「出口王仁三郎の著述」の版間の差分

 
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[[ファイル:出口王仁三郎の歌日記原稿.jpg|thumb|[[出口王仁三郎]]の歌日記の原稿。昭和4年3月1日。]]


'''出口王仁三郎の著述'''では、[[出口王仁三郎]]が執筆・口述した文書、講演録、側近による如是我聞集など、王仁三郎の著述物を集めて一覧とする。なるべく復刻版の類は省き、初版・初出となるものだけを時系列順に並べた。
'''出口王仁三郎の著述'''では、[[出口王仁三郎]]が執筆・口述した文書、講演録、側近による如是我聞集など、王仁三郎の著述物を集めて一覧とする。なるべく復刻版の類は省き、初版・初出となるものだけを時系列順に並べた。


[[出口王仁三郎]]の著書として発行された単行本は多数あるが、最初から書籍として発行することを目的に書いた「書き下ろし」は、[[霊界物語]][[王仁蒙古入記]][[記憶便法エス和作歌辞典]]くらいしかない。他は機関誌等で発表されたものを集めて編纂した著作集である。
[[出口王仁三郎]]の著書として発行された単行本は多数あるが、最初から書籍として発行することを目的に書いた「書き下ろし」は、[[霊界物語]]と『[[王仁蒙古入記]]』『[[記憶便法エス和作歌辞典]]』くらいしかない。他は機関誌等で発表されたものを集めて編纂した著作集である。


== 大正10年まで ==
== 大正10年まで ==
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* [[大本教開祖御伝記]]:大正2年(1913年)10月発行。著者は「百済博士」(王仁三郎の筆名)。
* [[大本教開祖御伝記]]:大正2年(1913年)10月発行。著者は「百済博士」(王仁三郎の筆名)。
* 「大本教言霊学 天之巻」「同 火之巻」「同 梅花篇」:大正4年(1915年)執筆。公刊されず一部の信者が書写するだけだった。昇天後に公刊された。→「[[大本言霊学 (天之巻・火之巻)]]」「[[大本言霊学 梅花篇]]」
* 「大本教言霊学 天之巻」「同 火之巻」「同 梅花篇」:大正4年(1915年)執筆。公刊されず一部の信者が書写するだけだった。昇天後に公刊された。→「[[大本言霊学 (天之巻・火之巻)]]」「[[大本言霊学 梅花篇]]」
* [[大本略義]]:大正5年(1916年)9月の講演要旨。単行本として刊行されてはいない。[[浅野和三郎]]・著[[大正維新の真相]]の前半部に流用されている。
* [[大本略義]]:大正5年(1916年)9月の講演要旨。単行本として刊行されてはいない。[[浅野和三郎]]・著『[[大正維新の真相]]』の前半部に流用されている。
* [[大本神諭]]:開祖[[出口直]]に降りた[[国祖]]の神示「[[筆先]]」を、王仁三郎が漢字を当てはめて発表したもの。大正6年(1917年)以降[[神霊界]]誌で発表され、後に単行本化された。
* [[大本神諭]]:開祖[[出口直]]に降りた[[国祖]]の神示「[[筆先]]」を、王仁三郎が漢字を当てはめて発表したもの。大正6年(1917年)以降[[神霊界]]誌で発表され、後に単行本化された。
* [[裏の神諭]]:出口直の在世中に王仁三郎に降りた種々の神示類。機関誌等で随時発表された。
* [[裏の神諭]]:出口直の在世中に王仁三郎に降りた種々の神示類。機関誌等で随時発表された。
* [[伊都能売神諭]]:王仁三郎に降りた[[国祖]]の神示。大正7年(1918年)~8年に神霊界誌上で発表。王仁三郎昇天後に単行本化された。
* [[伊都能売神諭]]:王仁三郎に降りた[[国祖]]の神示。大正7年(1918年)~8年に神霊界誌上で発表。王仁三郎昇天後に単行本化された。
* [[皇道大本神歌]]:大正7年(1918年)5月に王仁三郎に降りた神示。大正9年(1920年)4月発行。
* [[皇道大本神歌]]:大正7年(1918年)5月に王仁三郎に降りた神示。大正9年(1920年)4月発行。
* [[王仁文庫]]全10巻:大正9年(1920年)~10年発行。王仁三郎の過去の著述を集めた著作集。
* [[王仁文庫]](全10巻):大正9年(1920年)~10年発行。王仁三郎の過去の著述を集めた著作集。
** 第一篇 皇道我観
** 第一篇 皇道我観
** 第二篇 国教論集
** 第二篇 国教論集
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** 第九篇 道の大本
** 第九篇 道の大本
** 第十篇 五色草
** 第十篇 五色草
* [[故郷の二十八年]]、[[回顧録]]:自叙。『神霊界』大正10年(1921年)1~3月号で発表。


