コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
王仁DBで検索
Googleで検索
カテゴリから探す
最近作られたページ
最近の更新
おまかせ表示
編集者用
著作権について
Onipedia
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
弥勒神像のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
弥勒神像
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
この操作は、次のグループに属する利用者のみが実行できます:
登録利用者
。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
[[ファイル:出口王仁三郎と弥勒神像.jpg|thumb|[[出口王仁三郎]]と弥勒神像]] '''弥勒神像'''(みろくしんぞう)は、熊本県[[山鹿]](やまが)市の[[瑞霊苑]]にある、[[出口王仁三郎]]と等身大の観音像のこと。 == 概要 == 大正12年(1923年)8月7日、王仁三郎は綾部を出発して熊本県の[[杖立温泉]]に向かった。8月30日まで滞在し、続いて熊本市内で2泊し、9月1日は熊本県鹿本郡山鹿町(現・山鹿市)に泊まり、翌9月2日は鹿本郡山鹿町三玉村大字蒲生(現・[[山鹿]]市蒲生)の観音堂と不動岩(後に「[[ミロク岩]]」と命名)に参拝した。 観音堂には石像の観音があり、王仁三郎が持参の「五六七の杖」で観音像の高さを測ってみると、杖の長さと同じ5尺6寸7分(約170cm)あった。像の冠を除いた高さは5尺3寸(約161cm)あった。これらは王仁三郎の身長と同一である(頭頂までが5尺3寸)。また観音像が左手に持つ蓮の実には33の波が刻まれていた。王仁三郎が像を掴んで鎮魂をかけると像は盛んに動き出した。 王仁三郎は「観音様は三十三相に身を変じて諸人を済度されたのであるが、後に最勝妙如来と出世されるという事が法華経に書いてある。最勝妙如来というのはミロクさんのこっちゃぜ」と説いた。 不動岩に登った後、再び観音堂に入り休息した後、帰ろうとすると、観音像の胸に3寸(約9cm)ほどの月の形が現じていた<ref>『新月の光』0071「みろく最勝妙如来」には、像が動き出した瞬間に月の形が現れたと記されている。</ref>。 参考文献:[[河津雄]]「西遊随行記〔四〕」『[[神の国]]』大正12年10月25日号p27-28 == 瑞霊苑 == [[ファイル:山鹿の瑞霊苑1.jpg|thumb|瑞霊苑。左側に弥勒神像。平成25年(2013年)11月撮影。]] 大正14年(1925年)7月3日(異説あり<ref>『[[大本年表]]』には'''7月3日'''と記載されているが、『[[新月の光]]』0071「みろく最勝妙如来」・0099「瑞霊苑と弥勒神像」には'''6月30日'''と記されている。</ref>)、王仁三郎は弥勒神像があるところを「瑞霊苑」と命名した。[[尾形太郎作]]をその祠官に任命した<ref name="kake0099">『新月の光』0099「瑞霊苑と弥勒神像」</ref>。 「神像は霊界物語第2巻に示された[[美山彦]]命の造りし神岩([[ミロク岩]])に向かい合うように鎮祭せよ」と王仁三郎は命じ、大正13年(1924年)3月3日に鎮祭された<ref name="kake0099" />。 昭和45年(1970年)10月25日、弥勒神像の47周年の大祭に引き続き、三代教主・[[出口直日]]が揮毫した「瑞霊苑」碑の除幕式が行われた<ref name="kake0099" />。 == 関連項目 == * [[伊都能売観音像 (熊本)]]:[[九州別院]](現・[[熊本本苑]])内にある * [[ミロク岩]]:山鹿 == 外部リンク == * {{wp|三玉村}}:昭和29年(1954年)に山鹿町など近隣自治体と合併して山鹿市となる。 * {{wp|山鹿町}} * {{wp|山鹿市}} == 脚注 == <references/> [[Category:大本の施設|みろくしんそう]]
このページで参照読み込みされているページ:
テンプレート:Wp
(
ソースを閲覧
)
弥勒神像
に戻る。
検索
検索
弥勒神像のソースを表示
話題を追加