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[[ファイル:2月12日の天文現象.png|thumb|大正10年と大正13年の2月12日に王仁三郎が目撃したであろう天文現象をシミュレーションした画像。詳細は画像の解説を参照。]] | [[ファイル:2月12日の天文現象.png|thumb|大正10年と大正13年の2月12日に王仁三郎が目撃したであろう天文現象をシミュレーションした画像。詳細は画像の解説を参照。]] | ||
大正10年(1921年)2月12日(旧1月5日)、[[第一次大本事件]]が勃発した。出口王仁三郎は大阪・梅田の[[大正日日新聞社]]社長室にて午前9時半頃に検挙された。この時、晴天の空に〈上弦の月〉と〈太白星〉が白昼にもかかわらず輝いているという珍しい現象を目撃した。 | 大正10年(1921年)2月12日(旧1月5日)、[[第一次大本事件]]が勃発した。出口王仁三郎は大阪・梅田の[[大正日日新聞社]]社長室にて午前9時半頃に検挙された。この時、晴天の空に〈上弦の月〉と〈太白星〉が白昼にもかかわらず輝いているという珍しい現象を目撃した。<ref>大正12年(1923年)12月8日または9日に、王仁三郎は金沢市で日月星が天に輝いているのを目撃した。その奇瑞をデザインして「宇宙紋章」を作った。→「[[宇宙紋章]]」</ref> | ||
それから3年後の大正13年(1924年)2月12日(旧1月8日)、綾部で王仁三郎は再び同じような天文現象を目撃した。白昼に〈楕円形の月〉と〈太白星〉が輝いていたのである。 | それから3年後の大正13年(1924年)2月12日(旧1月8日)、綾部で王仁三郎は再び同じような天文現象を目撃した。白昼に〈楕円形の月〉と〈太白星〉が輝いていたのである。 | ||
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索倫山の本営には次々と兵が集まって来た。 | 索倫山の本営には次々と兵が集まって来た。 | ||
5月1日、盧占魁は王仁三郎に「庫倫(クーロン。現モンゴル首都ウランバートル)に進出するためには、興安嶺に赤軍が7千人駐屯しているため、貴下の命令通りに直進したら一戦を交えて兵と弾薬を消費してしまう。そこで熱・察・綏<ref>熱河省《ねっかしょう》、察哈爾省《チャハルしょう》、綏遠省《すいえんしょう》</ref>の3地域に進出し、本年はそこで冬籠もりをして兵備を完全に整え、来春、庫倫に進むことにしましょう。庫倫には1万の赤軍が駐屯しているが、来春には10万の兵がここに集まる予定です」ということを進言した。〔{{rm|nm|22|木局収ケ原}}〕 | |||
5月14日、王仁三郎は[[下木局子]]から[[上木局子]]へ移動する。 | 5月14日、王仁三郎は[[下木局子]]から[[上木局子]]へ移動する。 | ||