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天の真浦
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'''天の真浦'''(あめのまうら)は、[[霊界物語]]に登場する人物。[[三五教]]の[[宣伝使]]。別名「'''守彦'''(もりひこ)」。 == 概要 == [[ファイル:霊界物語熊野・琉球にまつわる主な人物系図.jpg|thumb|霊界物語における熊野と琉球にまつわる主な人物の系図]] * 表記ゆれ:「真浦」(「天の」が付かない)<ref>使用回数は、「天の真浦」は29回、「真浦」(「天の」が付かない)は65回 (セリフの頭の人名は除く)</ref> * 初出:{{rm|20|1|武志の宮}} * ドラマの上では、本来「'''守彦'''(もりひこ)」という名だったが、{{rm|20|3|山河不尽}}で「天の真浦」という名が付いた。ただし霊界物語の文章上は最初から「天の真浦」という名で記されている。守彦という名は{{rms|20|3|山河不尽}}と{{rms|20|4|六六六}}だけで使われている。「まうら」の名の由来は、男(田吾作)が誤って守彦の足の小指を鍬で切り落としてしまい、守彦は慌てて小指を裏表逆に、つまり真裏にして付けてしまったからである(小指はそのままくっついて治った)。<ref name="rm2003">{{rm|20|3|山河不尽}}:「男は怒り心頭に達し鍬を真向に翳し留公の頭を目蒐けて打ち下ろした。留公はヒラリと体を躱した機に、鍬は外れて真浦の足の小指を斬り落した。真浦は顔を顰め落ちた指を手早く拾つて傷口にあてた。指は其儘に密着した。余り慌てたと見えて小指の先は裏表に付けて仕舞つた。之迄は真浦に対し守彦と云ふ名が付いて居たが茲に初めて真浦と云ふ名が出来たのである」</ref> * [[元照彦]]の御霊の再来。<ref>{{rm|20|1|武志の宮}}:「茲に元照彦の御霊の再来、天の真浦は」</ref> * [[大台ケ原]]の山麓で生まれ、木樵を業としていたが、[[綾の聖地]]に[[錦の宮]]が建設されたことを聞くと、木樵を廃業して錦の宮へ行き、[[言依別命]]に謁して、宣伝使となった。<ref>{{rm|20|1|武志の宮}}:「大台ケ原の山麓に生れ、木樵を業となし其日を送り居たるが、綾の高天に錦の宮の建造され、神徳四方に光り輝くと聞きて、樵夫の業を廃し、遥々聖地に訪ね来り、言依別命に謁し、新に宣伝使となることを得た」</ref> * 幼名は「松」。[[熊野]]の生まれで、幼少時に父母やきょうだいと生き別れていたが、{{rm|20|7|再生の歓}}で自分の両親が[[松鷹彦]]・[[お竹]]だということが判明する。また、[[宗彦]]・[[お勝]]が弟妹だということも判明する。<ref>{{rm|20|7|再生の歓}}:「私は紀の国熊野の生れで御座います」「父も母も行方不明となり、三人の兄妹も何うなつたか、何分小さい時に分れたのものですから顔も知らず、全然世の中に親族も何もない一人ぼつちです」</ref> == 関係の深い人物 == * [[お春]]:妻。 * [[松鷹彦]]:父。[[武志の宮]]の神司。 * [[お竹]]:母。 * [[宗彦]]:弟。幼名は「竹」。後に[[国依別]]に改名。[[末子姫]]と結婚し、[[ウヅの国]]の国司になる。 * [[お勝]]:妹。幼名は「梅」。 * [[田吾作]]:お勝の夫。後に[[玉治別]]に改名。[[黒姫]]が捨てた子。 == 主なエピソード == 天の真浦は[[言依別命]]から、[[宇都山郷]]へ行って初宣伝を試みよと命じられ、雪山を進んでいた。途中で[[秋彦・駒彦]]と出会う。二人は言依別命から天の真浦の信仰力を試すように命じられていた。三人は[[浮木の里]]の[[武志の宮]]の神主・[[松鷹彦]]に頼んで、[[バラモン教]]の[[友彦]]の館に案内してもらう。その途中、天の真浦は秋彦・駒彦によって崖から突き落とされた。天の真浦は雪の上に座ってニコニコしている。これは宣伝使としての試験だった。二人は天の真浦に及第点を与え、その場を去った。〔{{rm|20|1|武志の宮}}前半〕 天の真浦は松鷹彦の家に滞在し、松鷹彦とその妻・お竹から「[[不言実行]]」を実地で学ばされる。〔{{rm|20|1|武志の宮}}後半〕 天の真浦はバラモン教の友彦の館へ行く途中、畑の芋を踏み潰している[[留公]]を見つけて咎めた。畑の主である[[田吾作]]は怒って鍬を振り上げるが、誤って天の真浦の足の小指を切り落としてしまう。天の真浦はとっさに指を拾ってくっつけるが、裏表逆様に(真裏に)付けてしまった。これが「真浦」の名の由来である<ref name="rm2003" />。天の真浦は二人を諭し、二人は和解した。〔{{rm|20|3|山河不尽}}前半〕 天の真浦は[[留公]]の屋敷で宣伝歌を歌うと、そこに滞在していた友彦は驚いてどこかに逃げてしまった。〔{{rm|20|3|山河不尽}}後半~{{rms|20|4|六六六}}前半〕 [[松鷹彦]]と[[お竹]]<ref>お竹は{{rm|20|5|親不知}}で誤って川で死んでしまった。「婆アは川に誤つて 寂滅為楽となりました」</ref>が天の真浦の生き別れた両親だと判明する(天の真浦は長男で幼名は「松」<ref>{{rm|20|7|再生の歓}}:[[田吾作]]のセリフ「貴方の御'''長男'''松さまに間違ひありません」</ref>)。また[[宗彦]]と[[お勝]]は弟妹だと判明する。天の真浦は武志の宮に留まり、[[お春]]と結婚し、父の後を継ぐことになった。〔{{rm|20|6|梅花の痣}}~{{rms|20|7|再生の歓}}〕 天の真浦はその後、[[フサの国]]へ行った。<ref>{{rm|22|20|三の魂}}:「国依別は兄の真浦が波斯の国へ出で行きしを以て、已むを得ず宇都山郷の武志の宮に仕へて神教を伝へ、父の松鷹彦に孝養を尽した」</ref> == 日本神話 == 日本神話に天の真浦に相応する人物が登場する。 古事記では「鍛人(かぬち)」(鍛冶屋)の「天津麻羅(あまつまら)」という名で、天の岩戸開きの時に鏡を作った。 日本書紀では「倭鍛部(やまとのかぬち)」の「天津真浦(あまつまら)」という名で、綏靖天皇(第二代天皇)の時代に、鹿を射る鏃(矢じり)を作った。 * {{kb|天津真浦</kb>(あまつまら) * {{wp|天津麻羅}}(あまつまら) == 脚注 == <references/> {{デフォルトソート:あめのまうら}} [[Category:霊界物語の人物]]
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