ページの作成:「'''筆の雫'''(ふでのしずく)は、出口王仁三郎の著述。明治36年(1903年)に執筆された。 == 概要 == {{inyou|『筆の雫』は、一九〇三(明治三六)年七月一九日から執筆され、翌年一月八日に脱稿されたものである。著作当時の原本はいまはない。現存する後年の写本では、ゆきづまった世情を批判し、人生の本義を示し、国祖が出現して世界を立…」
 
編集の要約なし
 
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
5行目: 5行目:
{{inyou|『筆の雫』は、一九〇三(明治三六)年七月一九日から執筆され、翌年一月八日に脱稿されたものである。著作当時の原本はいまはない。現存する後年の写本では、ゆきづまった世情を批判し、人生の本義を示し、国祖が出現して世界を立替えねばならぬ理由として、「艮の金神様のおかまひなさる松の世のやりかたは、兵士もいらぬ戦争もなきやうに、天下泰平におさまるようになる」と戦争を否定し、運不運のない社会を造らねばならぬとのべ、また、「天地がかへると云うのはみたまのことで、何事も精神的に解釈せよ。戦争や天災だけで、立替えは出来るものでない」と、とかれている。| 『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1711|著作と布教}}」 }}
{{inyou|『筆の雫』は、一九〇三(明治三六)年七月一九日から執筆され、翌年一月八日に脱稿されたものである。著作当時の原本はいまはない。現存する後年の写本では、ゆきづまった世情を批判し、人生の本義を示し、国祖が出現して世界を立替えねばならぬ理由として、「艮の金神様のおかまひなさる松の世のやりかたは、兵士もいらぬ戦争もなきやうに、天下泰平におさまるようになる」と戦争を否定し、運不運のない社会を造らねばならぬとのべ、また、「天地がかへると云うのはみたまのことで、何事も精神的に解釈せよ。戦争や天災だけで、立替えは出来るものでない」と、とかれている。| 『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1711|著作と布教}}」 }}


単行本化はされてない。『[[新月の光]]』によると王仁三郎が出版を許可しなかった。〈天声社から昭和六年頃に、聖師が明治三十六年に執筆された『筆のしづ九』をまとめて出版させて頂きたいとお願いしたら「『筆のしづ九』は出版しないように」とお許しが出ませんでした。(波田野義之氏拝聴)〉<ref>『新月の光』0162「筆のしづ九(聖師執筆)」</ref>。
単行本化はされてない。『[[新月の光]]』によると王仁三郎が出版を許可しなかった。〈天声社から昭和六年頃に、聖師が明治三十六年に執筆された『筆のしづ九』をまとめて出版させて頂きたいとお願いしたら「『筆のしづ九』は出版しないように」とお許しが出ませんでした。([[波田野義之]]氏拝聴)〉<ref>『新月の光』0162「筆のしづ九(聖師執筆)」</ref>。


公開されているものは、次の2種ある。内容は一部重複があるものの、全く同一ではない。
公開されているものは、次の2種ある。内容は一部重複があるものの、全く同一ではない。
22行目: 22行目:
{{inyou| 『筆のしづく』の大部分は、明治三十六年七~九月に綾部の大本本部で書かれ、ごく一部が同年十月以降翌年一月はじめまでの期間に書かれた。明治期の王仁三郎の社会思想を知るうえで、もっとも重要な文献であろう。第一~八巻、第十三~十六巻の写本が大本本部に所蔵されており、本書ではそれを底本とした。そのうち、第六巻と第八巻はきわめて短いが、もとからそうだったのかどうかわからない。本書には、第一~四巻・第十六巻の全文と、第七巻・第十四巻・第十五巻からいろは歌、高利貸し批判と普選を主張した部分の抄出を収めた。
{{inyou| 『筆のしづく』の大部分は、明治三十六年七~九月に綾部の大本本部で書かれ、ごく一部が同年十月以降翌年一月はじめまでの期間に書かれた。明治期の王仁三郎の社会思想を知るうえで、もっとも重要な文献であろう。第一~八巻、第十三~十六巻の写本が大本本部に所蔵されており、本書ではそれを底本とした。そのうち、第六巻と第八巻はきわめて短いが、もとからそうだったのかどうかわからない。本書には、第一~四巻・第十六巻の全文と、第七巻・第十四巻・第十五巻からいろは歌、高利貸し批判と普選を主張した部分の抄出を収めた。


 本書の底本は、第一~四巻は、大正十五年に[[成瀬勝男]]が写したもの、第十五巻と第十六巻は、大正十三年に[[谷川常清]]が写したもの、他のものも同じころの写本であろう。そのころ、大本には[[史実課]]が設けられ、その仕事としてこれらの写本がつくられたのである。これらの写本の底本は、一部は[[湯浅斎治郎]]と[[西田元教]]所蔵の写本であったことが明記されているが、大部分はなにも記されていない。西田は王仁三郎の義弟で、明治三十年代の王仁三郎にもっとも忠実だった人物であり、湯浅は明治末期の王仁三郎がもっとも信頼していた信者である。おそらく、これらの人々が王仁三郎の原本から写したものが、大正期にふたたび写されたのであろう。
 本書の底本は、第一~四巻は、大正十五年に[[成瀬勝勇]]が写したもの、第十五巻と第十六巻は、大正十三年に[[谷川常清]]が写したもの、他のものも同じころの写本であろう。そのころ、大本には[[史実課]]が設けられ、その仕事としてこれらの写本がつくられたのである。これらの写本の底本は、一部は[[湯浅斎治郎]]と[[西田元教]]所蔵の写本であったことが明記されているが、大部分はなにも記されていない。西田は王仁三郎の義弟で、明治三十年代の王仁三郎にもっとも忠実だった人物であり、湯浅は明治末期の王仁三郎がもっとも信頼していた信者である。おそらく、これらの人々が王仁三郎の原本から写したものが、大正期にふたたび写されたのであろう。


 『筆のしづく』は、ごく一部が雑誌「神霊界」に発表されたほか、タイプ印刷やガリ刷りによってごく狭い範囲の人々に配布された。しかし、それも全部ではなく、またやや省略された伝本によったものもある。
 『筆のしづく』は、ごく一部が雑誌「神霊界」に発表されたほか、タイプ印刷やガリ刷りによってごく狭い範囲の人々に配布された。しかし、それも全部ではなく、またやや省略された伝本によったものもある。


 したがって、まとまった形で公刊されるのは、本書がはじめてである。|『[[出口王仁三郎著作集]] 第二巻』414頁 }}
 したがって、まとまった形で公刊されるのは、本書がはじめてである。|『[[出口王仁三郎著作集]] 第二巻』414頁 }}
== 関連項目 ==
* [[出口王仁三郎の著述]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==