「出雲大神宮」の版間の差分

 
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* 主祭神:大国主命、三穂津姫命(大国主命の妻神、高皇産霊神の姫神)。
* 主祭神:大国主命、三穂津姫命(大国主命の妻神、高皇産霊神の姫神)。
** 天津彦根命、天夷鳥命が祭神だという説もある<ref>神社パンフレットによるとその典拠は「丹波国風土記」。</ref>。
** 天津彦根命、天夷鳥命が祭神だという説もある<ref>神社パンフレットによるとその典拠は「丹波国風土記」。</ref>。
** 主祭神として素盞嗚尊や奇稲田姫を含めて三柱、または四柱とする時代もあったようである。『南桑田郡地理歴史』には〈大国主命、素盞嗚尊、奇稲田比売命を祭る〉、『近畿の名蹟 第8』には〈祭神は素盞男命、稲田姫命、大国主命、三穂津姫命の四座であるといふ〉と記されている。
* この地に鎮座したのは神代であり、1万年以上前とも言われる<ref>神社パンフレットによる。</ref>。初めて社殿を造営したのは和銅2年(709年)。
* この地に鎮座したのは神代であり、1万年以上前とも言われる<ref>神社パンフレットによる。</ref>。初めて社殿を造営したのは和銅2年(709年)。
* 丹波国一宮。旧・国幣中社。延喜式内社<ref>式内社2861社のうち「出雲神社」という名称の神社は3社ある。丹波国桑田郡、出雲国出雲郡、周防国佐波郡にあるが、丹波国桑田郡(現・出雲大神宮)は名神大社で、他は小社である。[https://dl.ndl.go.jp/pid/1273537/1/103 延喜式神名帳]</ref>。
* 丹波国一宮。旧・国幣中社。延喜式内社<ref>式内社2861社のうち「出雲神社」という名称の神社は3社ある。丹波国桑田郡、出雲国出雲郡、周防国佐波郡にあるが、丹波国桑田郡(現・出雲大神宮)は名神大社で、他は小社である。[https://dl.ndl.go.jp/pid/1273537/1/103 延喜式神名帳]</ref>。
* 戦後は神社本庁に所属していたが、昭和29年(1954年)に単立法人となる。<ref>『宗教年鑑 昭和32年版』(昭和33年3月発行)177頁、{{ndldl|3004613/1/95}}</ref>
* 戦後は神社本庁に所属していたが、昭和29年(1954年)に単立法人となる。<ref>『宗教年鑑 昭和32年版』(昭和33年3月発行)177頁、{{ndldl|3004613/1/95}}</ref>
* 延喜式に記載された名称は「出雲神社」であり、昭和20年代まで「出雲神社」と名乗っていた。20年代末に「出雲大神宮」に改名した。<ref>おそらく昭和29年(1954年)に神社本庁から離脱して単立法人となった時に「出雲大神宮」に改名したのだと思われる。『京都年鑑 昭和27年版』(昭和26年11月発行)536頁、{{ndldl|3001606/1/280}}には、京都府神社庁所属の〈出雲神社〉と記されている。『宗教年鑑 昭和32年版』177頁には名称は〈出雲大神宮〉で〈29年単立新法人となる〉と記されている。</ref> <ref>「出雲大神宮」は出雲大社の別称の一つである。記紀にそれぞれ1回ずつ見える。日本書紀の崇神天皇60年秋7月朔日に「武日照命《たけひなてるのみこと》の、天より持ち来れる神宝を、出雲大神宮《いづものおほかみのみや》に蔵《をさ》む」とある。また古事記の垂仁天皇の段に「その祟りは出雲の大神の御心なり。故《かれ》その御子を、その大神の宮を拝《をろが》ましめに」とある。</ref>
* 延喜式に記載された名称は「出雲神社」であり、'''昭和20年代まで「出雲神社」と名乗っていた'''。20年代末に「出雲大神宮」に改名した。<ref>おそらく昭和29年(1954年)に神社本庁から離脱して単立法人となった時に「出雲大神宮」に改名したのだと思われる。『京都年鑑 昭和27年版』(昭和26年11月発行)536頁、{{ndldl|3001606/1/280}}には、京都府神社庁所属の〈出雲神社〉と記されている。『宗教年鑑 昭和32年版』177頁には名称は〈出雲大神宮〉で〈29年単立新法人となる〉と記されている。</ref> <ref>「出雲大神宮」は出雲大社の別称の一つである。記紀にそれぞれ1回ずつ見える。日本書紀の崇神天皇60年秋7月朔日に「武日照命《たけひなてるのみこと》の、天より持ち来れる神宝を、出雲大神宮《いづものおほかみのみや》に蔵《をさ》む」とある。また古事記の垂仁天皇の段に「その祟りは出雲の大神の御心なり。故《かれ》その御子を、その大神の宮を拝《をろが》ましめに」とある。</ref>
* 国常立尊が鎮まる御神体山は「御影山(みかげやま)」と呼ばれる。また「御蔭山」「千年山(ちとせやま)」とも呼ばれる。
* 国常立尊が鎮まる御神体山は「御影山(みかげやま)」と呼ばれる。また「御蔭山」「千年山(ちとせやま)」とも呼ばれる。
** この地域が「千歳(ちとせ)」と呼ばれるのは、御神体山の「千年(ちとせ)」山に由来する。「千年」の由来は、昔、一人の老人がこの山に住んでいたが、老人とは思えない若々しい容姿だった。村人が老人に「この山に何年住んでいるのか」と尋ねると、老人は「千年になる」と答えたという伝承がある。<ref name="pid1040146">高橋新吉『神社参拝』</ref>
** この地域が「千歳(ちとせ)」と呼ばれるのは、御神体山の「千年(ちとせ)」山に由来する。「千年」の由来は、昔、一人の老人がこの山に住んでいたが、老人とは思えない若々しい容姿だった。村人が老人に「この山に何年住んでいるのか」と尋ねると、老人は「千年になる」と答えたという伝承がある。<ref name="pid1040146">高橋新吉『神社参拝』</ref>
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== 元出雲 ==
== 元出雲 ==
出雲大神宮は「元出雲」という俗称がある。その由来として公式サイトで次のように説明されている。〈『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」と記します。よって当宮に古来より元出雲の信仰があります。〉<ref>「[http://www.izumo-d.org/gosaijin.html 御祭神]」(2024/7/20閲覧)</ref>。つまり当社から出雲に大国主命を遷して杵築大社(現・出雲大社)が創建されたということである。<ref>「丹波国風土記」という文献は存在しない。「丹波国風土記逸文」も存在しない。出雲大神宮の説明における「丹波国風土記」とは具体的に何の文献を指しているのかは不明である。風土記は和銅6年(713年)に元明天皇が各国に編纂を命じたもので、出雲・播磨・肥前・常陸・豊後の5ヶ国の風土記しか現存しない。他の国の風土記は「逸文」として断片的に伝えられている。「逸文」とは後世の文書に引用されている文章である。丹'''後'''国風土記逸文は存在するが、丹'''波'''国風土記逸文は発見されていない。実際には「丹波国風土記」と称する文献がいくつかあるが、地名しか書いてなかったり(多和文庫の丹波国風土記注進)、後世に作られた別書物だったり(池底叢書の丹波国風土記)する。</ref>
出雲大神宮は「元出雲」という俗称がある。「元伊勢」や「元外宮」と呼ばれる神社は複数あるが、「元出雲」は当社だけである。


