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霊界物語

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巻数
== 巻数 ==
* 霊界物語は「81巻83冊」ある。第64巻が上・下の2冊に分かれており、他に番外編として「入蒙記」が1冊ある。そのため巻数としては第81巻までしかないが、冊数は83冊ある。
* 第1巻及び第37巻によると、当初は全部で120巻になる予定だった霊界物語は全部で120巻になる予定だった<ref>{{rm09|1|9901|附記}}:この附記は初版(大正10年12月刊)には記されていない。第六版(大正14年2月刊)にはある。:「霊界物語は総計壱百二十巻をもつて完成する予定になつてをります」:この附記は初版(大正10年12月刊)には記されていない。第六版(大正14年2月刊)にはある。</ref> <ref>機関誌・機関紙や霊界物語巻末に掲載されている霊界物語の広告にも「全百二十巻」と記されている。(たとえば『真如能光』大正14年(1925年)11月15日号裏表紙の広告)</ref>。また最初は、360字詰め原稿用紙400枚を1巻とし、36巻を1集として48集つまり1728巻書けと神に命じられたが、それではあまりにも長すぎるので神様にお願いして120巻にしてもらった** 最初は神に、360字詰め原稿用紙400枚を1巻とし、36巻を1集として48集、つまり1728巻口述せよとに命じられたが、それでは1年に1集ずつ口述したとしても48年間を要するので、神界にお願いして120巻にしてもらった<ref>{{rm09|37|0001|序}}(大正11年10月著)</ref>。
** 第5巻には、全5巻で終わる予定だったと記されている。<ref>{{rm09|5|1|序文}}(大正11年1月著):「この霊界物語は、全部五巻にて述べ終る予定でありました。しかしなるべく細かくやつてくれとの筆録者の希望でありますから、第四巻あたりからややその方針をかへて、なるべく詳細に物語ることとしました。 それがため予定の第五巻にて、神界、幽界の物語を終ることは、到底出来なくなつてきました」</ref>
** 第8巻には、全12冊で終わる予定だったと記されている。<ref>{{rm09|8|1|序文}}(大正11年2月著):「総じてこの霊界物語は、口述の最初に当り五百六十七節にて完成する考へを以て、一冊を五十節に刻み全十二冊の予定のところ、到底是にてはその一部分をも講了すべからざるを覚り、本巻よりは一冊五十章組の規定を破り、口の車の行き突きばつたりに歩を進むる事と致しました」</ref>
** [[第二次大本事件]]で投獄されていた王仁三郎は側近に手紙を出し(時期不明)、タイプライターを習っておくようにと命じた。出獄後、霊界物語の残り39巻を口述するつもりだったようである。<ref>王仁三郎の側近・[[三浦玖仁子]]の回想記『[[花いろいろ]]』p41-42:「ある日のことです。聖師さまからお便りを通し、「わしはタイプが必要だからタイプを習っておいてくれ」とのお指図を頂戴したのです。私は、さっそく藪内家(編注・この当時、三浦は京都の藪内家に住んでいた)から市内のYMCAへタイプを習いに通いました。あとで伺ったことですが、聖師さまは─刑務所から出てから、あと四十巻ほど物語を出す─ご予定だったのです。その内容は─刑務所の中のことを面白く風刺して書く─はずであったのです。そのためにタイプを勉強しておくようにお命じになったのですが、結局、そのご計画も、ご無理がたたり実現するにいたりませんでした」。このエピソードの直後に昭和15年(1940年)2月29日の第一審判決のことが記されているので、昭和11~14年の間のエピソードか?</ref> <ref>和文タイプライターは大正4年(1915年)に商品化されている。</ref>
== 著述の動機 ==

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