1月16日帰幽 p346
* [[三雲益次郎]] 龍三の実兄 明治43年(1910年)10月20日生まれ 『[[三雲竜三神示と神一厘の仕組]]』p340
* [[高木鉄男]] 明治製糖の専務 [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1258017/130 明治製糖株式会社三十年史p86-87]
* [[高木鉄男]] 明治製糖の専務 [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1258017/130 明治製糖株式会社三十年史p86-87]
== 上田喜三郎を襲撃したのは誰か ==
高熊山入山前夜つまり明治31年2月8日、浄瑠璃温習会中の上田喜三郎を襲撃した者について諸説ある。
(1) 霊界物語{{rm|37|2|葱節}}によると、それは「若錦」である。〈其時宮相撲をとつて居た若錦と云ふ男を先頭に、侠客の小牛、留公、与三公、茂一の五人連れ、矢庭に演壇に上り、有無を云はせず瑞月を担いで附近の桑畑の中へ連れ行き、打つ、蹴る、殴るの大乱痴気騒ぎを始めた。〉
(2) しかし第二次大本事件の地裁公判で王仁三郎は、それは侠客の「河内屋」だと述べている。〈処が三日程したら私が浄瑠璃を語つて、次に『現れ出でたる武智光秀』と言つて居る時に、ほんまに河内屋が現れて来て、自分を表へひつ張り出した。 家の前の桑畑へ連れて行つて、私を殴つた。〉〔{{obc|B195503c220201|地裁公判速記録(1)}}〕<ref>この王仁三郎の返答には疑問もある。〈三十一年の四月、旧の四月の八日頃だと覚えて居りますが〉と言っているが、それでは高熊山修業の後ということになる。王仁三郎の記憶違い・言い間違いか? それとも記録の誤字か?</ref>
この公判記録の中に「若錦」の名は出ない。
霊界物語によると「河内屋(河内屋勘吉)」と「若錦」は別人である。{{rm|37|5|松の下}}:〈斯う云ふ事が何回も重なり、河内屋や若錦の身内から敵視されて、八九回も大喧嘩が始まり、何時も喜楽は袋叩きにやられ勝であつた。〉
(3) 明治37年に著された本教創世記{{obc|B195301c18|第12章}}に、高熊山修業後の、人を集めて幽斎修業をしていた時期に、小幡神社にて「若錦」こと「八田弥三郎」に襲撃されたというエピソードがある。修業前夜に襲撃されてから数ヶ月しか経っていないはずだが、〈彼らが余を怨んで襲撃するのは合点が行かぬ〉など、記述に不審な点がある。
{{obc|B195301c09|第3章}}には〈このたびは神の御告げに従いて、'''深夜に一週間、高熊山と云う奥山に通い'''、鎮魂と帰神術とを一心不乱に勉強し、ついに神人感合の妙境に達することを得たるなり。〉と書かれている。つまり、霊界物語では一週間山に籠っていたことになっているが、本教創世記では、通っていたというので、事実が相違する。
== 脚注 ==
<references/>


{{デフォルトソート:*}}
{{デフォルトソート:*}}
[[Category:人物]]
[[Category:人物]]
[[Category:霊界物語の人物]]
[[Category:霊界物語の人物]]