「霊界物語」の版間の差分

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物語の内容は、王仁三郎が明治31年の[[高熊山修業]]の際に霊界で見聞した出来事である。太古の神代の地球を舞台に、[[国祖]]が隠退に至る経緯(第1~4巻)と、国祖隠退後の世界で[[五六七の世]]を建設するための[[三五教]]の[[宣伝使]]たちの活躍(第5巻~)が描かれる。その世界救済の経綸の中心にいるのは[[神素盞嗚大神]](以下「素尊」)であり、霊界物語の主人公は素尊だと言える。しかし実際には素尊はあまり登場しない。それぞれのエピソードごとに主役格の登場人物がおり、ドラマが展開して行く。また、太古の神代の物語だけではなく、王仁三郎の青年時代の自叙伝(第37~38巻)や大正13年の蒙古入りの記録([[入蒙記]])、[[神諭]]や[[祝詞]](どちらも[[第60巻]])、[[讃美歌]](第61~62巻)なども収録されている。
物語の内容は、王仁三郎が明治31年の[[高熊山修業]]の際に霊界で見聞した出来事である。太古の神代の地球を舞台に、[[国祖]]が隠退に至る経緯(第1~4巻)と、国祖隠退後の世界で[[五六七の世]]を建設するための[[三五教]]の[[宣伝使]]たちの活躍(第5巻~)が描かれる。その世界救済の経綸の中心にいるのは[[神素盞嗚大神]](以下「素尊」)であり、霊界物語の主人公は素尊だと言える。しかし実際には素尊はあまり登場しない。それぞれのエピソードごとに主役格の登場人物がおり、ドラマが展開して行く。また、太古の神代の物語だけではなく、王仁三郎の青年時代の自叙伝(第37~38巻)や大正13年の蒙古入りの記録([[入蒙記]])、[[神諭]]や[[祝詞]](どちらも[[第60巻]])、[[讃美歌]](第61~62巻)なども収録されている。


* →あらすじを知りたい場合は「[[霊界物語のあらすじ]]」
* あらすじを知りたい場合は→「[[霊界物語のあらすじ]]」
* →出版社ごとの特徴を知りたい場合は「[[霊界物語の諸本]]」
* 出版社ごとの特徴を知りたい場合は→「[[霊界物語の諸本]]」


== 概要 ==
== 概要 ==
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* 霊界物語は全部で120巻になる予定だった。<ref>{{rm09|1|9901|附記}}:「霊界物語は総計壱百二十巻をもつて完成する予定になつてをります」:この附記は初版(大正10年12月刊)には記されていない。第六版(大正14年2月刊)にはある。</ref> <ref>{{rm09|73|0001|序文}}:「予定の百二十巻を」</ref> <ref>機関誌・機関紙や霊界物語巻末に掲載されている霊界物語の広告にも「全百二十巻」と記されている。(たとえば『真如能光』大正14年(1925年)11月15日号裏表紙の広告)</ref>
* 霊界物語は全部で120巻になる予定だった。<ref>{{rm09|1|9901|附記}}:「霊界物語は総計壱百二十巻をもつて完成する予定になつてをります」:この附記は初版(大正10年12月刊)には記されていない。第六版(大正14年2月刊)にはある。</ref> <ref>{{rm09|73|0001|序文}}:「予定の百二十巻を」</ref> <ref>機関誌・機関紙や霊界物語巻末に掲載されている霊界物語の広告にも「全百二十巻」と記されている。(たとえば『真如能光』大正14年(1925年)11月15日号裏表紙の広告)</ref>
** 最初は神に、360字詰め原稿用紙400枚を1巻とし、36巻を1集として48集、つまり1728巻口述せよと命じられたが、それでは1年に1集ずつ口述したとしても48年間を要するので、神界にお願いして120巻にしてもらった<ref>{{rm09|37|0001|序}}(大正11年10月著)</ref>。
** 最初は神に、360字詰め原稿用紙400枚を1巻とし、36巻を1集として48集、つまり1728巻口述せよと命じられたが、それでは1年に1集ずつ口述したとしても48年間を要するので、神界にお願いして120巻にしてもらった<ref>{{rm09|37|0001|序}}(大正11年10月著)</ref>。
** 第5巻には、全5巻で終わる予定だったと記されている。<ref>{{rm09|5|1|序文}}(大正11年1月著):「この霊界物語は、全部五巻にて述べ終る予定でありました。しかしなるべく細かくやつてくれとの筆録者の希望でありますから、第四巻あたりからややその方針をかへて、なるべく詳細に物語ることとしました。 それがため予定の第五巻にて、神界、幽界の物語を終ることは、到底出来なくなつてきました」</ref>
** 第5巻には、全5巻で終わる予定だったと記されている。<ref>{{rm09|5|0001|序文}}(大正11年1月著):「この霊界物語は、全部五巻にて述べ終る予定でありました。しかしなるべく細かくやつてくれとの筆録者の希望でありますから、第四巻あたりからややその方針をかへて、なるべく詳細に物語ることとしました。 それがため予定の第五巻にて、神界、幽界の物語を終ることは、到底出来なくなつてきました」</ref>
** 第8巻には、全12冊で終わる予定だったと記されている。<ref>{{rm09|8|1|序文}}(大正11年2月著):「総じてこの霊界物語は、口述の最初に当り五百六十七節にて完成する考へを以て、一冊を五十節に刻み全十二冊の予定のところ、到底是にてはその一部分をも講了すべからざるを覚り、本巻よりは一冊五十章組の規定を破り、口の車の行き突きばつたりに歩を進むる事と致しました」</ref>
** 第8巻には、全12冊で終わる予定だったと記されている。<ref>{{rm09|8|1|序文}}(大正11年2月著):「総じてこの霊界物語は、口述の最初に当り五百六十七節にて完成する考へを以て、一冊を五十節に刻み全十二冊の予定のところ、到底是にてはその一部分をも講了すべからざるを覚り、本巻よりは一冊五十章組の規定を破り、口の車の行き突きばつたりに歩を進むる事と致しました」</ref>
** [[第二次大本事件]]で投獄されていた王仁三郎は側近に手紙を出し(時期不明)、タイプライターを習っておくようにと命じた。出獄後、霊界物語の残り39巻を口述するつもりだったようである。<ref>王仁三郎の側近・[[三浦玖仁子]]の回想記『[[花いろいろ]]』p41-42:「ある日のことです。聖師さまからお便りを通し、「わしはタイプが必要だからタイプを習っておいてくれ」とのお指図を頂戴したのです。私は、さっそく藪内家(編注・この当時、三浦は京都の藪内家に住んでいた)から市内のYMCAへタイプを習いに通いました。あとで伺ったことですが、聖師さまは─刑務所から出てから、あと四十巻ほど物語を出す─ご予定だったのです。その内容は─刑務所の中のことを面白く風刺して書く─はずであったのです。そのためにタイプを勉強しておくようにお命じになったのですが、結局、そのご計画も、ご無理がたたり実現するにいたりませんでした」。このエピソードの直後に昭和15年(1940年)2月29日の第一審判決のことが記されているので、昭和11~14年の間のエピソードか?</ref> <ref>和文タイプライターは大正4年(1915年)に商品化されている。</ref>
** [[第二次大本事件]]で投獄されていた王仁三郎は側近に手紙を出し(時期不明)、タイプライターを習っておくようにと命じた。出獄後、霊界物語の残り39巻を口述するつもりだったようである。<ref>王仁三郎の側近・[[三浦玖仁子]]の回想記『[[花いろいろ]]』p41-42:「ある日のことです。聖師さまからお便りを通し、「わしはタイプが必要だからタイプを習っておいてくれ」とのお指図を頂戴したのです。私は、さっそく藪内家(編注・この当時、三浦は京都の藪内家に住んでいた)から市内のYMCAへタイプを習いに通いました。あとで伺ったことですが、聖師さまは─刑務所から出てから、あと四十巻ほど物語を出す─ご予定だったのです。その内容は─刑務所の中のことを面白く風刺して書く─はずであったのです。そのためにタイプを勉強しておくようにお命じになったのですが、結局、そのご計画も、ご無理がたたり実現するにいたりませんでした」。このエピソードの直後に昭和15年(1940年)2月29日の第一審判決のことが記されているので、昭和11~14年の間のエピソードか?</ref> <ref>和文タイプライターは大正4年(1915年)に商品化されている。</ref>
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== 著述の様子 ==
== 著述の様子 ==
[[ファイル:第10巻総説歌の直筆原稿.jpg|thumb|[[霊界物語]]{{rm09|10|0003|総説歌}}の原稿。[[王仁三郎]]の直筆。]]
[[ファイル:第10巻総説歌の直筆原稿.jpg|thumb|[[霊界物語]]{{rm09|10|0003|総説歌}}の原稿。[[王仁三郎]]の直筆。]]
[[ファイル:霊界物語を口述する出口王仁三郎(大正11年).jpg|thumb|霊界物語の口述風景。口述台の上に横臥している王仁三郎。[[由良]]の[[秋田別荘]]にて。]]
[[ファイル:秋田別荘で口述する出口王仁三郎.jpg|thumb|霊界物語の口述風景。口述台の上に横臥している王仁三郎。[[由良]]の[[秋田別荘]]にて。]]


