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{{kakikake}} [[ファイル:入蒙時の出口王仁三郎(馬上).jpg|thumb|馬上の王仁三郎]] [[ファイル:入蒙ルート概略図.png|thumb|入蒙ルート概略図]] '''入蒙'''(にゅうもう)とは、[[出口王仁三郎]]が大正13年(1924年)に、蒙古を宗教的・平和的に統一して東亜連盟の基礎を築くため<ref>{{rm|nm|5|心の奥}}</ref>大陸に渡った行動のこと。[[奉天]]から馬賊約1千名の集団を引き連れ外蒙を目指して行軍したが、途中で現地軍に捕まり強制帰国となった。その記録は霊界物語の「[[入蒙記]]」に記されている。 == 概要 == == 入蒙略年表 == ;2月12日 :月と太白星が白昼輝くのを目撃〔{{rm|nm|6|出征の辞}}〕 ;2月13日 :午前3時半、[[綾部]]を汽車で出発〔{{rm|nm|7|奉天の夕}}〕 :夜、下関港を出航 ;2月14日 :朝、釜山港に上陸、鉄道で北上 ;2月15日 :夜、[[奉天]]に到着、[[盧占魁]]と面会〔{{rm|nm|8|聖雄と英雄}}〕 ;3月3日 :奉天を出発〔10章〕 ;3月6日 :[[鄭家屯]]《ていかとん》に到着〔{{rm|nm|12|焦頭爛額}}〕 ;3月8日 :[[洮南]]《とうなん》に到着〔{{rm|nm|13|洮南旅館}}〕 ;3月25日 :洮南を出発〔15章〕 ;3月26日 :[[公爺府]]《こんえふ》に到着 ;4月26日 :奥地へ向けて公爺府を出発〔{{rm|nm|20|春軍完備}}〕 ;4月28日 :[[下木局子]]《しももっきょくし》に到着 ;5月14日 :[[上木局子]]《かみもっきょくし》に移動〔{{rm|nm|24|木局の月}}〕 ;6月3日 :[[興安嶺]]《こうあんれい》の聖地を目指して出発〔{{rm|nm|28|行軍開始}}〕 ;6月5日 :進路が何故か南方に変わる〔{{rm|nm|29|端午の日}}〕 :[[天保山]]の跡を目撃 ;6月11日 :[[熱河]]区内のラマ廟に到着〔{{rm|nm|31|強行軍}}〕 ;6月21日 :[[白音太拉]]《パインタラ》に到着〔{{rm|nm|34|竜口の難}}〕 :支那軍に武装解除させられる ;6月22日 :午前1時、捕縛される。 :[[盧占魁]]ら銃殺される、王仁三郎らも銃殺されそうになるが、助かる ;6月23日 :早朝、[[鄭家屯]]の日本領事館の[[土屋書記生]]が面会〔{{rm|nm|35|黄泉帰}}〕 ;7月5日 :日本領事館に引き渡される ;7月21日 :大連に到着 ;7月25日 :門司に到着 ;7月27日 :[[大阪刑務所]]北区支所に収監〔{{rm|nm|36|天の岩戸}}〕 ;11月1日 :保釈され98日ぶりに出所し帰綾 == 関連項目 == * [[入蒙記]] * [[王仁蒙古入記]] * 『[[まつのよ (教学誌)]] 第六号 特集「聖師ご入蒙」』 * [[出口和明]]『[[出口王仁三郎 入蒙秘話]]』 == 脚注 == <references/> {{デフォルトソート:にゆうもう}} [[Category:入蒙|*]]
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