「大本教学 (教学誌)」の版間の差分

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* 創刊号:昭和35年(1960年)2月発行、{{obn|132301}}
* 創刊号:昭和35年(1960年)2月発行、{{obn|132301}}
* 第二号:(未確認)、{{obn|132302}}
* 第二号:昭和35年(1960年)8月7日発行、全80頁、{{obn|132302}}
* 第三号:(未確認)、{{obn|132303}}
* 第三号:(未確認)、{{obn|132303}}
* 第四号:(未確認)、{{obn|132304}}
* 第四号:(未確認)、{{obn|132304}}
* 第五号:(未確認)、{{obn|132305}}
* 第五号:昭和44年(1969年)8月7日発行、全121頁、{{obn|132305}}
* 第六号:昭和44年(1969年)11月6日発行、121頁、{{obn|132306}}
* 第六号:昭和44年(1969年)11月6日発行、全121頁、{{obn|132306}}
* 第七号:昭和45年(1970年)4月7日発行、144頁、{{obn|132307}}
* 第七号:昭和45年(1970年)4月7日発行、全144頁、{{obn|132307}}
* 第八号:昭和45年(1970年)8月7日発行、120頁、{{obn|132308}}
* 第八号:昭和45年(1970年)8月7日発行、全120頁、{{obn|132308}}
* 第九号:昭和46年(1971年)2月3日発行、144頁、{{obn|132309}}
* 第九号:昭和46年(1971年)2月3日発行、全144頁、{{obn|132309}}
* 第十号:昭和46年(1971年)11月6日発行、120頁、{{obn|132310}}
* 第十号:昭和46年(1971年)11月6日発行、全120頁、{{obn|132310}}
* 第十一号:昭和47年(1972年)2月4日発行、200頁、{{obn|132311}}
* 第十一号:昭和47年(1972年)2月4日発行、全200頁、{{obn|132311}}
* 第十二号:昭和47年(1972年)8月7日発行、192頁、{{obn|132312}}
* 第十二号:昭和47年(1972年)8月7日発行、全192頁、{{obn|132312}}
* 第十三号:(未確認)、{{obn|132313}}
* 第十三号:(未確認)、{{obn|132313}}
* 第十四号:(未確認)、{{obn|132314}}
* 第十四号:(未確認)、{{obn|132314}}
* 第十五号:(未確認)、{{obn|132315}}
* 第十五号:(未確認)、{{obn|132315}}
* 第十六号:(未確認)、{{obn|132316}}
* 第十六号:(未確認)、{{obn|132316}}
* 第十七号:昭和53年(1978年)7月発行<ref name="No17_19">[[出口和明]]『[[第三次大本事件の真相]]』によると、『大本教学』第17号は発行されたものの「執行部の強い圧力によりついに読者の手に配布されることはなかった」(同書p205)。また第19号も「たちまち発行禁止に」なった(同書p208)。</ref>、{{obn|132317}}
* 第十七号:昭和53年(1978年)7月12日発行<ref name="No17_19">[[出口和明]]『[[第三次大本事件の真相]]』によると、『大本教学』第17号は発行されたものの〈執行部の強い圧力によりついに読者の手に配布されることはなかった〉(同書p205)(国立国会図書館には所蔵されている)。また第19号も〈たちまち発行禁止に〉なった(同書p208)。</ref>、{{obn|132317}}
* 第十八号:(未確認)、{{obn|132318}}
* 第十八号:(未確認)、{{obn|132318}}
* 第十九号:昭和55年(1980年)9月発行<ref name="No17_19" />、{{obn|132319}}
* 第十九号:昭和55年(1980年)9月3日発行<ref name="No17_19" />、{{obn|132319}}


== 目次 ==
== 目次 ==
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=== 第十四号 ===
=== 第十四号 ===
* p004/神歌/[[出口王仁三郎]]
* p014/歴史のはじまり/[[大国美都雄]]
* p023/農は国の大本なり/[[出口新衛]]
* p030/預言書として観た霊界物語/[[木庭次守]]
* p040/大本教学研鑽の基本問題/[[葦原万象]]
* p050/綾の聖地(1)─金竜海について─/[[徳重高嶺]]
* p058/丹波王朝時代と「桑田宮」について/[[三浦一郎]]
* p069/「祝詞」にみる大本主神観 ─研鑽資料として─/[[米川清吉]]
* p122/大本教祖伝(1)/[[出口和明]]
* p197/[[大本年表]](八)昭和十年八月から昭和十年十二月八日まで・附当局メモ