* 200字詰め(1行20字詰め×10行)の原稿用紙が使われた。(写真参照)
* 200字詰め(1行20字詰め×10行)の原稿用紙が使われた。(写真参照)
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== 著述期間 ==
== 著述期間 ==


王仁三郎は大正10年(1921年)10月18日(旧9月18日)から口述を開始し、同12年5月までの20ヶ月間は毎月、月の大半を費やして口述を行い、第63巻までの口述を終えた<ref>ただし第1巻は第12章までは機関誌『[[神霊界]]』大正10年2月に掲載された「[[回顧録]]」を元に書き直したものである。</ref>。この63巻までの平均口述日数は約4.8日で、最短では2日間で口述を終えている([[第46巻]])。(全巻の平均口述日数もやはり約4.8日である。→「[[#口述日数]]」)
王仁三郎は大正10年(1921年)10月18日(旧9月18日)から口述を開始し、同12年5月までの20ヶ月間は毎月、月の大半を費やして口述を行い、第63巻までの口述を終えた<ref>ただし第1巻は第12章までは機関誌『[[神霊界]]』大正10年2月に掲載された「[[回顧録]]」を元に書き直したものである。</ref>。この63巻までの平均口述日数は約4.8日で、最短では2日間で口述を終えている([[第46巻]])。(全巻の平均口述日数もやはり約4.8日である。→「[[霊界物語の口述日と初版発行日#口述日数]]」)


同12年7月以降はペースが落ち、[[蒙古入り]]と帰国後の収監(同13年2月から11月まで)などもあって口述しない期間が続き、同15年7月までに11巻(現在の巻番号だと第64巻上下から第72巻までと[[入蒙記]]を入れた11冊)を終えた。
同12年7月以降はペースが落ち、[[蒙古入り]]と帰国後の収監(同13年2月から11月まで)などもあって口述しない期間が続き、同15年7月までに11巻(現在の巻番号だと第64巻上下から第72巻までと[[入蒙記]]を入れた11冊)を終えた。
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約9年後の昭和8年(1933年)10月4日(旧8月15日)から[[天祥地瑞]]の口述が開始され、翌9年8月15日(旧7月6日)までに第73~81巻の9巻が口述された。
約9年後の昭和8年(1933年)10月4日(旧8月15日)から[[天祥地瑞]]の口述が開始され、翌9年8月15日(旧7月6日)までに第73~81巻の9巻が口述された。


霊界物語の著述に費やされた歳月はざっくり言って、大正10年(1921年)10月から大正15年(1926年)7月までの4年9ヶ月間と、昭和8年(1933年)10月から昭和9年(1934年)8月までの10ヶ月間の、合計'''5年7ヶ月間'''である。これは足掛けの歳月であり、日数の合計は'''393日間'''になる(→「[[#口述日数]]」)。
霊界物語の著述に費やされた歳月はざっくり言って、大正10年(1921年)10月から大正15年(1926年)7月までの4年9ヶ月間と、昭和8年(1933年)10月から昭和9年(1934年)8月までの10ヶ月間の、合計'''5年7ヶ月間'''である。これは足掛けの歳月であり、日数の合計は'''393日間'''になる。


 →詳細は「[[#各巻の口述日と初版発行日]]」を見よ
 '''→詳細は'''「[[霊界物語の口述日と初版発行日]]


* 通巻第567章({{rm|14|17|一寸一服}})は大正11年(1922年)3月25日(旧2月27日)に口述した。この第14巻は旧2月25日・26日・27日の三日間で口述した(日付の一桁目が5・6・7になっている)。
* 通巻第567章({{rm|14|17|一寸一服}})は大正11年(1922年)3月25日(旧2月27日)に口述した。この第14巻は旧2月25日・26日・27日の三日間で口述した(日付の一桁目が5・6・7になっている)。
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== 輯巻篇章 ==
== 輯巻篇章 ==
霊界物語は12巻を一組として「輯」と呼び、1巻ごとに十二支の名前が与えられている。たとえば第1巻は「霊主体従 子の巻」と呼ばれる。
霊界物語は12巻を一組として「'''輯'''(しゅう)」と呼び、1巻ごとに十二支の名前が与えられている。たとえば第1巻は「霊主体従 子の巻」と呼ばれる。