== 大正11年から昭和20年まで ==
== 大正11年から昭和20年まで ==


* [[霊界物語]] 全81巻:大正10年(1921年)10月18日から口述開始。第1巻刊行は同年12月30日。 →詳細は「[[霊界物語#各巻の口述日と初版発行日]]」
* [[霊界物語]] 全81巻:大正10年(1921年)10月18日から口述開始。第1巻刊行は同年12月30日。 →詳細は「[[霊界物語の口述日と初版発行日#各巻の口述日と初版発行日]]」
** 第1~72巻:大正10年(1921年)~大正15年(1926年)に口述・出版。
** 第1~72巻:大正10年(1921年)~大正15年(1926年)に口述・出版。
** 第73~81巻:昭和8年(1933年)~昭和9年(1934年)に口述・出版。
** 第73~81巻:昭和8年(1933年)~昭和9年(1934年)に口述・出版。
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* [[錦の土産]]:大正13年(1924年)1月作。入蒙前に死を覚悟して書いた遺書のようなもの。公開はされず、ごく一部の人だけに拝読が許された。
* [[錦の土産]]:大正13年(1924年)1月作。入蒙前に死を覚悟して書いた遺書のようなもの。公開はされず、ごく一部の人だけに拝読が許された。
* [[記憶便法エス和作歌辞典]]:大正13年(1924年)2月4日発行。
* [[記憶便法エス和作歌辞典]]:大正13年(1924年)2月4日発行。
* [[蒙古語作歌辞典]]:大正13年(1924年)『[[神の国 (1921)|神の国]]』8月25日号から12回に分けて連載された。
* [[王仁蒙古入記]]:大正14年(1925年)2月12日発行。著者名は「[[上野公園]]」。
* [[王仁蒙古入記]]:大正14年(1925年)2月12日発行。著者名は「[[上野公園]]」。
* [[大本讃美歌]] 上下2巻:大正14年(1925年)10月発行。霊界物語第61・62巻収録の讃美歌。
* [[大本讃美歌]] 上下2巻:大正14年(1925年)10月発行。霊界物語第61・62巻収録の讃美歌。
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* [[民謡 月の都]]:昭和6年(1931年)3月発行。著者名は「[[月の家和歌麿]]」。
* [[民謡 月の都]]:昭和6年(1931年)3月発行。著者名は「[[月の家和歌麿]]」。
* [[斎苑の館 (宣伝歌集)]]:昭和6年(1931年)4月発行。
* [[斎苑の館 (宣伝歌集)]]:昭和6年(1931年)4月発行。
* [[芸術と宗教 (書籍)]]:昭和6年(1931年)10月発行。
* [[芸術と宗教 (書籍)|芸術と宗教]]:昭和6年(1931年)10月発行。
* [[随感録]]:昭和7年(1932年)6月発行。
* [[随感録]]:昭和7年(1932年)6月発行。
* [[皇道大意]]:昭和7年(1932年)12月発行。
* [[皇道大意]]:昭和7年(1932年)12月発行。
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* [[出口総裁歌碑集]]:昭和10年(1935年)1月発行。
* [[出口総裁歌碑集]]:昭和10年(1935年)1月発行。
* [[王仁書画集]]:昭和10年(1935年)8月発行。
* [[王仁書画集]]:昭和10年(1935年)8月発行。
* [[惟神の道 (出口王仁三郎の著書)]]:昭和10年(1935年)12月発行。王仁三郎の過去の著述を集めた著作集。
* [[惟神の道 (出口王仁三郎の著書)|惟神の道]]:昭和10年(1935年)12月発行。王仁三郎の過去の著述を集めた著作集。


=== 日記 ===
=== 日記 ===
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* [[更生日記]] 全12巻:昭和6年(1931年)の日記。
* [[更生日記]] 全12巻:昭和6年(1931年)の日記。
* [[壬申日記]] 全8巻:昭和7年(1932年)の日記。
* [[壬申日記]] 全8巻:昭和7年(1932年)の日記。
これ以降の日記の単行本は →「[[壬申日記#廃刊]]」参照
王仁三郎は[[第二次大本事件]]の第二審の時、高野裁判長に「大正14年(1925年)から日記が付けてある」と陳述した<ref name="kake1299">『[[新月の光]]』1299「歌日記全四十五巻」</ref>。だが全ての日記が単行本化されているわけではない。
* 霊界物語の校正の際に、昭和8年12月10日から同10年6月25日までの歌日記を余白に書き入れている<ref name="kake1299" />。
* 第二次大本事件の獄中のことは、歌集『[[朝嵐]]』に収録されている。
* 晩年は、『[[愛善苑 (機関誌)|愛善苑]]』誌に昭和21年3月15日から8月5日までの歌日記が発表されている<ref name="kake1299" />。


