「地恩郷別院」の版間の差分

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[[ファイル:地恩郷静生館歌碑の跡1.jpg|thumb|第二次事件で破壊された歌碑の跡]]
[[ファイル:地恩郷静生館歌碑の跡1.jpg|thumb|第二次事件で破壊された歌碑の跡]]


昭和10年(1935年)2月21日に「地恩郷静生館歌碑」の除幕式が執行された。静生館(せいせいかん?)とは地恩郷の宿舎の名。
昭和10年(1935年)2月21日に「地恩郷静生館歌碑」の除幕式が執行された。静生館(せいせいかん)とは地恩郷の宿舎の名。


歌碑に刻まれた歌は、昭和9年10月28日に王仁三郎が地恩郷を訪れた時に詠んだ歌で、次の2首である。<ref>『大本島根本苑五十年史』679頁、681頁</ref>  
歌碑に刻まれた歌は、昭和9年10月28日に王仁三郎が地恩郷を訪れた時に詠んだ歌で、次の2首である。<ref>『大本島根本苑五十年史』679頁、681頁</ref> <ref>『[[真如の光]]』昭和10年(1935年)3月25日号、2頁</ref>


〈吾郷に立ち帰里多留許々地志天 地恩能安幾農那閑免に紫た流も〉(吾が郷に立ち帰りたる心地して 地恩の秋の眺めにしたるも)
〈吾郷に立ち帰里多留許々地志天 地恩能安幾農那閑免に紫た流も〉(吾が郷に立ち帰りたる心地して 地恩の秋の眺めにしたるも)