各巻は数個の「篇」に分かれ、その篇はさらに数個の「章」に分かれている。
一つの「'''巻'''」が1冊の書籍として刊行されているが、[[第64巻]]だけは上下の2冊ある。
 
各巻は数個の「'''篇'''」に分かれ、その篇はさらに数個の「'''章'''」に分かれている。


霊界物語は全7輯、全81巻(全83冊)、全369篇、全2108章によって構成されている。
霊界物語は全7輯、全81巻(全83冊)、全369篇、全2108章によって構成されている。


 →詳細は「[[霊界物語の輯巻篇章]]」
 '''→詳細は'''「[[霊界物語の輯巻篇章]]」


{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
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|}
|}
(注)山河草木に巻外の特別篇として「[[入蒙記]]」が入っており、また[[第64巻]]が上・下の2冊あるので14冊になる。
(注)山河草木に巻外の特別篇として「[[入蒙記]]」が入っており、また[[第64巻]]が上・下の2冊あるので14冊になる。
== 各巻の口述日と初版発行日 ==
次の表は、霊界物語各巻の口述日、口述日数、初版の発行日をまとめたものである。
* 口述日は、序文や総説などを除いた本文のみの口述日(各章の末尾に記してあるもの)である。過去に機関誌に掲載されたものや、講演録なども除いてある。(詳細は各巻の脚注を参照)
* 口述日が不明な章が9章ある。(第6巻第28章、第60巻第14~19章、第61巻第4~5章)
* [[入蒙記]]は、最初は霊界物語第67巻として口述された<ref>{{rm09|68|0001|序文}}:「霊界物語第六十七巻として蒙古入の梗概を口述し」</ref>。しかし霊界物語としては出版されず、[[上野公園]](王仁三郎の筆名)著『[[王仁蒙古入記]]』という単行本として大正14年(1925年)2月に刊行された。その後、大幅に改訂されたものが、昭和10年(1935年)4月に刊行された『[[出口王仁三郎全集]] 第六巻』に「入蒙記」という題名で収録された。戦後、霊界物語の山河草木に番外の特別篇として加えられた。
* 再版以降の発行日は「[[霊界物語の戦前発行各版の発行日と校正日]]」に記した。
{| class="wikitable"
! 現在の<br>巻番号 !! 口述時の<br>巻番号 !! 口述日 !! 口述日数 !! 初版発行時の<br>巻番号 !! 初版発行日 !! 発行順序
|-
| [[第1巻|1]] || 1 || 大正10年10月18~26日<ref name="T101026" group="注A" /> <ref name="rm01memo" group="注A" /> || 9日間<ref name="rm01nissu" group="注A" /> || 1 || 大正10年12月30日 || 1
|-
| [[第2巻|2]] || 2 || 大正10年10月26~11月4日、6日、8日、9日<ref name="T101026" group="注A" /> || 13日間 || 2 || 大正11年1月27日 || 2
|-
| [[第3巻|3]] || 3 || 大正10年11月13~18日、20日、28日、29日、12月6~10日 || 14日間 || 3 || 大正11年3月3日 || 3
|-
| [[第4巻|4]] || 4 || 大正10年12月15~29日 || 15日間 || 4 || 大正11年3月30日 || 4
|-
| [[第5巻|5]] || 5 || 大正11年1月4~7日、9~14日 || 10日間 || 5 || 大正11年4月15日 || 5
|-
| [[第6巻|6]] || 6 || 大正11年1月16~18日、20~24日<ref name="rm06memo" group="注A" /> || 8日間 || 6 || 大正11年5月10日 || 6
|-
| [[第7巻|7]] || 7 || 大正11年1月30~2月2日 || 4日間 || 7 || 大正11年5月31日 || 7
|-
| [[第8巻|8]] || 8 || 大正11年2月6~10日 || 5日間 || 8 || 大正11年6月15日 || 8
|-
| [[第9巻|9]] || 9 || 大正11年2月12~17日 || 6日間 || 9 || 大正11年7月5日 || 9
|-
| [[第10巻|10]] || 10 || 大正11年2月19日、21~23日、25~27日 || 7日間 || 10 || 大正11年8月20日 || 11
|-
| [[第11巻|11]] || 11 || 大正11年2月28~3月1日、3日、4日<ref name="rm11memo" group="注A" /> || 4日間 || 11 || 大正11年9月10日 || 12
|-
| [[第12巻|12]] || 12 || 大正11年3月6~7日、9~11日<ref name="rm12memo" group="注A" /> || 5日間 || 12 || 大正11年9月30日 || 13
|-
| [[第13巻|13]] || 13 || 大正11年3月16~18日、20~21日 || 5日間 || 13 || 大正11年10月30日 || 14
|-
| [[第14巻|14]] || 14 || 大正11年3月23~25日 || 3日間 || 14 || 大正11年11月15日 || 15
|-
| [[第15巻|15]] || 15 || 大正11年3月31~4月4日<ref name="rm15memo" group="注A" /> || 5日間 || 15 || 大正11年12月5日 || 16
|-
| [[第16巻|16]] || 16 || 大正11年4月5日、14~16日 || 4日間 || 16 || 大正11年12月25日 || 17
|-
| [[第17巻|17]] || 17 || 大正11年4月21~23日 || 3日間 || 17 || 大正12年1月10日 || 18
|-
| [[第18巻|18]] || 18 || 大正11年4月24~26日、28日 || 4日間 || 18 || 大正12年2月10日 || 19
|-
| [[第19巻|19]] || 19 || 大正11年5月6~10日 || 5日間 || 19 || 大正12年2月28日 || 20
|-
| [[第20巻|20]] || 20 || 大正11年5月12~14日 || 3日間 || 20 || 大正12年3月15日 || 21
|-
| [[第21巻|21]] || 21 || 大正11年5月16~17日、19~21日 || 5日間 || 21 || 大正12年4月5日 || 22
|-
| [[第22巻|22]] || 22 || 大正11年5月24~28日 || 5日間 || 22 || 大正11年7月30日 || 10<ref name="rm22memo" group="注A" />
|-
| [[第23巻|23]] || 23 || 大正11年6月10~13日 || 4日間 || 23 || 大正12年4月19日 || 23
|-
| [[第24巻|24]] || 24 || 大正11年6月14日、7月2~3日、5日 || 4日間 || 24 || 大正12年5月10日 || 24
|-
| [[第25巻|25]] || 25 || 大正11年7月7~8日、10~12日 || 5日間 || 25 || 大正12年5月25日 || 25
|-
| [[第26巻|26]] || 26 || 大正11年7月17~20日 || 4日間 || 26 || 大正12年6月5日 || 26
|-
| [[第27巻|27]] || 27 || 大正11年7月22~25日、27~28日 || 6日間 || 27 || 大正12年6月20日 || 27
|-
| [[第28巻|28]] || 28 || 大正11年8月6日、8~10日 || 4日間 || 28 || 大正12年8月10日 || 28
|-
| [[第29巻|29]] || 29 || 大正11年8月11~13日 || 3日間 || 29 || 大正12年9月3日 || 29
|-
| [[第30巻|30]] || 30 || 大正11年8月14~16日 || 3日間 || 30 || 大正12年9月15日 || 30
|-
| [[第31巻|31]] || 31 || 大正11年8月18~20日 || 3日間 || 31 || 大正12年9月15日 || 31
|-
| [[第32巻|32]] || 32 || 大正11年8月22~24日<ref name="T110824" group="注A" /> || 3日間 || 32 || 大正12年10月15日 || 32
|-
| [[第33巻|33]] || 33 || 大正11年8月24日<ref name="T110824" group="注A" />、26~29日、9月19日 || 6日間 || 33 || 大正12年11月10日 || 33
|-
| [[第34巻|34]] || 34 || 大正11年9月12~14日 || 3日間 || 34 || 大正12年12月10日 || 34
|-
| [[第35巻|35]] || 35 || 大正11年9月15~17日 || 3日間 || 35 || 大正12年12月25日<ref name="rm35memo" group="注A" /> || 35
|-
| [[第36巻|36]] || 36 || 大正11年9月21~24日 || 4日間 || 36 || 大正12年12月30日<ref name="rm36memo" group="注A" /> || 36
|-
| [[第37巻|37]] || 37 || 大正11年10月8~12日 || 5日間 || 37 || 大正13年3月3日 || 37