=== 第十五号 ===
=== 第十五号 ===
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* p004/万教同根(霊界物語第六巻)/[[出口王仁三郎]]
* p004/万教同根(霊界物語第六巻)/[[出口王仁三郎]]
* p006/序にかえて/[[出口栄二]]
* p006/序にかえて/[[出口栄二]]
* 第一回シンポジウム
* 第一回シンポジウム(昭和52年6月6日)
** p009/大本教学における万教同根論
** p009/大本教学における万教同根論
*** p012/報告一、大本教団史上の立場から
*** p012/報告一、大本教団史上の立場から
268行目: 278行目:
*** p050/自由討論
*** p050/自由討論
** p079/第一回シンポジウム提出資料
** p079/第一回シンポジウム提出資料
* 第二回シンポジウム
* 第二回シンポジウム(昭和52年6月20日)
** p197/救世の経綸と万教同根論
** p197/救世の経綸と万教同根論
*** p199/報告一、大本の神観
*** p199/報告一、大本の神観
279行目: 289行目:
** p295/イスラムの宗教/加賀谷寛
** p295/イスラムの宗教/加賀谷寛
** p309/カトリックの立場/田中健一、東門陽二郎
** p309/カトリックの立場/田中健一、東門陽二郎
* 第三回シンポジウム
* 第三回シンポジウム(昭和52年10月24日)
** p335/共同礼拝はどこまで可能か
** p335/共同礼拝はどこまで可能か
*** p340/報告一、教学的立場から
*** p340/報告一、教学的立場から
286行目: 296行目:
*** p356/自由討論
*** p356/自由討論
** p373/第三回シンポジウム提出資料
** p373/第三回シンポジウム提出資料
* 京都国際会議場シンポジウム
* 京都国際会議場シンポジウム(昭和52年11月8日)
** p407/諸宗教間の協力について
** p407/諸宗教間の協力について
*** p413/基調講演(S・P・ロジャーズ、岸英司)
*** p413/基調講演(S・P・ロジャーズ、岸英司)
299行目: 309行目:
** p500/高嶺の月/[[日野巌]]
** p500/高嶺の月/[[日野巌]]
** p510/万教同根論─教理と実践─/[[葦原萬象]]
** p510/万教同根論─教理と実践─/[[葦原萬象]]
=== 第十九号 ===
大本教祖伝資料(一)
* p009 考証・出口なお伝(上)<ref>[[出口和明]]『[[いり豆の花]]』の「あとがき」764頁によると、「考証・出口なお伝」は出口和明の〈教学委員としての私の研鑽の結果であり、本書前半の第五篇第一章までに該当する〉。つまり「考証・出口なお伝」をもとに『いり豆の花』を作成したということである。</ref>
** p010 序──大本教祖伝の系譜
** p014 凡例
** p015 第一章 神が隠した経綸の地場
** p021 第二章 いんねんの身魂の誕生
** p036 第三章 三千年あまりての経綸
** p055 第四章 無常の風が誘いにくる
** p064 第五章 代々続く女のご世継ぎ
** p073 第六章 世の元の生神の住まい
** p086 第七章 善と悪とがおなじ種に
** p103 第八章 貸した物はよう取らず
** p116 第九章 不公平ではおさまらん
** p125 第一〇章 瓦持ちもいたしたぞよ
** p137 第一一章 弟子置く代りに饅頭屋
** p149 第一二章 山から柱を夫婦で運ぶ
** p158 第一三章 出口の後継ぎになる子
** p174 第一四章 後家のようにおもうて
** p178 第一五章 地獄の釜の焦げ起こし
** p193 第一六章 吟味した酒を飲ませて
** p207 第一七章 えらい加減がわるうて
** p218 第一八章 御三体の大神の御守護
** p227 第一九章 後にくる人まつばかり
** p235 第二〇章 米が高うござりまして
** p247 第二一章 人民ではなかりたぞよ
** p259 第二二章 病気全快なさしめ給え
** p266 第二三章 一どにひらくうめの花
** p279 注
* p289 瑞月校閲・大本教祖伝(開祖の巻)
** p438 大本教祖伝索引


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==