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中岡艮一
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[[ファイル:中岡艮一.jpg|thumb|中岡艮一]] '''中岡艮一'''(なかおか こんいち、1903~1980年)は、大正10年に総理大臣・[[原敬]]を刺殺した人物。 == 概要 == * 原敬は大正10年(1921年)2月12日の[[第一次大本事件]]当時の総理大臣である(大正7年9月29日就任。在職中の10年11月4日に刺殺)。[[本宮山神殿]]の取り毀し工事(10月20日から27日まで)が完了した8日後に中岡艮一によって刺殺された。 * 原敬を刺殺した中岡艮一は大本関係の書物の中で、[[艮の金神]]の「艮」を名に持つ等と紹介される場合がある。【例】出口和明『[[出口なお王仁三郎の予言確言]]』245頁〈大本に第一次弾圧を加えた内閣の首班原敬は、本宮山神殿を毀し終わって八日目(大正十年十一月四日)、東京駅頭で珍しい艮の一字を名に持つ青年中岡艮一のために刺殺された〉。 * 裁判では、中岡の背後関係はなく、単独犯とされる。 * 犯行の動機は、政治的目的は希薄である。失恋によるもの(社会的な大きな事件を起こして名を挙げて振られた女性の注意を惹きたい)という説もある。<ref>『近代日本暗殺史』</ref> * 中岡は無期懲役となり服役したが、三度の恩赦によって刑期が11年3ヶ月に短縮され、出所後は大陸に渡った(→[[#略歴]])。現職総理大臣を刺殺するという重大事件であるにもかかわらず大幅に減刑されたのは、犯行動機が政治的目的ではなかったからとされる。しかし大幅な減刑や、大陸行きには、中岡を政治利用しようとする何らかの勢力の思惑が働いていたという意見もある。 == 大本との接点 == * 中岡艮一は出所後に、東京に住む大本幹部の自宅を訪問したことがある。どのような目的だったのかは不明。 →「[[行雲流水#中岡艮一との会遇]]」参照 * [[出口王仁三郎]]は原敬首相が暗殺される数時間前にそれを霊視して知っていた。その時「中岡艮一」という名前はわからなかったものの、その人相や服装などは側近が仔細に聞き取っていた。→「[[予言#原敬首相暗殺]]」 * [[霊界物語]]には{{rm|66|7|女白浪}}に一度だけ名前が出る。[[ヨリコ姫]]のセリフ〈妾は其白髪童顔が大変に気に入つてますのよ。大政党を率つれ、平民大臣として時めきわたり遊ばす大資格が備はつてゐるのですもの。併し乍ら用心なさいませよ。停車場や人ごみの中を、何時'''中岡艮一'''が現はれるか知れませぬからね、オツホヽヽヽ〉。「白髪童顔」は原敬の外見上の顕著な特徴である。 == 略歴 == (年齢は満年齢) * 明治36年(1903年)10月12日、栃木県上都賀郡足尾町生まれ。父は古河鉱業の足尾銅山で働いていたが、明治42年頃に退職して東京に出て市役所に勤めた。<ref>『鉄窓十三年』29頁、145頁</ref> <ref>『原首相暗殺の真相』88頁</ref> * 14歳の時<ref>大正6年(1917年)か?</ref>、父が亡くなり、高等小学校を中退。親戚が経営する印刷会社の見習工員となる。<ref>『鉄窓十三年』29頁:〈十五歳〉と記されているが、それは数え年。</ref> <ref>『原首相暗殺の真相』89頁</ref> * 大正8年(1919年)11月上旬、鉄道省に入り大塚駅の駅夫見習となる。<ref>『鉄窓十三年』31頁</ref> <ref name="chou_p92">『原首相暗殺の真相』92頁</ref> * 大正10年(1921年)3月3日、転轍手(てんてつしゅ。線路のポイントの切り替えを行う)となる。<ref>『鉄窓十三年』4頁</ref> <ref name="chou_p92" /> * 同年11月4日、原敬首相を刺殺する。(18歳) * 大正11年(1922年)6月12日、一審判決(東京地裁)は無期懲役(求刑は死刑)。<ref>『鉄窓十三年』36頁</ref> * 同年10月27日、二審判決(東京控訴院)も無期懲役。上告せずに結審。<ref>『鉄窓十三年』100頁</ref> * 宮城刑務所で服役。<ref>『鉄窓十三年』114頁</ref> * 大正13年(1924年)1月26日、皇太子御成婚の恩赦により刑期20年に減刑。<ref>『鉄窓十三年』216頁</ref> * 昭和2年(1927年)2月7日、[[昭和二年勅令第十一号|大正天皇御大葬の恩赦]]により刑期15年に減刑。<ref>『鉄窓十三年』222頁</ref> <ref>この時の恩赦(大赦)によって[[第一次大本事件]]は5月14日に免訴になっている。</ref> * 昭和3年(1928年)11月10日、天皇即位の大礼の恩赦により刑期11年3ヶ月に減刑。<ref>『鉄窓十三年』223頁</ref> * 昭和9年(1934年)1月30日、刑期満了につき出所。東京に帰る。(30歳)<ref>『鉄窓十三年』261頁</ref> * 出所後の足取りは定かではない。 * 大陸に渡る。[[頭山満]]と接触。<ref name="syakkou_p175">『赤口の刃』175頁</ref> * [[川島芳子]]とも接触している。<ref>『にっぽん快人物烈伝』旺文社文庫、248頁、{{ndldl|12255148/1/126}}</ref> * 哈爾浜(ハルピン)南崗(なんこう)の第四軍管区司令部に勤めていたことがあるらしい。<ref>『近代日本暗殺史』160頁</ref> * 出所後に満州に渡り、満州国軍西部にいたが帰国。昭和11年(1936年)9月から岡山県玉野市の町議宅に2年ほど滞在し、書店員をしていた。その後、海外行きを希望して出て行き、後に満州から手紙が来た。<ref>『近代日本暗殺史』160~1頁:『山陽新聞』2018年6月4日報道。</ref> * 荘河県(現在は遼寧省大連市の中にある荘河市)公処弘報主任に着任。イスラム教徒になる。<ref name="kindai_p161">『近代日本暗殺史』161頁:『朝日新聞』1941年2月19日報道。</ref> * 昭和16年(1941年)2月、イスラム教徒の姜鳳芝と結婚。<ref name="kindai_p161" /> <ref name="syakkou_p175" /> * 戦後、帰国し、昭和55年(1980年)逝去。(77歳)<ref>『近代日本暗殺史』161頁</ref> == 参考文献 == * 中岡艮一『鉄窓十三年』(手記)昭和9年(1934年)4月、近代書房、{{ndldl|1234910}} * 長文連(ちょう ふみつら)『原首相暗殺の真相』昭和48年(1973年)、三一書房 * 大橋義輝『赤口の刃 ──原敬暗殺事件と中岡艮一』令和3年(2021年)、共栄書房 * 筒井清忠『近代日本暗殺史』(PHP新書)令和5年(2023年)、PHP研究所 == 外部リンク == * {{wp|中岡艮一}} == 脚注 == <references/> {{デフォルトソート:なかおかこんいち}} [[Category:人物]]
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