|-
| [[第38巻|38]] || 38 || 大正11年10月14~19日 || 6日間 || 38 || 大正13年4月3日 || 38
|-
| [[第39巻|39]] || 39 || 大正11年10月21~22日、27~29日 || 5日間 || 39 || 大正13年5月5日 || 40<ref name="rm39memo" group="注A" />
|-
| [[第40巻|40]] || 40 || 大正11年11月1~5日 || 5日間 || 40 || 大正13年5月25日 || 41
|-
| [[第41巻|41]] || 41 || 大正11年11月10~12日 || 3日間 || 41 || 大正13年6月15日 || 42
|-
| [[第42巻|42]] || 42 || 大正11年11月14~17日、24~25日 || 6日間 || 42 || 大正13年7月1日 || 43
|-
| [[第43巻|43]] || 43 || 大正11年11月26~28日 || 3日間 || 43 || 大正13年7月25日 || 44
|-
| [[第44巻|44]] || 44 || 大正11年12月7~9日 || 3日間 || 44 || 大正13年8月18日 || 45
|-
| [[第45巻|45]] || 45 || 大正11年12月11~13日 || 3日間 || 45 || 大正13年9月12日 || 46
|-
| [[第46巻|46]] || 46 || 大正11年12月15~16日 || 2日間 || 46 || 大正13年9月25日 || 47
|-
| [[第47巻|47]] || 47 || 大正12年1月8~10日 || 3日間 || 47 || 大正13年10月6日 || 48
|-
| [[第48巻|48]] || 48 || 大正12年1月12~14日<ref name="rm48memo" group="注A" /> || 3日間 || 48 || 大正13年10月25日 || 49
|-
| [[第49巻|49]] || 49 || 大正12年1月16日、18~19日 || 3日間 || 49 || 大正13年11月5日 || 50
|-
| [[第50巻|50]] || 50 || 大正12年1月20~21日、23日 || 3日間 || 50 || 大正13年12月7日 || 51
|-
| [[第51巻|51]] || 51 || 大正12年1月25~27日 || 3日間 || 51 || 大正13年12月29日 || 52
|-
| [[第52巻|52]] || 52 || 大正12年1月29~30日、2月9~10日 || 4日間 || 52 || 大正14年1月28日 || 53
|-
| [[第53巻|53]] || 53 || 大正12年2月12~14日 || 3日間 || 53 || 大正14年3月8日 || 55
|-
| [[第54巻|54]] || 54 || 大正12年2月21~23日 || 3日間 || 54 || 大正14年3月26日 || 56
|-
| [[第55巻|55]] || 55 || 大正12年2月26日、3月3~5日 || 4日間 || 55 || 大正14年3月30日 || 57
|-
| [[第56巻|56]] || 56 || 大正12年3月14日、16~17日 || 3日間 || 56 || 大正14年5月3日 || 58
|-
| [[第57巻|57]] || 57 || 大正12年3月24~26日 || 3日間 || 57 || 大正14年5月24日 || 59
|-
| [[第58巻|58]] || 58 || 大正12年3月28~30日 || 3日間 || 58 || 大正14年6月15日 || 60
|-
| [[第59巻|59]] || 59 || 大正12年4月1~3日 || 3日間 || 59 || 大正14年7月8日 || 61
|-
| [[第60巻|60]] || 60 || 大正12年4月5日、7日、25~27日、5月15日<ref name="T120515" group="注A" /> <ref name="rm60memo" group="注A" /> <ref name="rm60memo2" group="注A" /> || 6日間 || 60 || 大正14年8月12日 || 62
|-
| [[第61巻|61]] || 61 || 大正12年5月1~3日、5~6日、8~9日<ref name="T120509" group="注A" /> <ref name="rm61memo" group="注A" /> || 7日間 || 61 || 大正14年10月16日<ref name="rm61_62_64_70memo" group="注A" /> || 63
|-
| [[第62巻|62]] || 62 || 大正12年5月9~16日<ref name="T120509" group="注A" /> <ref name="T120515" group="注A" /> || 8日間 || 62 || 大正15年1月1日<ref name="rm61_62_64_70memo" group="注A" /> || 64
|-
| [[第63巻|63]] || 63 || 大正12年5月18日、24~25日、29日 || 4日間 || 63 || 大正15年2月3日 || 66
|-
| [[第64巻上|64上]] || 64 || 大正12年7月10~13日 || 4日間 || 64 || 大正13年4月8日<ref name="rm61_62_64_70memo" group="注A" /> || 39
|-
| [[第65巻|65]] || 65 || 大正12年7月15~18日 || 4日間 || 65 || 大正15年4月14日<ref name="rm65memo" group="注A" /> || 67
|-
| [[第69巻|69]] || 66 || 大正13年1月19日、22~25日<ref name="T1301_12" group="注A" /> || 5日間 || 69 || 昭和2年10月26日 || 71
|-
| - || 67 || (大正13年11月~12月上旬?)<ref name="niuki_memo" group="注A" /> ||  || 入記<ref name="niuki" group="注A" /> || 大正14年2月12日 || 54
|-
| [[第66巻|66]] || 68 || 大正13年12月15~17日 || 3日間 || 66 || 大正15年6月29日 || 68
|-
| [[第67巻|67]] || 69 || 大正13年12月19日、27~29日 || 4日間 || 67 || 大正15年8月19日 || 69
|-
| [[第68巻|68]] || 70 || 大正14年1月28~30日 || 3日間 || 68 || 大正15年9月30日 || 70
|-
| [[第70巻|70]] || 72 || 大正14年2月13日、8月23~25日 || 4日間 || 70 || 昭和3年4月21日<ref name="rm61_62_64_70memo" group="注A" /> || 72
|-
| [[入蒙記]] || - || 大正14年8月15日~17日?<ref name="rmnmmemo" group="注A" /> || 3日間? || 全集<ref name="zensyuu6" group="注A" /> || 昭和10年4月30日 || 84
|-
| [[第64巻下|64下]] || 71<ref name="rm71zensyuu" group="注A" /> || 大正14年8月19~21日 || 3日間 || 71(発禁) || 大正14年11月7日<ref name="rm71memo" group="注A" /> || 65
|-
| [[第71巻|71]] || 73 || 大正14年11月7日、大正15年1月31日、2月1日 || 3日間 || 71 || 昭和4年2月1日 || 73
|-
| [[第72巻|72]] || 74 || 大正15年6月29~7月1日 || 3日間 || 72 || 昭和4年4月3日 || 74
|-
| [[第73巻|73]] || 73 || 昭和8年10月4~6日、9~13日、16~18日 || 11日間 || 73 || 昭和8年11月22日 || 75
|-
| [[第74巻|74]] || 74 || 昭和8年10月20~21日、23~24日、27日、29~31日 || 8日間 || 74 || 昭和9年1月5日 || 76
|-
| [[第75巻|75]] || 75 || 昭和8年11月2~3日、17日、26~27日、29~30日 || 7日間 || 75 || 昭和9年2月3日 || 77
|-
| [[第76巻|76]] || 76 || 昭和8年12月5~8日 || 4日間 || 76 || 昭和9年3月23日 || 78
|-
| [[第77巻|77]] || 77 || 昭和8年12月12~13日、15~17日 || 5日間 || 77 || 昭和9年3月30日 || 79
|-
| [[第78巻|78]] || 78 || 昭和8年12月20~23日、25日 || 5日間 || 78 || 昭和9年5月5日 || 80
|-
| [[第79巻|79]] || 79 || 昭和9年7月16~20日 || 5日間 || 79 || 昭和9年10月25日 || 81
|-
| [[第80巻|80]] || 80 || 昭和9年7月26~28日、30~31日 || 5日間 || 80 || 昭和9年12月5日 || 82
|-
