「本教創世記」の版間の差分

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'''本教創世記'''(ほんきょうそうせいき)は、[[出口王仁三郎]]の著述。十~二十代を回顧した自叙伝。明治37年(1904年)1月から2月にかけて執筆された。十代の幼少時や二十代の[[高熊山修業]]前後の出来事と、[[幽斎修行]]の方法や実践例について述べてある。
'''本教創世記'''(ほんきょうそうせいき)は、[[出口王仁三郎]]の著述。10~20代を回顧した自叙伝。明治37年(1904年)1月から2月にかけて執筆された。10代の幼少時や20代の[[高熊山修業]]前後の出来事と、[[幽斎修行]]の方法や実践例について述べてある。


== 概要 ==
== 概要 ==
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本部所蔵写本の最後の章は第十三章であり、第十二章が脱落している。タイプ印刷本ではそのまま第十二章を脱落としているが、著作集では第十三章は内容的に第十一章に続く章と考え、第十二章の誤記だと判断している<ref name="syuu1_p474" />。
本部所蔵写本の最後の章は第十三章であり、第十二章が脱落している。タイプ印刷本ではそのまま第十二章を脱落としているが、著作集では第十三章は内容的に第十一章に続く章と考え、第十二章の誤記だと判断している<ref name="syuu1_p474" />。


一方、みいづ舎版では、第十二章は開祖批判が書いてあるため削除されたのだろうと推測し<ref>みいづ舎版「あとがき」p263</ref>、第十二章は空白のままにしている。
一方、みいづ舎版では、第十二章は開祖批判が書いてあったから削除されたのだろうと推測し<ref>みいづ舎版「あとがき」p263</ref>、第十二章は空白のままにしている。


最後の第十三章(著作集では第十二章)の後半には、「またある時は、神主を利用して筆を振るい、数多の白紙を費やして、釘の折れた如き蚯蚓の這うた如き文字を並べて、「神が口で白す代わりに筆にて知らす」なぞと、下らぬ事を書き流すものあり」等、開祖批判とも受け取れることが書いてある。
最後の第十三章(著作集では第十二章)の後半には、「またある時は、神主を利用して筆を振るい、数多の白紙を費やして、釘の折れた如き蚯蚓の這うた如き文字を並べて、「神が口で白す代わりに筆にて知らす」なぞと、下らぬ事を書き流すものあり」等、開祖批判とも受け取れることが書いてある。