「鞍馬山」の版間の差分
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== (2) 現代の鞍馬山 == | == (2) 現代の鞍馬山 == | ||
[[ファイル:近畿マップ1.jpg|thumb|京都の鞍馬山の位置]] | |||
京都にある山。[[第37巻]]・[[第38巻]]の自叙伝に出て来る。 | 京都にある山。[[第37巻]]・[[第38巻]]の自叙伝に出て来る。 | ||
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== 俊寛 == | == 俊寛 == | ||
[[出口王仁三郎]]が昭和3年(1928年)1月、[[喜界島]]に巡教<ref>台湾巡教の帰途。</ref>した時に次の歌を詠んでいる<ref>『[[真如の光]]』昭和3年(1928年)2月5日号、歌日記(六一)、5頁、1月13日の歌日記</ref> | [[出口王仁三郎]]が昭和3年(1928年)1月、[[喜界島]]に巡教<ref>台湾巡教の帰途。</ref>した時に次の歌を詠んでいる<ref>『[[真如の光]]』昭和3年(1928年)2月5日号、歌日記(六一)、5頁、1月13日の歌日記</ref>。俊寛は流刑地の喜界島で死んだと言われているが、実は生きて帰り鞍馬山で「鬼一法眼《きいちほうげん》」になったというもので、[[曲亭馬琴]]の『俊寛僧都島物語』もそういう話になっている。 | ||
* 太平洋荒波に浮く此の島に俊寛ありし昔しのばゆ | * 太平洋荒波に浮く此の島に俊寛ありし昔しのばゆ | ||
* 俊寛は窃《ひそ》かに帰り鞍馬山に天狗と名乗り源家《げんけ》を起《おこ》せり | * 俊寛は窃《ひそ》かに帰り鞍馬山に天狗と名乗り源家《げんけ》を起《おこ》せり | ||