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[[ファイル:金竜海(大正5年).jpg|thumb|金竜海。大正5年撮影。]] | |||
[[ファイル:金竜海を造営している(大正3年).jpg|thumb|造営中の金竜海。大正3年9月撮影。]] | |||
[[ファイル:大本男嶋・女嶋(絵葉書).jpg|thumb|冠島(左)と沓島(右)。]] | |||
[[ファイル:金竜海1.jpg|thumb|金竜海]] | |||
'''金竜海'''(きんりゅうかい)は、綾部の大本の神苑([[梅松苑]])にある人口の池。 | '''金竜海'''(きんりゅうかい)は、綾部の大本の神苑([[梅松苑]])にある人口の池。 | ||
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綾部町の排水・防火・灌漑用の用水池が、[[本宮山]]山麓に造られてあり、[[質山]]から引いた水が貯えられてあった。そこから町へ水を落とすため、大本の敷地内を通させて欲しいと交渉に来た。それによって、用水池から金竜海に水路が掘られ、金竜海に水が満たされることになった。<ref name="B138910c09">『大地の母 第10巻』「{{obc|B138910c09|十万道}}」</ref> | 綾部町の排水・防火・灌漑用の用水池が、[[本宮山]]山麓に造られてあり、[[質山]]から引いた水が貯えられてあった。そこから町へ水を落とすため、大本の敷地内を通させて欲しいと交渉に来た。それによって、用水池から金竜海に水路が掘られ、金竜海に水が満たされることになった。<ref name="B138910c09">『大地の母 第10巻』「{{obc|B138910c09|十万道}}」</ref> | ||
『[[大本年表]]』によると、水が満たされた日は大正3年(1914年)11月16日だが、資料によっては異なることが書いてある。 | |||
# 『[[聖師伝]]』には、第一期工事の最中に町から交渉があり、工事が終わった後に「水がまんまんとたたえられ」たと書いてあるので、大正3年(1914年)9月23日の第一期工事竣成の直後ということになる。<ref>『聖師伝』「{{obc|B100800c21|21 神苑の拡張と造営}}」</ref> | # 『[[聖師伝]]』には、第一期工事の最中に町から交渉があり、工事が終わった後に「水がまんまんとたたえられ」たと書いてあるので、大正3年(1914年)9月23日の第一期工事竣成の直後ということになる。<ref>『聖師伝』「{{obc|B100800c21|21 神苑の拡張と造営}}」</ref> | ||
# 『[[大本七十年史]] | # 『[[大本年表]]』には大正3年11月14日から貯水作業が開始され11月16日にそれが完了したことが記されている<ref>大本年表の大正3年11月14日の項「11・14 本日より金竜海貯水のため、二六名の役員信者昼夜兼行の活動。(11・16了)」</ref>。『[[大本七十年史]]』には、「一一月一六日作業のおわると同時に、ちょうど町の通水路ができ、その最初の水が流入して池に満水した」<ref name="B195401c2122" />と書いてあり、大正3年(1914年)11月16日ということになる。 | ||
# 『[[大地の母]]』では、大正3年(1914年)11月20日に[[千家尊福]]が来綾した場面ではまだ水が入っていない<ref>『大地の母』「{{obc|B138910c05|金神の篭池}}」:「一行は王仁三郎の案内で、まだ水の入らぬ金龍海を見、未完成の神苑内を歩き回る」</ref>。大正4年(1915年)3月5日(五女・[[尚江]]の誕生)以降、5月7日([[大槻米]]の帰幽)の間に、水が入ったエピソードが書いてある<ref name="B138910c09" />。 | |||
# 『[[新月の光]]』には、池(金竜海)が「完全に出来あがるという三日ほど前になって、突然町の方から」水を通させて欲しいと頼みに来て、「三年越しの疑問の種であった金竜海の水の問題は解決された」と書いてあるので、大正5年(1916年)3月19日の第三期工事竣成の際に水が引かれたということになる。<ref>『新月の光』0014「{{obc|B107300c0014|金竜海の注ぎ水}}」</ref> | # 『[[新月の光]]』には、池(金竜海)が「完全に出来あがるという三日ほど前になって、突然町の方から」水を通させて欲しいと頼みに来て、「三年越しの疑問の種であった金竜海の水の問題は解決された」と書いてあるので、大正5年(1916年)3月19日の第三期工事竣成の際に水が引かれたということになる。<ref>『新月の光』0014「{{obc|B107300c0014|金竜海の注ぎ水}}」</ref> | ||
# ローマン・ドブジンスキー<ref>元ポーランド国営放送制作局長、元世界エスペラント協会副会長、現世界エスペラント協会名誉会長</ref>著、矢野裕巳・和訳『Rakontoj el Oomoto(大本物語)』<ref>[[天声社]]、2013年頃の刊行</ref>第17章<ref>[http://www.epa.jp/pg284.html EPA公式サイト内](2019/11/18閲覧)</ref>には「1917年11月16日、市の顧問達それぞれが、大本へお願いにやってきました。願いが受け入れられ、やがて、建設作業が始まりました。水のない池もまた、底から水が満ちた池になりました」とあるので、大正6年(1917年)11月16日以降に水が入ったことになる。 | |||
このように資料によって諸説ある。 | |||
== 構造 == | == 構造 == | ||
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== 破壊と再建 == | == 破壊と再建 == | ||
[[ファイル:金竜海の案内板2019.jpg|thumb|現在の金竜海の案内板。平成31年(2019年)4月撮影。]] | |||
[[第二次大本事件]]により、神苑は跡形もなく破壊された。金竜海は埋めて整地され、何鹿郡設グランドが作られた。<ref name="B195402c6232">『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c6232|建造物破却の命令}}」</ref> <ref name="B195402c6331">『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c6331|信仰の護持}}」</ref> | [[第二次大本事件]]により、神苑は跡形もなく破壊された。金竜海は埋めて整地され、何鹿郡設グランドが作られた。<ref name="B195402c6232">『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c6232|建造物破却の命令}}」</ref> <ref name="B195402c6331">『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c6331|信仰の護持}}」</ref> | ||
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== 金竜海の島や神社 == | == 金竜海の島や神社 == | ||
[[ファイル:綾部の大八洲神社(絵葉書).jpg|thumb|金竜海の中の[[大八洲神社]]。]] | |||
[[ファイル:金竜神社・三社大神・護国神社・三柱神社(絵葉書).jpg|thumb|金竜海の横(南側)にあった社。右から[[金竜神社]]、[[三社神社]]、[[護国神社]]、[[御柱神社]]。]] | |||
* [[大八洲]](神島)、[[大八洲神社]] | * [[大八洲]](神島)、[[大八洲神社]] | ||
* [[六合大島]]、[[六合大神社]] | * [[六合大島]]、[[六合大神社]] | ||
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<references/> | <references/> | ||
[[Category:湖沼 | {{デフォルトソート:きんりゆうかい}} | ||
[[Category:霊界物語の湖沼 | [[Category:金竜海|*]] | ||
[[Category:梅松苑]] | |||
[[Category:湖沼]] | |||
[[Category:霊界物語の湖沼]] |