「壬申日記」の版間の差分
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『[[真如の光]]』昭和8年(1933年)2月中旬号128頁に「急告」と題して〈従来天声社より出版の壬申日記が今回廃刊となり、そのお歌全部を「明光」誌上に掲載されることになりました、それ故出口聖師の御日常、大本の全線を識るには是非とも「明光」を御覧願はねばなりません。〉と明光本社の告知が掲載されている。『壬申日記』は前年(昭和7年)12月31日に「八の巻」(昭和7年8月の日記)が発行されており、「九の巻」以降は発行されなかった(?)。昭和8年以降の日記も単行本化されることはなく、『[[明光]]』誌に掲載されるだけだった(?)ようである。<ref>『[[明光]]』昭和8年(1933年)3月号78~106頁に、同年1月1日から31日までの歌日記658首が掲載されている。</ref> | 『[[真如の光]]』昭和8年(1933年)2月中旬号128頁に「急告」と題して〈従来天声社より出版の壬申日記が今回廃刊となり、そのお歌全部を「明光」誌上に掲載されることになりました、それ故出口聖師の御日常、大本の全線を識るには是非とも「明光」を御覧願はねばなりません。〉と明光本社の告知が掲載されている。『壬申日記』は前年(昭和7年)12月31日に「八の巻」(昭和7年8月の日記)が発行されており、「九の巻」以降は発行されなかった(?)。昭和8年以降の日記も単行本化されることはなく、『[[明光]]』誌に掲載されるだけだった(?)ようである。<ref>『[[明光]]』昭和8年(1933年)3月号78~106頁に、同年1月1日から31日までの歌日記658首が掲載されている。</ref> | ||
昭和8年1月1日から3月9日までの日記は歌集『[[山と海 (歌集)|山と海]]』(334頁以降)に掲載されている。 | |||
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