| [[第81巻|81]] || 81 || 昭和9年8月4~5日、14~15日 || 4日間 || 81 || 昭和9年12月30日 || 83
|-
| colspan="3" | || 393日間 || colspan="3" |
|}
【注A】
<references group="注A">
<ref name="rm01memo">第1巻は第13章以降の口述日である。第12章までは『[[神霊界]]』同年2月号に掲載された「[[回顧録]]」を改訂したもの。大正10年2月8日までに王仁三郎が執筆した(第12章の末尾に日付が記してある)。</ref>
<ref name="rm01nissu">{{rm09|22|0002|凡例}}には第1巻の「第十三章以後の」口述日数が「八日」と記されているが、「九日」の間違いであろう。</ref>
<ref name="rm11memo">[[第11巻]]第15~17章は大正9年1月の講演録。</ref>
<ref name="rm12memo">[[第12巻]]第28~30章は大正9年10月15日の講演録。</ref>
<ref name="rm15memo">[[第15巻]]第11章は大正9年1月の講演録。</ref>
<ref name="rm22memo">[[第22巻]]はとある理由のため[[第10巻]]より前に発行された。第22巻初版の「凡例」に次の記載がある。〈本篇を特別篇として第十篇に先立ち刊行しましたのも、本年旧五月五日迄の成績を公表せんがためでありまして、神界経綸の虎の巻であるとか、旧五月五日の瑞祥が本篇に在るとか、二十二人の生魂に因めるが故ばかりではありません〉。「旧五月五日迄の成績」とは{{rm09|22|0002|凡例}}で発表されている口述日数データで、口述開始から223日で22巻を完了したことや、旧3月3日までに通巻567章の口述を終えたとか、旧5月5日までに通巻712章(王仁三郎の誕生日7月12日に因む数字)を終えた等のデータである。それを早く発表したくて第22巻を先に発行したようである。</ref>
<ref name="T101026">10月26日は第1巻と第2巻を口述している。</ref>
<ref name="T110824">8月24日は第32巻と第33巻を口述している。</ref>
<ref name="T120509">5月9日は第61巻と第62巻を口述している。</ref>
<ref name="T120515">5月15日は第60巻と第62巻を口述している。</ref>
<ref name="rm06memo">{{rm|6|28|身変定}}は口述日不明だが、章の大半を占める「言霊学釈歌」は、『神霊界』大正7年(1918年)7月1日号に掲載され、大正9年(1920年)5月21日号にも再掲された。</ref>
<ref name="rm35memo">第35巻初版の発行日は大正12年12月25日だが、三版の奥付では初版発行日が大正12年4月5日になっている。誤植であろう。</ref>
<ref name="rm36memo">第36巻初版の発行日は大正12年12月30日だが、三版の奥付では初版発行日が大正11年12月30日になっている。誤植であろう。</ref>
<ref name="rm39memo">2022/4/5に第64巻の初版発行日を大正14年10月16日から大正13年4月8日に、第70巻を大正14年10月16日から昭和3年4月21日に修正したため、第39巻~第70巻の発行順序を修正した。</ref>
<ref name="rm48memo">第48巻は版によって口述日が異なる章がある。→「[[霊界物語第48巻の諸本相違点]]」</ref>
<ref name="rm60memo">第60巻第14~19章は口述日不明。</ref>
<ref name="rm60memo2">{{rm09|60|0002|総説||a007|a008}}の冒頭に「約九箇月の着手日数を要して、茲にいよいよ六十巻を口述編著しました」とあるが、これは口述日数の合計のことだと思われる。第1~60巻の口述日数を合計すると'''283日間'''(約9ヶ月半)になる。</ref>
<ref name="rm61memo">第61巻第4~5章は口述日不明。</ref>
<ref name="niuki_memo">『[[王仁蒙古入記]]』は口述ではなく、王仁三郎本人が書いたようであるが、具体的にいつ書いたのか日付は記されていない。{{rm09|68|0001|序文}}に「九十九日の獄舎生活を了へて、十一月一日漸く綾部に帰り、霊界物語第六十七巻として蒙古入の梗概を口述し、表面上野公園著として天下に発表する事とした」と記してある。12月15日から第68巻(現・第66巻)に口述が始まっているので、11月か12月上旬に書いたようである。</ref>
<ref name="rmnmmemo">入蒙記の日付は大正14年8月15日~17日の3日間しか記されていない。日付が記されていない章もあるが、『[[王仁蒙古入記]]』を書き換えて作り上げたものなので、3日間で書き上がったということか?</ref>
<ref name="rm61_62_64_70memo">第61巻の初版発行日は大正14年10月16日、第62巻は大正15年1月1日、第64巻(現在の第64巻上)は大正13年4月8日、第70巻は昭和3年4月21日だが、第62巻の三版(昭和7年10月10日発行)・第64巻の三版(昭和7年12月30日発行)・第70巻の三版(昭和7年12月31日発行)の奥付では、なぜか初版発行日が第61巻と同じ大正14年10月16日になっている。誤記か? 校定版の第62巻・第64巻上・第70巻も前の版から踏襲しているのかやはり初版発行日が大正14年10月16日になっている。第62巻については、『[[真如能光]]』大正15年(1926年)1月5日号「綾部だより」p46の(大正14年)12月31日の項に「霊界物語第六十二巻(山河草木丑の巻)出来」と記されている。また第64巻については『[[霊界物語資料篇]]』p307に大正13年4月5日発行と書いてある。『真如能光』大正14年(1925年)11月15日号裏表紙の霊界物語の広告に、山河草木が子の巻(第61巻)と卯の巻(第64巻)のみ発売済みであることが記されている。第70巻については『真如能光』昭和3年(1928年)4月25日号「綾部だより」p31の4月17日の項に「霊界物語山河草木酉の巻(第七十巻)出来、納本す」と記されている。</ref>
<ref name="rm65memo">第65巻の奥付は大正15年4月10日印刷、同14日発行だが、『[[霊界物語資料篇]]』p316には大正13年4月5日発行と書いてある。しかし『[[真如能光]]』大正15年(1926年)3月15日号「綾部だより」p48の3月9日の項に「霊界物語第二巻は目下再版中である、尚六十五巻も発行される事になりいづれも春季大祭(新四月十四日)迄には出来る予定です」と記されているので、『霊界物語資料篇』の記述は誤りではないか? 大正13年4月5日は第64巻の発行日(『霊界物語資料篇』p307)なので、それと混同した可能性がある。</ref>
<ref name="niuki">『[[王仁蒙古入記]]』</ref>
<ref name="zensyuu6">『[[出口王仁三郎全集]] 第六巻』</ref>
<ref name="rm71zensyuu">第71巻は、発禁の原因となった第8章「擬侠心」を丸ごと削除して『[[出口王仁三郎全集 第四巻]]』(昭和9年9月発行)に収録された。</ref>
<ref name="rm71memo">第71巻…奥付の発行日は大正14年(1925年)11月7日だが、その前日の11月6日午後2時に発行禁止と差し押さえの命令が来た(『真如能光』第1号p86の告示、第2号p30による)。だが次の日には新たな第71巻となる第73巻(現・第71巻)の口述が開始されている。</ref>
<ref name="T1301_12">口述日が1月から12月まで長期間空いているが、王仁三郎が蒙古に行ったためである。大正13年(1924年)2月に蒙古へ向けて旅立ち、7月に帰国、入監し、保釈されて帰綾したのは11月。</ref>
</references>
=== 口述日数 ===
霊界物語の口述日数の合計は'''393日間'''である。
各巻の口述日数を単純に合計すると、397日間になるが、次の4日間が重複している、つまり2つの巻にまたがって口述した日が4日ある(大正10年10月26日、大正11年8月24日、大正12年5月9日、同15日)ため、それを引いて393日間になる。
各輯ごとの口述日数は次のようになる。
* 霊主体従(第1~12巻)…99日間
* 如意宝珠(第13~24巻)…50日間
* 海洋万里(第25~36巻)…46日間
* 舎身活躍(第37~48巻)…47日間
* 真善美愛(第49~60巻)…41日間
* 山河草木(第61~72巻、入蒙記)…57日間
* 天祥地瑞(第73~81巻)…54日間
1つの巻を最短で2日間(第46巻)、最長で15日間(第4巻)、平均約4.8日(398日÷83冊≒4.783)で口述した。(ただし一日の口述時間は一定ではないだろうから、日数が多くても口述時間が多いとは限らない)
* 2日間…1巻([[第46巻]])
* 3日間…30巻
* 4日間…18巻
* 5日間…16巻
* 6日間…6巻
* 7日間…3巻
* 8日間…3巻
* 9日間…1巻
* 10日間…1巻
* 11日間…1巻
* 13日間…1巻
* 14日間…1巻
* 15日間…1巻([[第4巻]])
全体の8割近く(65巻)を2~5日で書いている。
=== 巻番号の変動 ===
[[第66巻]]以降は、口述時の巻番号と出版時の巻番号に変動がある。これは第71巻(現・[[第64巻下]])が発禁になったため巻番号を再編成したと思われる。
また、巻番号が変動したため、通巻章番号にも変動が生じた。 →詳細は「[[霊界物語の輯巻篇章#通巻章番号の変動]]」


