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* [[佐々木弥市]]/王昌輝:満州浪人
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* [[大倉伍一]]/石大良:満州浪人
* [[大倉伍一]]/石大良:満州浪人
* [[盧占魁]]《ろ せんかい》:東三省陸軍中将<ref>[https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A2%E5%8D%A0%E9%AD%81 卢占魁] - Wikipedia中国語版 (1923年に奉天軍によって殺されたことになっている。別人?)</ref> <ref>『柳絮地に舞ふ──満洲医科大学史』(1978年、輔仁会満洲医科大学史編集委員会 発行、{{ndldl|12115864/1/203}})という大本とは全く無関係の書物の〈第二回東蒙巡廻診療報告(自大正十三・六・二十二 至同七・二十一)〉という見出しの本文に、次のような記述がある。〈最初に決定した旅程は、豪雨あるいは匪賊の大頭目盧占魁白音太来にて殺害せられたため多数の残党本診療団の行手に横行せる等の突発事件等が起こったので著しく変更された。〉(293頁)。入蒙記によると盧占魁がパインタラで殺害された(及び王仁三郎らが捕まった)のは6月22日未明である。旅程初日にそういう事件が起きたため旅程の変更を迫られたということになる。これはこの日にパインタラで盧占魁が殺された客観的証拠となる。</ref>
* [[盧占魁]]《ろ せんかい》:東三省陸軍中将<ref>[https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A2%E5%8D%A0%E9%AD%81 卢占魁] - Wikipedia中国語版 (1923年に奉天軍によって殺されたことになっている。別人?)</ref> <ref>『柳絮地に舞ふ──満洲医科大学史』(1978年、輔仁会満洲医科大学史編集委員会 発行、{{ndldl|12115864/1/203}})という大本とは全く無関係の書物の〈第二回東蒙巡廻診療報告(自大正十三・六・二十二 至同七・二十一)〉という見出しの本文に、次のような記述がある。〈最初に決定した旅程は、豪雨あるいは匪賊の大頭目盧占魁白音太来にて殺害せられたため多数の残党本診療団の行手に横行せる等の突発事件等が起こったので著しく変更された。〉(293頁)。入蒙記によると盧占魁がパインタラで殺害された(及び王仁三郎らが捕まった)のは6月22日未明である。旅程初日にそういう事件が起きたため旅程の変更を迫られたということになる。これはこの日にパインタラで盧占魁が殺された客観的証拠となる。</ref> <ref>東三省(とうさんしょう)とは、中国東北部にある3つの省(奉天省・吉林省・黒竜江省)のこと。[[#外部リンク]]参照</ref>
* [[揚萃廷]]《よう すいてい》:盧占魁の参謀長
* [[揚萃廷]]《よう すいてい》:盧占魁の参謀長
* [[王元祺]]《おう げんき》:通訳
* [[王元祺]]《おう げんき》:通訳
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[[ファイル:2月12日の天文現象.png|thumb|大正10年と大正13年の2月12日に王仁三郎が目撃したであろう天文現象をシミュレーションした画像。詳細は画像の解説を参照。]]
[[ファイル:2月12日の天文現象.png|thumb|大正10年と大正13年の2月12日に王仁三郎が目撃したであろう天文現象をシミュレーションした画像。詳細は画像の解説を参照。]]


大正10年(1921年)2月12日(旧1月5日)、[[第一次大本事件]]が勃発した。出口王仁三郎は大阪・梅田の[[大正日日新聞社]]社長室にて午前9時半頃に検挙された。この時、晴天の空に〈上弦の月〉と〈太白星〉が白昼にもかかわらず輝いているという珍しい現象を目撃した。
大正10年(1921年)2月12日(旧1月5日)、[[第一次大本事件]]が勃発した。出口王仁三郎は大阪・梅田の[[大正日日新聞社]]社長室にて午前9時半頃に検挙された。この時、晴天の空に〈上弦の月〉と〈太白星〉が白昼にもかかわらず輝いているという珍しい現象を目撃した。<ref>大正12年(1923年)12月8日または9日に、王仁三郎は金沢市で日月星が天に輝いているのを目撃した。その奇瑞をデザインして「宇宙紋章」を作った。→「[[宇宙紋章]]」</ref>


それから3年後の大正13年(1924年)2月12日(旧1月8日)、綾部で王仁三郎は再び同じような天文現象を目撃した。白昼に〈楕円形の月〉と〈太白星〉が輝いていたのである。
それから3年後の大正13年(1924年)2月12日(旧1月8日)、綾部で王仁三郎は再び同じような天文現象を目撃した。白昼に〈楕円形の月〉と〈太白星〉が輝いていたのである。
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索倫山の本営には次々と兵が集まって来た。
索倫山の本営には次々と兵が集まって来た。


5月1日、盧占魁は王仁三郎に「庫倫《クーロン》(現モンゴルの首都ウランバートル)に進出するためには、興安嶺に赤軍が7千人駐屯しているため、貴下の命令通りに直進したら一戦を交えて兵と弾薬を消費してしまう。そこで熱・察・綏<ref>熱河省《ねっかしょう》、察哈爾省《チャハルしょう》、綏遠省《すいえんしょう》</ref>の3地域に進出し、本年はそこで冬籠もりをして兵備を完全に整え、来春、庫倫に進むことにしましょう。庫倫には1万の赤軍が駐屯しているが、来春には10万の兵がここに集まる予定です」ということを進言した。〔{{rm|nm|22|木局収ケ原}}〕
5月1日、盧占魁は王仁三郎に「庫倫(クーロン。現モンゴル首都ウランバートル)に進出するためには、興安嶺に赤軍が7千人駐屯しているため、貴下の命令通りに直進したら一戦を交えて兵と弾薬を消費してしまう。そこで熱・察・綏<ref>熱河省《ねっかしょう》、察哈爾省《チャハルしょう》、綏遠省《すいえんしょう》</ref>の3地域に進出し、本年はそこで冬籠もりをして兵備を完全に整え、来春、庫倫に進むことにしましょう。庫倫には1万の赤軍が駐屯しているが、来春には10万の兵がここに集まる予定です」ということを進言した。〔{{rm|nm|22|木局収ケ原}}〕


5月14日、王仁三郎は[[下木局子]]から[[上木局子]]へ移動する。
5月14日、王仁三郎は[[下木局子]]から[[上木局子]]へ移動する。