「旧本殿」の版間の差分
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
(同じ利用者による、間の3版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
'''旧本殿'''(きゅうほんでん)とは、[[綾部の神苑]]にあった建物。大本で最初に造られた神殿で、明治42年(1909年)11月に完成し、[[弥仙山]] | [[ファイル:旧本殿.jpg|thumb|旧本殿]] | ||
'''旧本殿'''(きゅうほんでん)とは、[[綾部の神苑]]にあった建物。大本で最初に造られた神殿で、明治42年(1909年)11月に完成し、[[弥仙山]]から神霊が迎えられた。当初は単に「神殿」と呼ばれていたが、後に神霊が他の神殿に遷されると、「旧本殿」「旧神殿」と呼ばれるようになった。 | |||
== 略年表 == | == 略年表 == | ||
5行目: | 7行目: | ||
* 明治42年(1909年)旧1月、神殿新築が決定される。<ref name="B195401c2114">『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c2114|造営と宣教}}」</ref> | * 明治42年(1909年)旧1月、神殿新築が決定される。<ref name="B195401c2114">『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c2114|造営と宣教}}」</ref> | ||
* 同年8月3日、斧始式。8月25日、立柱式・上棟式。<ref name="oomoto_nanpyo" /> | * 同年8月3日、斧始式。8月25日、立柱式・上棟式。<ref name="oomoto_nanpyo" /> | ||
* 同年11月22日(旧10月10日)、[[弥仙山]] | * 同年11月22日(旧10月10日)、[[弥仙山]]から神霊が迎えられ、落成式と遷宮式が行われた。この時初めて大本で[[八雲琴]]が用いられた。<ref name="oomoto_nanpyo" /> <ref name="B195401c2114" /> | ||
* 明治43年(1910年)5月、教祖([[出口直]])は帰神して、大神を[[仮教祖殿]]に遷す。(大神はその後、大正3年(1914年)9月22日に[[統務閣]]へ、大正8年(1919年)4月3日に[[金竜殿]]へ遷座される)<ref name="oomoto_nanpyo" /> | * 明治43年(1910年)5月、教祖([[出口直]])は帰神して、大神を[[仮教祖殿]]に遷す。(大神はその後、大正3年(1914年)9月22日に[[統務閣]]へ、大正8年(1919年)4月3日に[[金竜殿]]へ遷座される)<ref name="oomoto_nanpyo" /> | ||
12行目: | 14行目: | ||
{{デフォルトソート:きゆうほんてん}} | {{デフォルトソート:きゆうほんてん}} | ||
[[Category: | [[Category:梅松苑]] |
2025年3月13日 (木) 04:26時点における最新版

旧本殿(きゅうほんでん)とは、綾部の神苑にあった建物。大本で最初に造られた神殿で、明治42年(1909年)11月に完成し、弥仙山から神霊が迎えられた。当初は単に「神殿」と呼ばれていたが、後に神霊が他の神殿に遷されると、「旧本殿」「旧神殿」と呼ばれるようになった。
略年表
- 明治41年(1908年)6月23日、地鎮祭。[1] [2]
- 明治42年(1909年)旧1月、神殿新築が決定される。[3]
- 同年8月3日、斧始式。8月25日、立柱式・上棟式。[1]
- 同年11月22日(旧10月10日)、弥仙山から神霊が迎えられ、落成式と遷宮式が行われた。この時初めて大本で八雲琴が用いられた。[1] [3]
- 明治43年(1910年)5月、教祖(出口直)は帰神して、大神を仮教祖殿に遷す。(大神はその後、大正3年(1914年)9月22日に統務閣へ、大正8年(1919年)4月3日に金竜殿へ遷座される)[1]
脚注
- ↑ 以下の位置に戻る: 1.0 1.1 1.2 1.3 「大本年表」
- ↑ 「大本年表」では6月23日だが、『大本七十年史 上巻』「造営と宣教#」では7月1日になっている。「ついで王仁三郎は、同年七月一日(旧六月三日)大神様お宮敷地の地鎮祭をおこなったが」
- ↑ 以下の位置に戻る: 3.0 3.1 『大本七十年史 上巻』「造営と宣教#」