== 筆録者 ==
== 筆録者 ==
霊界物語の筆録者は出口王仁三郎本人を含めて計38人いる。
霊界物語の筆録者は出口王仁三郎本人を含めて計38人いる。


 →詳細は「[[霊界物語の筆録者]]」
 '''→詳細は'''「[[霊界物語の筆録者]]」


== 口述地 ==
== 口述地 ==
霊界物語を口述した場所は、主に次の場所がある。全部で22ヶ所、12地域ある。
霊界物語を口述した場所は、主に次の場所がある。全部で22ヶ所、12地域ある。


 →詳細は「[[霊界物語の口述地]]」
 '''→詳細は'''「[[霊界物語の口述地]]」


'''第1~72巻'''
'''第1~72巻'''
398行目: 145行目:
# 横浜・[[関東別院]][[南風閣]]
# 横浜・[[関東別院]][[南風閣]]
# 静岡・[[伊豆別院]](湯ケ島)
# 静岡・[[伊豆別院]](湯ケ島)
== 初版 ==
[[第1巻]]の初版は大正10年(1921年)12月30日に発行された。以後、ひと月に約1巻のペースで発行が進められた。
 '''→詳細は'''「[[霊界物語の口述日と初版発行日]]」
当初は、現在の「巻」「篇」「章」が、「篇」「章」「節」と呼ばれていた。また「輯」の概念がなかった。[[第25巻]]の初版(大正12年5月25日発行)から現在のような「輯」「巻」「篇」「章」の構造へ改められた。
 '''→詳細は'''「[[霊界物語の輯巻篇章]]」
各巻とも版を重ね、一番多い第1巻は十版まで重版された<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4132|発表の影響}}」</ref>。
 '''→詳細は'''「[[霊界物語の戦前発行各版の発行日と校正日]]」


