「霊界物語」の版間の差分
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物語の内容は、王仁三郎が明治31年の[[高熊山修業]]の際に霊界で見聞した出来事である。太古の神代の地球を舞台に、[[国祖]]が隠退に至る経緯(第1~4巻)と、国祖隠退後の世界で[[五六七の世]]を建設するための[[三五教]]の[[宣伝使]]たちの活躍(第5巻~)が描かれる。その世界救済の経綸の中心にいるのは[[神素盞嗚大神]](以下「素尊」)であり、霊界物語の主人公は素尊だと言える。しかし実際には素尊はあまり登場しない。それぞれのエピソードごとに主役格の登場人物がおり、ドラマが展開して行く。また、太古の神代の物語だけではなく、王仁三郎の青年時代の自叙伝(第37~38巻)や大正13年の蒙古入りの記録([[入蒙記]])、[[神諭]]や[[祝詞]](どちらも[[第60巻]])、[[讃美歌]](第61~62巻)なども収録されている。 | 物語の内容は、王仁三郎が明治31年の[[高熊山修業]]の際に霊界で見聞した出来事である。太古の神代の地球を舞台に、[[国祖]]が隠退に至る経緯(第1~4巻)と、国祖隠退後の世界で[[五六七の世]]を建設するための[[三五教]]の[[宣伝使]]たちの活躍(第5巻~)が描かれる。その世界救済の経綸の中心にいるのは[[神素盞嗚大神]](以下「素尊」)であり、霊界物語の主人公は素尊だと言える。しかし実際には素尊はあまり登場しない。それぞれのエピソードごとに主役格の登場人物がおり、ドラマが展開して行く。また、太古の神代の物語だけではなく、王仁三郎の青年時代の自叙伝(第37~38巻)や大正13年の蒙古入りの記録([[入蒙記]])、[[神諭]]や[[祝詞]](どちらも[[第60巻]])、[[讃美歌]](第61~62巻)なども収録されている。 | ||
* | * あらすじを知りたい場合は→「[[霊界物語のあらすじ]]」 | ||
* | * 出版社ごとの特徴を知りたい場合は→「[[霊界物語の諸本]]」 | ||
== 概要 == | == 概要 == | ||
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昭和9年から10年にかけて、王仁三郎による霊界物語の校正が行われた。刊本にペン書きで校正したその原本を「聖師御校正本」(略して校正本)と呼ぶ。 | 昭和9年から10年にかけて、王仁三郎による霊界物語の校正が行われた。刊本にペン書きで校正したその原本を「聖師御校正本」(略して校正本)と呼ぶ。 | ||
'''→詳細は'''「[[聖師御校正本]]」「[[霊界物語の戦前発行各版の発行日と校正日]]」 | |||
== 諸本 == | == 諸本 == | ||
| 175行目: | 175行目: | ||
また、インターネット上の電子版としては、[[飯塚弘明]]が運営する「[[霊界物語ネット]]」がある。 | また、インターネット上の電子版としては、[[飯塚弘明]]が運営する「[[霊界物語ネット]]」がある。 | ||
'''→詳細は'''「[[霊界物語の諸本]]」 | |||
== 物語の内容 == | == 物語の内容 == | ||
=== あらすじ === | === あらすじ === | ||
'''→詳細は'''「[[霊界物語のあらすじ]]」 | |||
=== 物語の年代 === | === 物語の年代 === | ||
基本的には35万年前の物語だが、数十万年前とか、数百万年前、6~7千万年前という記述もある。 | 基本的には35万年前の物語だが、数十万年前とか、数百万年前、6~7千万年前という記述もある。 | ||
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=== 数の単位 === | === 数の単位 === | ||
* '''里''':1里は200間(約364m)とも、36町(約3927m)とも書かれている。 →「[[里]]」 | * '''里''':1里は200間(約364m)とも、36町(約3927m)とも書かれている。 →「[[里]]」 | ||
== 時間空間に関する矛盾 == | |||
霊界物語には時間の流れや地理的位置について様々な矛盾が存在する。それについて王仁三郎は次のように説明している。 | |||
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この物語に就て附言して置きたい事は、諾冊二神が海月成す漂へる国を修理固成して、国生み、島生み、神生み、万の物に生命を与へ給ひし世界以前に於ける常世城と、以後の常世城の位置は非常に変つて居る。また鬼城山その他の神策地も多少の異動があり、国の形、島の形、河川湖水山容等にも余程の変化がある事を考へねばならぬ。一々詳説すれば際限がないから、この物語には煩を避けて省いた所が沢山ある。また第一巻、第二巻に現はれた天の浮橋以前の神が、第二の世界に現はれて、その時よりは若くなつたり、或は一旦帰幽した神人が神界に前の姿を現はして活動してをるのは、常識の上から判断すれば常に矛盾のやうである。また混乱無秩序、支離滅裂の物語と聞えるのは寧ろ当然である。しかし、この物語は総ての神人の霊を主とし、その肉体を閑却したる、いはゆる霊界物語であつて、霊主体従主義であるから、この神人は何時の世に帰幽し、また幾年後に肉体をもつて現はれ、何々の活動をなし、或は善を行ひしとか、悪を行ひしとか、何神の体に宿つて生れたりとか云ふやうな詳細の点は、際限がないから大部分省いてある。 | |||
総て地上の神人は、霊より肉へ、肉より霊へと、明暗生死、現幽を往来して神業に従事するものであるから、太古の神人が中古に現はれ、また現代に現はれ、未来に現はれ、若がへり若がへりして、永遠に霊即ち本守護神、即ち吾本体の生命を無限に持続するものなるが故に、その考へを頭脳に置いて此物語を読まねば、幾多の疑惑や矛盾が湧いて来るのは当然である。 | |||
数千里の山野河海を一ケ月或は二ケ月に跋渉したり、又は一日の間に跋渉する事がある。千変万化、明滅不測の物語も、総て霊界の時間空間を超越したる現幽一貫の霊的活動を物質化、具体化して述べたものである事をも承知して貰ひたい。また北極に夏の太陽が出たり、赤道直下に降雪を見たり、種々の奇怪な物語がある。口述者に於いても、今日の知識より考へて不可解である。されど永遠無窮に熱帯は熱帯、寒帯は寒帯の侭、何時までも一定不変たる事を得ない。此宇宙は死物ではない限り、気候に於て位置に於て変動するも、幾十億万年の間の事であるから、強ち否定する訳にも行くまいと思ふ。故に読者の本書を肯定するも、否定するも、口述者に於ては何の感じもしないのである。至大無外、至小無内、若無所在、若無不所在、無明暗、無大小、無広狭、無遠近、過去と現在、未来とを問はず時間空間を超越し、人界を脱出し、大宇宙の中心に立つて、神霊界の物語を口述したものである。| {{rm|10|15|言霊別}} }} | |||
== 紹介文 == | == 紹介文 == | ||