「大本教学 (教学誌)」の版間の差分

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* 第十五号:(未確認)、{{obn|132315}}
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* 第十六号:(未確認)、{{obn|132316}}
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* 第十七号:昭和53年(1978年)7月発行<ref name="No17_19">[[出口和明]]『[[第三次大本事件の真相]]』によると、『大本教学』第17号は発行されたものの〈執行部の強い圧力によりついに読者の手に配布されることはなかった〉(同書p205)(国立国会図書館には所蔵されている)。また第19号も〈たちまち発行禁止に〉なった(同書p208)。</ref>、{{obn|132317}}
* 第十七号:昭和53年(1978年)7月12日発行<ref name="No17_19">[[出口和明]]『[[第三次大本事件の真相]]』によると、『大本教学』第17号は発行されたものの〈執行部の強い圧力によりついに読者の手に配布されることはなかった〉(同書p205)(国立国会図書館には所蔵されている)。また第19号も〈たちまち発行禁止に〉なった(同書p208)。</ref>、{{obn|132317}}
* 第十八号:(未確認)、{{obn|132318}}
* 第十八号:(未確認)、{{obn|132318}}
* 第十九号:昭和55年(1980年)9月発行<ref name="No17_19" />、{{obn|132319}}
* 第十九号:昭和55年(1980年)9月3日発行<ref name="No17_19" />、{{obn|132319}}


== 目次 ==
== 目次 ==
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=== 第十九号 ===
=== 第十九号 ===
大本教祖伝資料(一)
大本教祖伝資料(一)
* p009 考証・出口なお伝(上)
* p009 考証・出口なお伝(上)<ref>[[出口和明]]『[[いり豆の花]]』の「あとがき」764頁によると、「考証・出口なお伝」は出口和明の〈教学委員としての私の研鑽の結果であり、本書前半の第五篇第一章までに該当する〉。つまり「考証・出口なお伝」をもとに『いり豆の花』を作成したということである。</ref>
** p010 序──大本教祖伝の系譜
** p010 序──大本教祖伝の系譜
** p014 凡例
** p014 凡例