== 校正 ==
== 校正 ==
404行目: 164行目:
昭和9年から10年にかけて、王仁三郎による霊界物語の校正が行われた。刊本にペン書きで校正したその原本を「聖師御校正本」(略して校正本)と呼ぶ。
昭和9年から10年にかけて、王仁三郎による霊界物語の校正が行われた。刊本にペン書きで校正したその原本を「聖師御校正本」(略して校正本)と呼ぶ。


 →詳細は「[[聖師御校正本]]」
 '''→詳細は'''「[[聖師御校正本]]」「[[霊界物語の戦前発行各版の発行日と校正日]]」


== 諸本 ==
== 諸本 ==
417行目: 177行目:
また、インターネット上の電子版としては、[[飯塚弘明]]が運営する「[[霊界物語ネット]]」がある。
また、インターネット上の電子版としては、[[飯塚弘明]]が運営する「[[霊界物語ネット]]」がある。


 →詳細は「[[霊界物語の諸本]]」
 '''→詳細は'''「[[霊界物語の諸本]]」「[[:カテゴリ:霊界物語の諸本相違点]]」


== 物語の内容 ==
== 物語の内容 ==
=== あらすじ ===
=== あらすじ ===
 →「[[霊界物語のあらすじ]]」
 '''→詳細は'''「[[霊界物語のあらすじ]]」
 
=== 物語の年代 ===
=== 物語の年代 ===
基本的には35万年前の物語だが、数十万年前とか、数百万年前、6~7千万年前という記述もある。
基本的には35万年前の物語だが、数十万年前とか、数百万年前、6~7千万年前という記述もある。
464行目: 225行目:
霊界物語は現代の地名が使われている場合が多々あるが、方角を示す言葉を調べると、現代の地理とは位置関係が異なっている場合がある。その例を以下に記す。
霊界物語は現代の地名が使われている場合が多々あるが、方角を示す言葉を調べると、現代の地理とは位置関係が異なっている場合がある。その例を以下に記す。
* [[ニュージーランド]]の近辺<ref>{{rm|24|4|一島の女王}}:船頭のセリフ「大方ニユージランドの近辺だと思ひます」</ref>で[[小糸姫]]を救助して[[竜宮島]](オーストラリア)へ向かう[[五十子姫]]たちの舟は「'''西南'''(にしみなみ)」へ進んでいるが<ref>{{rm|24|4|一島の女王}}:「風に送られ'''西南'''(にしみなみ) 竜宮島を指して行く」</ref>、現代のニュージーランドから見てオーストラリアは'''西'''または'''西北'''の方角にあり、決して南ではない。<ref>そもそもシロの島(セイロン島)から逃げ出した小糸姫の舟がわずか一日程度でニュージーランドの近辺に到着して遭難したり、顕恩郷から舟で流された五十子姫らがニュージーランドの近辺で小糸姫を救助したりするのは(ニュージーランドに着く前に竜宮島に着くのではないか?)、現代の地理とは位置関係が異なる。</ref>
* [[ニュージーランド]]の近辺<ref>{{rm|24|4|一島の女王}}:船頭のセリフ「大方ニユージランドの近辺だと思ひます」</ref>で[[小糸姫]]を救助して[[竜宮島]](オーストラリア)へ向かう[[五十子姫]]たちの舟は「'''西南'''(にしみなみ)」へ進んでいるが<ref>{{rm|24|4|一島の女王}}:「風に送られ'''西南'''(にしみなみ) 竜宮島を指して行く」</ref>、現代のニュージーランドから見てオーストラリアは'''西'''または'''西北'''の方角にあり、決して南ではない。<ref>そもそもシロの島(セイロン島)から逃げ出した小糸姫の舟がわずか一日程度でニュージーランドの近辺に到着して遭難したり、顕恩郷から舟で流された五十子姫らがニュージーランドの近辺で小糸姫を救助したりするのは(ニュージーランドに着く前に竜宮島に着くのではないか?)、現代の地理とは位置関係が異なる。</ref>
* {{rm|9|14|闇の谷底}}の冒頭に〈淤縢山津見一行は、[[照山峠]]を東に向つて下つて行く〉と書かれている。淤縢山津見一行7人([[淤縢山津見]]、[[駒山彦]]、[[照彦]]、[[珍山彦]]、[[松竹梅の三姉妹]])は、[[ウヅの国]]の守護職・[[正鹿山津見]]の館を出て、[[テルの国]]へ向かっている(最終目的地は常世国)。ウヅの国は現代のアルゼンチン、テルの国はチリに相応する。現代の地理だとアルゼンチンが東、チリが西に位置するので、東に下るのではなく西に下ることになる。