=== 歌集 ===
=== 歌集 ===
王仁三郎は昭和5年(1930年)7月から回顧歌を詠み始め、『[[真如の光]]』に同年8月5日号から10年10月17日号まで連載された。数え年で10歳頃から36歳頃までの出来事が歌われている。これらの歌は「故山の夢」(10~28歳頃)、「霧の海」(8~28歳頃)、「青嵐」(29歳頃)、「浪の音」(30~31歳頃)、「百千鳥」(32~35歳頃)、「都鳥(みやこどり)」(36歳頃)という題が付けられており、同題の歌集として刊行された。「都鳥」は昭和10年10月10日号と同月17日号の2回連載しただけで休載となった<ref>『真如の光』昭和10年10月25日号p1に「回顧歌都鳥は作者御多忙に為め本回は休載いたします」とあり、同号からは代わりに道歌が掲載されている。</ref>。「故山の夢」から「浪の音」までの4冊は王仁三郎在世中に刊行されたが、「百千鳥」は昇天後に刊行された。「都鳥」は歌数が少ないため「百千鳥」の最後に付け加えられている。<ref>『[[出口王仁三郎著作集]] 第五巻 人間王仁三郎』「解題」p457の「故山の夢」の項</ref>
少年・青年時代の回顧歌集について →「[[故山の夢#少年・青年時代の回顧歌集について]]


* 第1歌集 [[花明山 (歌集)]]:昭和6年(1931年)5月15日発行。昭和5年5月から6年2月に発表された歌。1391首。
* 第1歌集 [[花明山 (歌集)]]:昭和6年(1931年)5月15日発行。昭和5年5月から6年2月に発表された歌。1391首。
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* 第7歌集 [[白童子]](はくどうじ):昭和7年(1932年)発行。昭和6年8~12月に発表された歌。7932首。
* 第7歌集 [[白童子]](はくどうじ):昭和7年(1932年)発行。昭和6年8~12月に発表された歌。7932首。
* 第8歌集 [[青嵐]](あおあらし):昭和7年(1932年)発行。29歳の頃の出来事を詠んだ回顧歌集。
* 第8歌集 [[青嵐]](あおあらし):昭和7年(1932年)発行。29歳の頃の出来事を詠んだ回顧歌集。
* 第9歌集 [[公孫樹]](いちょう):昭和8年(1933年)発行。昭和7年1~10月に発表された歌。4218首。
* 第9歌集 [[公孫樹]](いちょう):昭和8年(1933年)発行。昭和6年1~10月に発表された歌。4218首。
* 第10歌集 [[浪の音]]:昭和8年(1933年)3月28日発行。30~31歳(明治33~34年)の頃の出来事を詠んだ回顧歌集。2400首。
* 第10歌集 [[浪の音]]:昭和8年(1933年)3月28日発行。30~31歳(明治33~34年)の頃の出来事を詠んだ回顧歌集。2400首。
* 第11歌集 [[山と海 (歌集)]]:昭和8年(1933年)6月25日発行。昭和7年9月~8年4月に発表された歌。4670首。
* 第11歌集 [[山と海 (歌集)]]:昭和8年(1933年)6月25日発行。昭和7年9月~8年4月に発表された歌。4670首。
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* [[百千鳥]](ももちどり):昭和8~10年に、明治34~39年の出来事を回顧して詠んだ歌集。2345首。
* [[百千鳥]](ももちどり):昭和8~10年に、明治34~39年の出来事を回顧して詠んだ歌集。2345首。
* [[朝嵐]](あさあらし):昭和17年(1942年)9~10月執筆。第二次大本事件回顧歌集。1600首。
* [[朝嵐]](あさあらし):昭和17年(1942年)9~10月執筆。第二次大本事件回顧歌集。1600首。
** 出口王仁三郎聖師・出口すみ子二代教主 獄中の御歌 [[ほしくらにてよめる歌]]:平成3年(1991年)12月8日発行。天声社。
** [[ほしくらにてよめる歌]]──出口王仁三郎聖師・出口すみ子二代教主 獄中の御歌:平成3年(1991年)12月8日発行。天声社。
* [[月照山 (歌集)]](げっしょうざん):昭和17年後半~19年末に詠んだ歌。3939首。
* [[月照山 (歌集)]](げっしょうざん):昭和17年後半~19年末に詠んだ歌。3939首。
* 第13歌集 [[霊界物語余白お歌集]]:昭和30年(1955年)[[大本教学院]]発行。[[木庭次守]]編。霊界物語の余白歌を全部集めたもの。


=== エスペラント語訳 ===
=== エスペラント語訳 ===