「ウラル教」の版間の差分
| 115行目: | 115行目: | ||
この時ウラル彦はアーメニヤの神都に居り、もし三五教の[[日の出神]]がやって来て場合にはアーメニヤからコーカス山に逃れるつもりで、ここに秘密の都(第二のアーメニヤの都)を作っていたのである<ref>{{rm|11|21|俄改心}}:牛公のセリフ「当山の大気津姫と言ふのはその実はウラル姫命、昔は常世姫命と謂つた神であります。夫のウラル彦は今はアーメニヤに居りますが、夫婦手分けをして万々一、日の出神とやらがやつて来てアーメニヤが保てなくなつた時は、このコーカス山の隠処へ逃れる積りで数多の家来衆を引寄せ、各自に立派な屋敷を造り、'''第二のアーメニヤの都'''を開かして居るのです。それ故この山は大秘密郷であつてウラル姫命の系統の者でなければ、一人も登られないと厳しく見張つて居る山です」</ref>。 | この時ウラル彦はアーメニヤの神都に居り、もし三五教の[[日の出神]]がやって来て場合にはアーメニヤからコーカス山に逃れるつもりで、ここに秘密の都(第二のアーメニヤの都)を作っていたのである<ref>{{rm|11|21|俄改心}}:牛公のセリフ「当山の大気津姫と言ふのはその実はウラル姫命、昔は常世姫命と謂つた神であります。夫のウラル彦は今はアーメニヤに居りますが、夫婦手分けをして万々一、日の出神とやらがやつて来てアーメニヤが保てなくなつた時は、このコーカス山の隠処へ逃れる積りで数多の家来衆を引寄せ、各自に立派な屋敷を造り、'''第二のアーメニヤの都'''を開かして居るのです。それ故この山は大秘密郷であつてウラル姫命の系統の者でなければ、一人も登られないと厳しく見張つて居る山です」</ref>。 | ||
[[ウラル彦]]夫婦は三五教の宣伝使の活動に押され、[[ウラル山]]・[[コーカス山]]・[[アーメニヤ]]を捨てて[[常世の国]]に渡った。邪霊は[[大国別]](大国彦の子)に憑依して、[[イホの都]]で[[バラモン教]]を開教した。バラモン教はもともとウラル教を基盤にして作られた宗教なので「第二のウラル教」と呼ばれる。<ref>{{rm|15|1|破羅門}}:「八頭八尾の大蛇、悪狐の邪霊は、コーカス山の都を奪はれ、随つてウラル山、アーメニヤ危険に瀕したれば、ウラル彦、ウラル姫は、遠く常世国に逃れ、茲に大自在天大国彦の末裔大国別、醜国姫の夫婦をして、埃及のイホの都に現はれ、'''第二のウラル教'''たる婆羅門教を開設し」</ref> <ref>{{rm|41|7|忍術使}}:「八岐の大蛇や醜狐の邪神は、正神界の経綸に極力対抗せむと、常世彦、常世姫の子なるウラル彦、ウラル姫に憑依し、三五教の神柱国治立命に対抗せむと盤古神王塩長彦を担ぎ上げ、茲にウラル教を開設し、天下を攪乱しつつありしが、三五教の宣伝神の常住不断の舎身的活動に敵し得ず、ウラル山、コーカス山、アーメニヤを棄てて常世の国に渡り、ロツキー山、常世城等にて今度は大自在天大国彦命及び大国別命を神柱とし、再びバラモン教を開設して、三五教を殲滅せむと計画し」</ref> <ref> | [[ウラル彦]]夫婦は三五教の宣伝使の活動に押され、[[ウラル山]]・[[コーカス山]]・[[アーメニヤ]]を捨てて[[常世の国]]に渡った。邪霊は[[大国別]](大国彦の子)に憑依して、[[イホの都]]で[[バラモン教]]を開教した。バラモン教はもともとウラル教を基盤にして作られた宗教なので「第二のウラル教」と呼ばれる。<ref>{{rm|15|1|破羅門}}:「八頭八尾の大蛇、悪狐の邪霊は、コーカス山の都を奪はれ、随つてウラル山、アーメニヤ危険に瀕したれば、ウラル彦、ウラル姫は、遠く常世国に逃れ、茲に大自在天大国彦の末裔大国別、醜国姫の夫婦をして、埃及のイホの都に現はれ、'''第二のウラル教'''たる婆羅門教を開設し」</ref> <ref>{{rm|41|7|忍術使}}:「八岐の大蛇や醜狐の邪神は、正神界の経綸に極力対抗せむと、常世彦、常世姫の子なるウラル彦、ウラル姫に憑依し、三五教の神柱国治立命に対抗せむと盤古神王塩長彦を担ぎ上げ、茲にウラル教を開設し、天下を攪乱しつつありしが、三五教の宣伝神の常住不断の舎身的活動に敵し得ず、ウラル山、コーカス山、アーメニヤを棄てて常世の国に渡り、ロツキー山、常世城等にて今度は大自在天大国彦命及び大国別命を神柱とし、再びバラモン教を開設して、三五教を殲滅せむと計画し」</ref> <ref>{{rm|44|7|山口の森}}:松公の歌「ウラルの神のこもりたる その名も高きアーメニヤ 大気津姫の一族が コーカス山の神人に 追はれて常世へ逃げしより バラモン教は虚に乗じ 数多の兵士引率れて 城の周りに火を放ち 焼き尽したる悲しさに」</ref> (ただし三五教ではなくバラモン教に攻撃されてアーメニヤから常世国へ逃げた、という記述もある<ref>{{rm|44|2|月の影}}:松公(治国別の弟)のセリフ「兄上様がアーメニヤの神都より宣伝使となつて竜宮の一つ島へ渡られた後、バラモン教の一派に襲はれ刹帝利、浄行を始め毘舎、首陀の四族は四方に散乱し目も当てられぬ大惨事が突発しました。大宜津姫様がコーカス山から敗亡の体で逃げ帰つて来られてから間もない疲弊の瘡の癒え切らない所だから、忽ち神都は防禦力を失ひ'''常世の国へウラル彦、ウラル姫様一族は其姿を隠し玉ひ'''諸司百官庶民の住宅は焼き亡ぼされ、ウラル河の辺りに武士の館が少し許り残されたのみ」</ref>) | ||
ウラル彦夫婦の活動は、ウラル教の歴史そのものであるが、常世の国に渡った後のウラル彦夫婦の消息は不明である。死んだのか生きているのかすら分からない(霊界物語に書いていない)。ウラル教の本山は常世の国の[[ロッキー山]]に移ったようである<ref name="rm3017" />。 | ウラル彦夫婦の活動は、ウラル教の歴史そのものであるが、常世の国に渡った後のウラル彦夫婦の消息は不明である。死んだのか生きているのかすら分からない(霊界物語に書いていない)。ウラル教の本山は常世の国の[[ロッキー山]]に移ったようである<ref name="rm3017" />。 | ||