「霊界」の版間の差分

 
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[[ファイル:霊界の構造概念図.png|thumb|霊界の構造の概念図。]]
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'''霊界'''(れいかい)とは、広義では「霊妙な世界」という意味で、[[神幽現]]三界の総称<ref>{{kgm|008|霊界と神霊界}}:「霊界とは霊妙な世界と云ふ事であつて、顕、幽、神三界を総称してしか云ふのである」</ref>。『[[霊界物語]]』の「霊界」はこの意味である。狭義では、肉体の世界(現界)に対して想念の世界(霊魂の世界)を指す。
'''霊界'''(れいかい)とは、
* 広義では「霊妙な世界」という意味で、[[神幽現]]三界の総称<ref>{{kgm|008|霊界と神霊界}}:「霊界とは霊妙な世界と云ふ事であつて、顕、幽、神三界を総称してしか云ふのである」</ref>。つまり大宇宙全体ということになる。『[[霊界物語]]』の「霊界」はこの意味である。
* 狭義では、肉体の世界(現界)に対して想念の世界(霊魂の世界)を指す。別名は「[[かくりよ]]」で「幽世」「隠世」等と書く。


本項では狭義の霊界について解説する。
本項では狭義の霊界について解説する。
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== 霊界の構造 ==
== 霊界の構造 ==
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* 霊界は時間の概念が現界と異なる。霊界で目撃したことが2~3日後に現界に現れることもあれば、十年後、百年後に現れることもある。霊界で見た順序のまま現界に起きるとは限らない。しかし霊界で目撃したことは必ず現界でも起きる。また、霊界から見れば、時空や上下、大小にかかわらず、みな一様に並列的に霊眼に映じる。<ref>{{rm|1|18|霊界の情勢}}、{{rm09|2|0001|序}}</ref>
* 霊界は時間の概念が現界と異なる。霊界で目撃したことが2~3日後に現界に現れることもあれば、十年後、百年後に現れることもある。霊界で見た順序のまま現界に起きるとは限らない。しかし霊界で目撃したことは必ず現界でも起きる。また、霊界から見れば、時空や上下、大小にかかわらず、みな一様に並列的に霊眼に映じる。<ref>{{rm|1|18|霊界の情勢}}、{{rm09|2|0001|序}}</ref>
* 地球だけでなく、太陽や月にも霊界がある。<ref>{{rm|1|22|国祖御隠退の御因縁}}</ref>
* 地球だけでなく、太陽や月にも霊界がある。<ref>{{rm|1|22|国祖御隠退の御因縁}}</ref>
* 霊界の概要は主に、「[[霊の礎]]」と、[[霊界物語]][[第47巻]]第7~21章、[[第48巻]]第10~14章に詳しく記されている。


== 想念の世界 ==
== 想念の世界 ==
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* 霊界の精霊の容貌は、その精霊の情動そのもの。愛善の情動を有する者は美しく気品のある容貌で、悪しき情動を有する者は醜く汚く妖怪のような容貌である。<ref>{{rm|48|8|亡者苦雑}}:「愛善の情動を有するものは其面貌美はしく且何処ともなく気品あり、光明に輝けども、悪しき情動に居るものの面貌は実に醜穢にして一見して妖怪ならむかと疑はるるばかりである」</ref>
* 霊界の精霊の容貌は、その精霊の情動そのもの。愛善の情動を有する者は美しく気品のある容貌で、悪しき情動を有する者は醜く汚く妖怪のような容貌である。<ref>{{rm|48|8|亡者苦雑}}:「愛善の情動を有するものは其面貌美はしく且何処ともなく気品あり、光明に輝けども、悪しき情動に居るものの面貌は実に醜穢にして一見して妖怪ならむかと疑はるるばかりである」</ref>
* 霊界における事象は、現界において型をしなくてはならない。現界で型をすれば、霊界ではいくらでも想念が延長して行く。<ref>〔{{kgm|669|玉串}}〕</ref>
* 霊界における事象は、現界において型をしなくてはならない。現界で型をすれば、霊界ではいくらでも想念が延長して行く。<ref>〔{{kgm|669|玉串}}〕</ref>
* 霊界では同じような想念を持った者同志が集まる。<ref>{{rm|56|6|高圧}}:〈類を以て集まるとか云つて、自分の内分に相似たるものでなければ、到底相和する事は霊界に於ては出来ない。〉</ref>
=== 意志と想念 ===
* 「霊界は意志想念の世界」である。これは「意志」と「想念」の世界という意味であるが、「意志想念」を合して、単に「霊界は想念の世界」とも言う。
* 「意志」は「意思」とも書く。両者の国語辞書的な意味は若干異なる。「意思」は単に「考え」とか「思い」という意味だが、「意志」は「志」という文字が使われているように、何かを決心して、物事を実行しようという、動的な意味合いがある。しかし王仁三郎の著述において「意志」と「意思」は使い分けているようには見えず、混用されている。霊界物語では「意志」の使用回数は「意思」の約2倍ある。<ref>意志205回、意思97回</ref>
* 「霊界は意志想念の世界」と言う場合の「意志」は「想念」に含まれる。「意志」から「想念」が生じ、「意志」が無ければ「想念」も無い。〈想念と言つたのは其中に意志をも包含して併せて言つたのです。盖し想念なるものは意志より来り、意志なければ何人と雖も想念なるものは有りませぬ。又意志及び想念と云ふ時は、この意志の裡にも又情動、愛、及び、是等より起来する歓喜や悦楽をも含んで居ります。以上のものは何れも意志と関連して居るからです。何故なれば人はその欲する所を愛し、之によつて歓喜悦楽の情を生ずるものだからです。又想念といふことは人が由りて以て其情動即ち愛を確かむる所の一切を言ふのです。何んとなれば想念は意志の形式に過ぎないものです。即ち意志が由りて以て自ら顕照せむと欲する所のものに過ぎないからであります。〉〔{{rm|63|10|鷺と鴉}}〕。


== 霊魂の世界 ==
== 霊魂の世界 ==