出雲大神宮が「元出雲」だと一般に知られるようになったのは戦後であり、戦前は「元出雲」だと記した資料はほとんどない。昭和15年(1940年)発行の『神社大観』<ref>光永星郎・編『神社大観』昭和15年(1940年)1月、日本電報通信社、386頁、{{ndldl|1920844/1/206}}</ref>に〈本社は俗に元出雲と称せられてゐる〉と記されているものの、何故「元出雲」なのかについては説明されていない。
「元出雲」の由来として公式サイトで次のように説明されている。〈『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」と記します。よって当宮に古来より元出雲の信仰があります。〉<ref>「[http://www.izumo-d.org/gosaijin.html 御祭神]」(2024/7/20閲覧)</ref>。つまり当社から出雲に大国主命を遷して杵築大社(現・出雲大社)が創建されたということである。<ref>「丹波国風土記」という文献は存在しない。「丹波国風土記逸文」も存在しない。出雲大神宮の説明における「丹波国風土記」とは具体的に何の文献を指しているのかは不明である。風土記は和銅6年(713年)に元明天皇が各国に編纂を命じたもので、出雲・播磨・肥前・常陸・豊後の5ヶ国の風土記しか現存しない。他の国の風土記は「逸文」として断片的に伝えられている。「逸文」とは後世の文書に引用されている文章である。丹'''後'''国風土記逸文は存在するが、丹'''波'''国風土記逸文は発見されていない。実際には「丹波国風土記」と称する文献がいくつかあるが、地名しか書いてなかったり(多和文庫の丹波国風土記注進)、後世に作られた別書物だったり(池底叢書の丹波国風土記)する。</ref>
 
出雲大神宮が「元出雲」だと一般に知られるようになったのは戦後であり、戦前は「元出雲」だと記された資料はほとんどない。昭和15年(1940年)発行の『神社大観』に〈本社は俗に元出雲と称せられてゐる〉と記されているものの、何故「元出雲」なのかについては説明されていない。


戦前は、出雲大社から勧請されたと言われていた。
戦前は、出雲大社から勧請されたと言われていた。
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御神体山には国常立尊が鎮座するということが一般に知られるようになったのは、戦後のことのようである。戦前の資料にそのことに触れているものは見つからない。
御神体山には国常立尊が鎮座するということが一般に知られるようになったのは、戦後のことのようである。戦前の資料にそのことに触れているものは見つからない。


