「岡田惟平」の版間の差分

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[[ファイル:岡田惟平の歌碑(昭和8年建立).jpg|thumb|昭和8年(1933年)に出口王仁三郎が南陽寺に建立した岡田惟平の歌碑。]]
[[ファイル:岡田惟平の歌碑(昭和8年建立).jpg|thumb|昭和8年(1933年)に出口王仁三郎が南陽寺に建立した岡田惟平の歌碑。]]
[[ファイル:岡田惟平の歌碑-昭和40年再建-1.jpg|thumb|昭和40年(1965年)に有志によって南陽寺に再建された岡田惟平の歌碑。(2016年8月撮影)]]
[[ファイル:岡田惟平の歌碑-昭和40年再建-1.jpg|thumb|昭和40年(1965年)に有志によって南陽寺に再建された岡田惟平の歌碑。(2016年8月撮影)]]
[[ファイル:岡田惟平の歌碑-昭和40年再建-2.jpg|thumb|同上]]
[[ファイル:岡田惟平の歌碑-昭和40年再建-2.jpg|thumb|同上]]
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== 歌碑 ==
== 歌碑 ==
昭和8年(1934)12月3日、王仁三郎は南陽寺に惟平を顕彰する歌碑を建立。「'''二夜ともなき望月の影きよみ もりてふかさん軒のさむしろ'''」という惟平の和歌が刻まれた。しかしこの歌碑は2年後に起きた[[第二次大本事件]]で当局によって破壊されてしまい、そのあおりで惟平の遺品まで焼却されてしまった。
昭和8年(1934)12月3日、王仁三郎は南陽寺に惟平を顕彰する歌碑を建立。「'''二夜ともなき望月の影きよみ もりてふかさん軒のさむしろ'''」という惟平の和歌が刻まれた。
 
歌碑の除幕式で王仁三郎は次の3首を献詠した。<ref>『神の国』昭和9年(1934年)2月号、93頁</ref>
* かくり世に去りにし師の君を慕ひつつ みあとのこすと石碑《いしぶみ》たつるも
* 御国《みくに》学び敷島の道教へたる吾が師の君は今や世になし
* 師の君の歌の石碑《いしぶみ》たちし今日の空は明らに澄みきらひたり
 
この歌碑は2年後に起きた[[第二次大本事件]]で当局によって破壊されてしまい、そのあおりで惟平の遺品まで焼却されてしまった。


昭和40年(1965)12月3日、有志によってほぼ同じ歌碑が再建された。
昭和40年(1965)12月3日、有志によってほぼ同じ歌碑が再建された。
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* [http://www.nanyouji.net/ 南陽寺](公式サイト)
* [http://www.nanyouji.net/ 南陽寺](公式サイト)
* [http://www.nanyouji.net/yom02.html 南陽寺境内の長寿椿と記念碑(歌碑等)]:南陽寺サイト内。歌碑について。
* [http://www.nanyouji.net/yom02.html 南陽寺境内の長寿椿と記念碑(歌碑等)]:南陽寺サイト内。歌碑について。
* <kb>岡田惟平</kb>
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== 脚注 ==
== 脚注 ==