「穴太」の版間の差分
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== 亀岡と穴太 == | == 亀岡と穴太 == | ||
現在は「亀岡市曽我部町穴太」で、亀岡の一部になっている。しかし王仁三郎が幼少期を過ごした時代は「[[南桑田郡]]穴太村」だった。そのため霊界物語等の王仁三郎の著書では「[[亀岡]]」と「穴太」は別々の地域として扱われている。【例】「丹波の亀岡に程近き、曽我部村の大字穴太は瑞月王仁が生地である」<ref>{{rm|37|2|葱節}}</ref> | |||
自治体合併により穴太が亀岡の一部になったのは、戦後の昭和30年のことである。 | |||
* 明治22年(1889年)4月、王仁三郎が数え19歳の時に、穴太村と近隣の村が合併して[[曽我部村]](そがべむら)となる。 | * 明治22年(1889年)4月、王仁三郎が数え19歳の時に、穴太村と近隣の村が合併して[[曽我部村]](そがべむら)となる。 | ||
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* [[小幡神社]]:穴太の産土神社。[[開化天皇]]を祀る。 | * [[小幡神社]]:穴太の産土神社。[[開化天皇]]を祀る。 | ||
* [[神明社]](郷神社):豊受大神の遷宮の際に上田家の庭内が御旅所となり稲が広まったのを記念して上田家の先祖が建立した。[[神明社]]の裏の竹藪のあたりに[[穴太精乳館]]が、道(府道407号)を隔てたところ([[小幡神社]]の北側)に[[喜楽亭]]があった。<ref>『[[神の国]]』平成4年(1992年)1月号p30の2段目:「郷神社裏の竹薮あたりが精乳館跡、道を隔てて右斜めが上田家の本屋敷を購入した○○宅、左斜めが喜楽亭跡(現○○宅)という事」(個人名は伏せた)</ref> <ref>[[十和田龍]]『[[出口王仁三郎]] 1』p271</ref> <ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1412|入山の動機}}」</ref> | * [[神明社]](郷神社):豊受大神の遷宮の際に上田家の庭内が御旅所となり稲が広まったのを記念して上田家の先祖が建立した。[[神明社]]の裏の竹藪のあたりに[[穴太精乳館]]が、道(府道407号)を隔てたところ([[小幡神社]]の北側)に[[喜楽亭]]があった。<ref>『[[神の国]]』平成4年(1992年)1月号p30の2段目:「郷神社裏の竹薮あたりが精乳館跡、道を隔てて右斜めが上田家の本屋敷を購入した○○宅、左斜めが喜楽亭跡(現○○宅)という事」(個人名は伏せた)</ref> <ref>[[十和田龍]]『[[出口王仁三郎]] 1』p271</ref> <ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1412|入山の動機}}」</ref> | ||
* [[穴太寺]] | * [[穴太寺]]:この境内にあった小学校に王仁三郎は通った。 | ||
* [[金剛寺]]:絵師の[[円山応挙]](上田家の先祖)が9歳の時、この寺に入門した。 | * [[金剛寺]]:絵師の[[円山応挙]](上田家の先祖)が9歳の時、この寺に入門した。 | ||
* [[高熊山]]:王仁三郎が霊的修行をした霊山。 | * [[高熊山]]:王仁三郎が霊的修行をした霊山。 | ||