王仁三郎は御神体山に国常立尊が鎮座しているということを知っていたようである。大正15年(1926年)6月17日、王仁三郎が出雲神社に参拝した時の歌日記<ref>『[[真如の光]]』大正15年(1926年)6月25日号、24頁</ref>に〈仰ぎ見るさへも畏き御影山《みかげやま》は国常立の神の隠れ処《が》〉と歌われている。
王仁三郎は御神体山に国常立尊が鎮座しているということを知っていた。大正15年(1926年)6月17日、王仁三郎が出雲神社に参拝した時の歌日記<ref>『[[真如の光]]』大正15年(1926年)6月25日号、24頁</ref>に〈仰ぎ見るさへも畏き御影山《みかげやま》は国常立の神の隠れ処《が》〉と歌われている。


出雲大神宮のパンフレット<ref>2010年頃に入手したもの。</ref>に、〈富士古文書(宮下文書)では、首座は国常立命の神霊をお祀りし、両側の二座に大国主命、三穂津姫命が鎮座しているという内容の記述もある〉と記されている。<ref>三輪義凞『神皇記』(宮下文書のダイジェスト版)34~35頁に、国常立尊(天之御中世の第15代高皇産霊神の第五子)は「田場国」(丹波国)の「田羽山の陵」に葬られたと記されている。</ref>
出雲大神宮のパンフレット<ref>2010年頃に入手したもの。</ref>に、〈富士古文書(宮下文書)では、首座は国常立命の神霊をお祀りし、両側の二座に大国主命、三穂津姫命が鎮座しているという内容の記述もある〉と記されている。<ref>三輪義凞『神皇記』(宮下文書のダイジェスト版)34~35頁に、国常立尊(天之御中世の第15代高皇産霊神の第五子)は「田場国」(丹波国)の「田羽山の陵」に葬られたと記されている。</ref>
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* 辰馬六郎『近畿の名蹟 第8』昭和4年(1929年)、金剛社、82頁、{{ndldl|1240975/1/49}}
* 辰馬六郎『近畿の名蹟 第8』昭和4年(1929年)、金剛社、82頁、{{ndldl|1240975/1/49}}
* 『大日本神社志 3』昭和8年(1933年)、大日本敬神会本部、274頁、{{ndldl|1264534/1/23}}
* 『大日本神社志 3』昭和8年(1933年)、大日本敬神会本部、274頁、{{ndldl|1264534/1/23}}
* 光永星郎・編『神社大観』昭和15年(1940年)1月、日本電報通信社、386頁、{{ndldl|1920844/1/206}}
* 高橋新吉『神社参拝』昭和17年(1942年)、明治美術研究所、153~156頁、{{ndldl|1040146/1/91}}
* 高橋新吉『神社参拝』昭和17年(1942年)、明治美術研究所、153~156頁、{{ndldl|1040146/1/91}}
* 『神社名鑑』昭和38年(1963年)、神社本庁神社名鑑刊行会、524~525頁、{{ndldl|2997363/1/272}}
* 『神社名鑑』昭和38年(1963年)、神社本庁神社名鑑刊行会、524~525頁、{{ndldl|2997363/1/272}}
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== その他 ==
== その他 ==
昭和24年(1949年)に宗教法人として設立された「出雲大神宮教」(大阪市東淀川区)の創始者・下野善弘)は出雲の日御碕神社大阪分院長をしていた者で、亀岡の出雲大神宮とは無関係。<ref>『宗教家名鑑 昭和29年版』日本宗教時報社、10頁、{{ndldl|2976952/1/14}}</ref>  
昭和24年(1949年)に宗教法人として設立された「出雲大神宮教」(大阪市東淀川区)という新宗教がある。その創始者・下野善弘は出雲の日御碕神社大阪分院長をしていた者で、亀岡の出雲大神宮とは無関係。<ref>『宗教家名鑑 昭和29年版』日本宗教時報社、10頁、{{ndldl|2976952/1/14}}</ref>
 
== 関連項目 ==
* [[元伊勢]]
* [[元外宮]]
* [[元伊勢皇大神社]]
* [[元伊勢籠神社]]
* [[比沼麻奈為神社]](元外宮)


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.izumo-d.org/ 出雲大神宮](公式サイト)
* [http://www.izumo-d.org/ 出雲大神宮](公式サイト)
* <wp>出雲大神宮</wp>
* {{wp|出雲大神宮}}
* <wp>亀岡市</wp>
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* <wp>千歳村 (京都府)</wp>
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{デフォルトソート:いすもたいしんくう}}
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[[Category:神社]]
[[Category:神社]]
[[Category:出雲大神宮]]
[[Category:出雲大神宮|*]]