「第三次大本事件」の版間の差分
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【社会への影響】 | 【社会への影響】 | ||
大本の内紛は教団外へもいろいろな影響を与えている。戦前二度の弾圧を喰らった教団が今度は内紛で揺れているというスキャンダルリズム的好奇心からジャーナリズムが飛びついたり、宗教団体の封建的体質に信徒が異議申し立てをしているという民主主義的観点から学者や社会活動家が注目したりした。『[[大地の母]] | 大本の内紛は教団外へもいろいろな影響を与えている。戦前二度の弾圧を喰らった教団が今度は内紛で揺れているというスキャンダルリズム的好奇心からジャーナリズムが飛びついたり、宗教団体の封建的体質に信徒が異議申し立てをしているという民主主義的観点から学者や社会活動家が注目したりした。『[[大地の母]]』の著者として教団外でも知名度が高い[[出口和明]]は、外部の団体から講演等に招かれることも多かった。 | ||
オニペディアの「[[雑誌記事一覧]]」に収集された情報<ref>主に大宅壮一文庫で採録した情報であり、主要な雑誌の記事はほとんど掲載されているはずである。</ref>によると、第三次大本事件前後の年代別記事件数は次のようになる。 | オニペディアの「[[雑誌記事一覧]]」に収集された情報<ref>主に大宅壮一文庫で採録した情報であり、主要な雑誌の記事はほとんど掲載されているはずである。</ref>によると、第三次大本事件前後の年代別記事件数は次のようになる。 | ||
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* 平成4年(1992年)から平成30年(2018年)までの26年間で47件(年1.8件) | * 平成4年(1992年)から平成30年(2018年)までの26年間で47件(年1.8件) | ||
つまり80年代の第三次大本事件の期間は、雑誌記事数が大きく増加していることが分かる。内紛という騒動が外部メディアで報道されることは信徒にとって恥ずかしいことであったが、それによって世間は大本を「再発見」したり、新たに王仁三郎という人物を知るきっかけにもなった。 | |||
【多様化】 | 【多様化】 | ||
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書籍だけでなく、王仁三郎の肉声レコードをカセットテープやCDにしたものも、愛善世界社や愛善苑から頒布されている。 | 書籍だけでなく、王仁三郎の肉声レコードをカセットテープやCDにしたものも、愛善世界社や愛善苑から頒布されている。 | ||
これらの書籍等はいずれも内紛で組織が分裂しなかったら、世に出ることはなかった。現在の[[天声社]] | これらの書籍等はいずれも内紛で組織が分裂しなかったら、世に出ることはなかった。現在の[[天声社]]が扱わない出版物が、追放された信徒たちによって出版されたことになる。これはそれぞれの組織の経営方針が異なるからである。教団の経営権をめぐる紛争は最終的に組織分裂によってそれぞれの経営理念を追求することが可能になった。それは次に記すように、信仰者個人も、組織の方針に関わらず自由に宗教活動ができる状況になったことを意味する。 | ||
平成11年(1999年)に王仁三郎の著作権が消滅した後、平成15年(2003年)から非信徒の[[飯塚弘明]]が霊界物語等を電子化してインターネット上で公開するようになった。飯塚によると、仮に大本が分裂しておらず霊界物語がただ一つの宗教団体の教典という位置づけであったら、たとえ著作権法的に合法であったとしても、インターネットで公開するようなことはしていなかったという。一教団が専有している教典を部外者が出版するということは、たとえ合法でも心理的に行いづらく、分裂によって「王仁三郎が宗教団体から解放された」と感じたので、公開を決意したのだという。 | 平成11年(1999年)に王仁三郎の著作権が消滅した後、平成15年(2003年)から非信徒の[[飯塚弘明]]が霊界物語等を電子化してインターネット上で公開するようになった。飯塚によると、仮に大本が分裂しておらず霊界物語がただ一つの宗教団体の教典という位置づけであったら、たとえ著作権法的に合法であったとしても、インターネットで公開するようなことはしていなかったという。一教団が専有している教典を部外者が出版するということは、たとえ合法でも心理的に行いづらく、分裂によって「王仁三郎が宗教団体から解放された」と感じたので、公開を決意したのだという。 | ||
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== 略年表 == | == 略年表 == | ||
この年表は『[[大本略年表]]』『[[第三次大本事件の真相]] | この年表は『[[大本略年表]]』『[[第三次大本事件の真相]]』『[[大本年表]](まつのよ第6号付録)』を主な資料として作成した。 | ||
分裂後の出来事については、どのグループの出来事なのか区別が付くように、項目の頭に (連)守る会・大本信徒連合会 (愛)いづとみづの会・愛善苑 と入れた。 | 分裂後の出来事については、どのグループの出来事なのか区別が付くように、項目の頭に (連)守る会・大本信徒連合会 (愛)いづとみづの会・愛善苑 と入れた。 | ||
| 210行目: | 210行目: | ||
** 11月2日:出口直美への建物明け渡し訴訟の最高裁判決が出る。上告棄却。<ref name="o347" /> | ** 11月2日:出口直美への建物明け渡し訴訟の最高裁判決が出る。上告棄却。<ref name="o347" /> | ||
== | == 予言 == | ||
* 王仁三郎は第二次事件の保釈出所後に「大本事件は松竹梅事件だ。第三次は竹だ」と言って、三度目の事件があることを予言していた。[[第一次大本事件]]は大阪・梅田の[[大正日日新聞社]]で王仁三郎は検挙された。[[第二次大本事件]]は島根の[[松江別院]] | * 王仁三郎は第二次事件の保釈出所後に「大本事件は松竹梅事件だ。第三次は竹だ」と言って、三度目の事件があることを予言していた。[[第一次大本事件]]は大阪・梅田の[[大正日日新聞社]]で王仁三郎は検挙された。[[第二次大本事件]]は島根の[[松江別院]]で王仁三郎は検挙された。第三次大本事件は兵庫県の竹田に新たに[[主会]](地方機関)を作ろうとして火がついた<ref>昭和55年(1980年)に執行部側で、三丹主会から分離独立して「宮垣主会」を作ろうとしたことが、反執行部側で問題視された。結局同年8月7日に宮垣分苑が設立された。</ref>。<ref>[https://www.omt.gr.jp/o40 三度目の事件] - 大本信徒連合会公式サイト</ref> <ref>『[[第三次大本事件の真相]]』214頁</ref> | ||
== 主な参考文献 == | == 主な参考文献 == | ||