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本宮山

21 バイト追加, 2018年6月5日 (火) 17:44
古代の本宮山
* 太古は丹波は全部湖水であり、本宮山はその湖水の水面に頂上だけが出ていた。
* 太古に[[素盞嗚尊]]が出雲から出て来た時に、本宮山上に母神・[[伊弉那美尊]]を祀り、熊野神社と名付けた。その後素盞嗚尊は紀州へ行き、熊野三社を祀った。
* 本宮山の熊野神社は、[[九鬼]]家が伊勢の鳥羽から綾部に転封して来た時(1633年)<ref>綾部の初代藩主・九鬼隆季(くき たかすえ)は、鳥羽藩主・九鬼守隆(くき もりたか)の三男として生まれたが、父の死後、弟・久隆(ひさたか)との間に家督争いが生じた。幕府は久隆を鳥羽藩主とし、隆季は綾部に転封し寛永10年(1633年)綾部藩を立藩した。</ref>山麓の現在地に遷った。 →「[[熊野新宮神社]]」を見よ(水無月神社)」を見よ
* 平安時代、平重盛(1138~1179年)が本宮山に居を構えていた。以仁王(1151~1180年)が平家に対して挙兵したが流れ矢に当たって死んだ。重盛は皇室に忠義を尽くすのが至当であると考えていたが、以仁王が死んでしまい申し訳ないと思い、本宮山で自刃した。その重盛の霊を黒髪大明神としてお祀りしてあったが、その場所は山上の長生殿敷地の辺りであった。それを王仁三郎が東の方に移し「[[治総神社]]」として祀った。

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