=== 数の単位 ===
=== 数の単位 ===
* '''里''':1里は200間(約364m)とも、36町(約3927m)とも書かれている。  →「[[里]]」
* '''里''':1里は200間(約364m)とも、36町(約3927m)とも書かれている。  →「[[里]]」
=== 物語の結末 ===
霊界物語に結末と言えるものはない。ストーリー上、第1~72巻と、第73~81巻の2編に大別できるが、[[第72巻]]も、[[第81巻]]も、ストーリーの結末と言えるものはなく、尻切れ感がある。
{{rm09|59|0001|序}}には、霊界物語は最終的に[[伯耆大山]]が舞台になり、そこへ[[バラモン教]]の[[大黒主]]の勢力が逃れて来て、それを[[神素盞嗚大神]]率いる[[三五教]]の[[宣伝使]]集団が追って来て、彼らを[[言向け和す]]、というストーリー展開になることが予告されている。しかし実際には伯耆大山は舞台とならずにストーリーが終わってしまっている。 →「[[伯耆大山#霊界物語の最後の舞台]]」
また、途中のサブストーリーにおいて、「この続きは後日書く」と予告されていても、実際には書かれずじまいのものがいくつかある。
たとえば{{rm|5|33|暗夜の光明}}の前半に、〈これより[[杉高]]は[[高杉別]]と共に、この玉を捧持して天地改造の大神業に奉仕し、芳名を万代に伝へた。この事実は後日詳しく述ぶることにする〉と記されているものの、その後の杉高や高杉別の活躍は特に書かれていない。
{{rm|33|15|婆論議}}の最初の方では〈[[高姫]]に従ひ来りし[[春彦]]は、[[タルチール]]と共に[[常世の国]]を乗り越え、遠く北方の雪国に進み、抜群の功名を立てたのである。此物語は後日更めて述ぶることに致しませう〉と記されているが、やはり春彦とタルチールの物語は書かれていない。
== 時間空間に関する矛盾 ==
霊界物語には時間の流れや地理的位置について様々な矛盾が存在する。それについて王仁三郎は次のように説明している。
{{inyou|
 この物語に就て附言して置きたい事は、諾冊二神が海月成す漂へる国を修理固成して、国生み、島生み、神生み、万の物に生命を与へ給ひし世界以前に於ける常世城と、以後の常世城の位置は非常に変つて居る。また鬼城山その他の神策地も多少の異動があり、国の形、島の形、河川湖水山容等にも余程の変化がある事を考へねばならぬ。一々詳説すれば際限がないから、この物語には煩を避けて省いた所が沢山ある。また第一巻、第二巻に現はれた天の浮橋以前の神が、第二の世界に現はれて、その時よりは若くなつたり、或は一旦帰幽した神人が神界に前の姿を現はして活動してをるのは、常識の上から判断すれば常に矛盾のやうである。また混乱無秩序、支離滅裂の物語と聞えるのは寧ろ当然である。しかし、この物語は総ての神人の霊を主とし、その肉体を閑却したる、いはゆる霊界物語であつて、霊主体従主義であるから、この神人は何時の世に帰幽し、また幾年後に肉体をもつて現はれ、何々の活動をなし、或は善を行ひしとか、悪を行ひしとか、何神の体に宿つて生れたりとか云ふやうな詳細の点は、際限がないから大部分省いてある。
 総て地上の神人は、霊より肉へ、肉より霊へと、明暗生死、現幽を往来して神業に従事するものであるから、太古の神人が中古に現はれ、また現代に現はれ、未来に現はれ、若がへり若がへりして、永遠に霊即ち本守護神、即ち吾本体の生命を無限に持続するものなるが故に、その考へを頭脳に置いて此物語を読まねば、幾多の疑惑や矛盾が湧いて来るのは当然である。
 数千里の山野河海を一ケ月或は二ケ月に跋渉したり、又は一日の間に跋渉する事がある。千変万化、明滅不測の物語も、総て霊界の時間空間を超越したる現幽一貫の霊的活動を物質化、具体化して述べたものである事をも承知して貰ひたい。また北極に夏の太陽が出たり、赤道直下に降雪を見たり、種々の奇怪な物語がある。口述者に於いても、今日の知識より考へて不可解である。されど永遠無窮に熱帯は熱帯、寒帯は寒帯の侭、何時までも一定不変たる事を得ない。此宇宙は死物ではない限り、気候に於て位置に於て変動するも、幾十億万年の間の事であるから、強ち否定する訳にも行くまいと思ふ。故に読者の本書を肯定するも、否定するも、口述者に於ては何の感じもしないのである。至大無外、至小無内、若無所在、若無不所在、無明暗、無大小、無広狭、無遠近、過去と現在、未来とを問はず時間空間を超越し、人界を脱出し、大宇宙の中心に立つて、神霊界の物語を口述したものである。| {{rm|10|15|言霊別}} }}
== 盗作問題 ==
{{inyou|瑞月に来れる精霊は、一種特別の記憶力に富んで居ると見えまして、肉体が一度見聞し読み上げた書物の文意は其儘に記憶し居り、肉体の既に已に記憶を全然離れて居る文章でも、時々知らず知らずに口述し筆記することがあります。故に肉体人の瑞月が著はした文章の中にも、古今の学者が著はした文章を其儘平気に書くことがあります。又精霊自身も自己の作物と信じて居るのは、霊界の消息に達したる哲人の能く知悉する所であります。不用意の中に物した瑞月の文章には、今日迄三十年の間に於て二三回も右様の事があり、それが為に他人の文章を盗んだ様に非難された事があつて大に迷惑を感じました。又自分の口述や文章を他人の名義を以て新聞雑誌単行本等に掲載し、後に至つて自分の名に復して発表した事があるため、其間の消息を知らない人は異様に感じられた事もありました。其後は成るべく他人の著書を読まない事にして注意を加へて居りますが、併しながら此長い物語の中には、或は種々の人の文作が混入して居るかも解りませぬから、一寸お断り申しておきます。併し今日の学者の物した書物は、何れも古今聖哲の涎を集めたものたるは、賢明なる読者の熟知さるる所と考へます。凡ての明文は意志や想念の中に吸収され、それが時々自発的に現はれ来るものなる事を考へて貰ひたいものです。| {{rm09|52|0001|序文}} }}


== 紹介文 ==
== 紹介文 ==
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== 霊界物語の入門書・参考書 ==
== 霊界物語の入門書・参考書 ==
* [[飯塚弘明]]『[[あらすじで読む霊界物語]]』令和元年(2019年)、文芸社
* [[Onido]]『[[神眼で読む霊界物語]]』令和7年(2025年)、[[ヒカルランド]]
* [[飯塚弘明]]『[[超訳霊界物語]] ──出口王仁三郎の[世界を言向け和す]指南書』平成25年(2013年)、太陽出版
* [[飯塚弘明]]『[[あらすじで読む霊界物語]]』令和元年(2019年)、[[文芸社]]
* [[飯塚弘明]]『[[超訳霊界物語]] ──出口王仁三郎の[世界を言向け和す]指南書』平成25年(2013年)、[[太陽出版]]
* [[飯塚弘明]]『[[超訳霊界物語2]] ──出口王仁三郎の「身魂磨き」実践書 一人旅するスサノオの宣伝使たち』平成26年(2014年)、太陽出版
* [[飯塚弘明]]『[[超訳霊界物語2]] ──出口王仁三郎の「身魂磨き」実践書 一人旅するスサノオの宣伝使たち』平成26年(2014年)、太陽出版
* [[木庭次守]]『[[霊界物語ガイドブック]]』平成22年(2010年)、八幡書店
* [[木庭次守]]『[[霊界物語ガイドブック]]』平成22年(2010年)、[[八幡書店]]


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[資料:霊界物語の筆録者別の章一覧]]
* [[:カテゴリ:霊界物語]]
* [[回顧録]]
* [[回顧録]]
== 脚注 ==
<references/>


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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* 『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4111|物語の発表}}」 - 霊界物語ネット
* 『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4111|物語の発表}}」 - 霊界物語ネット
* 『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4112|口述の由来}}」 - 霊界物語ネット
* 『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4112|口述の由来}}」 - 霊界物語ネット
== 脚注 ==
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