「日本言霊学概論」の版間の差分
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水茎文字は口碑伝説のものではなく、従つて記録による発見ではない、生きながらの文字の発見であるのである。天気清朗の日この丘にたちて、湖上遙かに沖の島を望む一帯の湖面を凝視するとき、微風だになき湖面は俄かに波たちて、大いなる波紋を描くのである、その描かれたる波紋は常に秩序整然として、一定の形態を備へ決して乱るることがない、而してその出現の時間は最初より形を整へるまでに四五分乃至十分を要し、文字の形態を整へてより二十分乃至三十分間現状を維持して消失するが、その出現の状態は日夜間断なく現はれては消え、消えては現じ、何ものかがありて書記するものの如く、文章を綴るものの如くに感ぜられる、然かもその文字の雄大なるは方拾数町に及び、誰にもその形状を認めることができるものである。いまその形態と発音の順序を言霊真澄鏡に準じて表示するならば、次の如きものである。 | 水茎文字は口碑伝説のものではなく、従つて記録による発見ではない、生きながらの文字の発見であるのである。天気清朗の日この丘にたちて、湖上遙かに沖の島を望む一帯の湖面を凝視するとき、微風だになき湖面は俄かに波たちて、大いなる波紋を描くのである、その描かれたる波紋は常に秩序整然として、一定の形態を備へ決して乱るることがない、而してその出現の時間は最初より形を整へるまでに四五分乃至十分を要し、文字の形態を整へてより二十分乃至三十分間現状を維持して消失するが、その出現の状態は日夜間断なく現はれては消え、消えては現じ、何ものかがありて書記するものの如く、文章を綴るものの如くに感ぜられる、然かもその文字の雄大なるは方拾数町に及び、誰にもその形状を認めることができるものである。いまその形態と発音の順序を言霊真澄鏡に準じて表示するならば、次の如きものである。 | ||
(図表「水茎文字の実相」) | |||
水茎文字はその形態より見るも秩序整然として、各所に伝はれる神代文字に比して、余りにも形を整へてゐる、故に是れを人為的の文字の如く思惟するものあるが、それは単なる臆測にすぎずして、水茎文字は実に自然の織りなす神意の文字にして、人巧をして左右し得べからざるは、実在の活文字にして之を実見せし者の誰もが容易に肯定するところであると思ふ。只だ是れを水茎文字と命名したるは、滋賀県蒲生郡岡山村竜王崎(俗称水茎丘)より望見するとき、何等の支障なくその全貌を眼界に収むることを得るがために翁が仮に呼称したにすぎざるもので、真乎の名称は他にあるやも知れない。蓋し神代文字に対する水茎文字はその出現の地より推して決して無理な名称ではないと思ふ。若しそれこの文字を単なる波紋と誤解するものがあらば、その雄大なる神秘に接するの必要があらうと思ふ。併しながらこの水茎の文字は音義解剖上に必要欠くべからざるものなりと雖ども、いま是れを実用文字として使用することの不便なるは遺憾である、併しこの文字は声の高低とその組織を明らかにし、我が国語の正しき発音順序を示したことは大なる収穫であつたのである。 | 水茎文字はその形態より見るも秩序整然として、各所に伝はれる神代文字に比して、余りにも形を整へてゐる、故に是れを人為的の文字の如く思惟するものあるが、それは単なる臆測にすぎずして、水茎文字は実に自然の織りなす神意の文字にして、人巧をして左右し得べからざるは、実在の活文字にして之を実見せし者の誰もが容易に肯定するところであると思ふ。只だ是れを水茎文字と命名したるは、滋賀県蒲生郡岡山村竜王崎(俗称水茎丘)より望見するとき、何等の支障なくその全貌を眼界に収むることを得るがために翁が仮に呼称したにすぎざるもので、真乎の名称は他にあるやも知れない。蓋し神代文字に対する水茎文字はその出現の地より推して決して無理な名称ではないと思ふ。若しそれこの文字を単なる波紋と誤解するものがあらば、その雄大なる神秘に接するの必要があらうと思ふ。併しながらこの水茎の文字は音義解剖上に必要欠くべからざるものなりと雖ども、いま是れを実用文字として使用することの不便なるは遺憾である、併しこの文字は声の高低とその組織を明らかにし、我が国語の正しき発音順序を示したことは大なる収穫であつたのである。 | ||