霊界物語第44巻の諸本相違点

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霊界物語第44巻の諸本相違点について記す。

霊界物語諸本相違点とは、霊界物語刊本の諸本(初版校定版愛善世界社版など)の本文の相違点のことである。

  • 諸本すべてをチェックしたわけではない。飯塚弘明霊界物語ネットのデータ作成の過程において気がついた相違点をピックアップしたものである。霊界物語ネットは愛善世界社版を底本にしており、主に愛善世界社版八幡書店版との相違点をピックアップしてある。全ての相違点ではなく、あくまでも気がついた点だけである。
  • 八幡書店版の本文は校定版とほぼ同じである。また、王仁DBのデータは霊界物語ネットと同じである。
  • 各諸本を次のように略す。 初…戦前の初版 再…戦前の再版(第二版のこと) 三…戦前の三版(四版以降も同様に略す) 御…聖師御校正本 普…普及版 校…校定版 修…修補版 八…八幡書店版(八幡版) 愛…愛善世界社版(愛世版) R…霊界物語ネット
  • 最も基準にすべき原典は御校正本であり、それと他の諸本を比較すべきである。また、八幡版の底本は校定版である。しかし霊界物語ネットのデータ作成の段階では御校正本や校定版が入手できなかったため、やむを得ず、八幡版や愛世版を基準にして、御校正本や校定版を比較しているかのような書き方をしている場合もある。
  • 天祥地瑞は最初から校正された状態で発刊されているため、御校正本というものは存在しない。戦前発行された初版と、戦後発行された版(再版以降)との比較になる。
  • ストーリー上の矛盾や、意味の変更を伴うような重大な相違点については 【重大】 という表示を付けた。

p1(序文) 二十一原稿用紙一千二百四十枚です。
p1 二十一、原稿用紙一千二百四十枚です。
p137 校定版と同じ
前付p1 御校正本と同じ
御校正本と同じ(この当時は章を「節」と呼んでおり、後に「章」と呼ぶようになった)
p8(第1章) 行くのなら足音を忍ばせて、ソツと往つた良い。
p11 御校正本と同じ
p143上 行くのなら足音を忍ばせて、ソツと往つた方が良い。 (誤字)
p11 御校正本と同じ
御校正本と同じ
p10(第1章) 本当にけて来るぢやないか。
p12 本当にけてくるぢやないか。
p143下 校定版と同じ
p12 御校正本と同じ
御校正本と同じ
p144上 と五三公は先に立つ。玉国別の面前近く進み、両手をついて、
p14 と五三公は先に立ち、玉国別の面前近く進む。純公は両手をついて、
愛世版と同じ
p15(第1章) 奥様に代つて特別に先生様の御世話を、
p16 御校正本と同じ
p145上 奥様に代つて先生様のお世話を、 (脱字)
p16 御校正本と同じ
御校正本と同じ
p146下 隠の隅にでも放つといてもらはうかな。アハヽヽヽ』 (誤字)
p21 隠の隅にでも放つといて貰はうかな。アハヽヽヽ』
愛世版と同じ
p148上 ともなく神様の御ために活動するくらゐ、 (誤字)
p24 兎も角神様の御為めに活動する位、
愛世版と同じ
p37(第3章) バラモン教は恐怖をもつて人類の膏血をしぼる恐るべき社の地獄と云ふものだ。
p35 バラモン教は恐怖をもつて人類の膏血をしぼる恐るべき社の地獄といふものだ。
p152上 校定版と同じ
p34 御校正本と同じ
校定版と同じ「会」(「界」は誤字であろう)
p153上 屁の理屈をブツブツたれてゐたところでつまらぬぢやないか
p37 屁のやうな理屈をブツブツたれて居た処でつまらぬぢやないか
愛世版と同じ
p48(第3章) (訂正の指示がおかしい。校定版、愛世版、どちらの解釈もできるような書き方になっている。どちらにしても、意味がよく伝わらない。これはテルのセリフであるが、テルの目からはヨルの足許がふらついていて山道を登って行けないように見える、という意味であろう)
p44 テルの目からは、(改行)『ヨルさま、お前
p155下 校定版と同じ
p43 『テルの目からは、ヨルさま、お前
愛世版と同じ
p157下 『女房が内に要るからイルといるのだ。
p49 『女房が内に要るからイルと言ふのだ。
愛世版と同じ
p157下 一軒の内になくてならぬのだ。
p49 一軒の内になくてならぬのだ。
愛世版と同じ
p62(第4章) 容易に登ることは出来ぬ(「こた」を「ことは」に訂正している。七五調なので語感は「こた」の方がいい)
p56 御校正本と同じ
p159下 容易に登るこた出来ぬ
p54 御校正本と同じ
御校正本と同じ
p185上 今日で二十一日の間お詣りをしたしました。
p129 今日で二十一日の間お詣りをしました。
愛世版と同じ
p187上 どうやら貴方は歓喜去つて悲哀来たるといふ状ですよ。 (誤字)
p134 どうやら貴方は歓喜去つて悲哀来ると云ふ状ですよ。
愛世版と同じ
p168(第10章) 見るにつけてもうら恥かしき』 (もともと末尾に「かな」が付いていたが、校正の段階でそれを削除している)
p145 見るにつけてもうら恥かしきかな
p189上 校定版と同じ
p140 御校正本と同じ
御校正本と同じ
p191下 森の木(こ)の間(ま)をもる月影を幸ひに
p147 森の木間(こま)を漏る月影を幸ひに
愛世版と同じ
p249(第15章) 微行して貴様の言ふ事を聞けば、
p216 尾行して貴様の言ふ事を聞けば、
p211下 校定版と同じ
p206 御校正本と同じ
校定版と同じ(これはバラモン教の男が、初稚姫(実際には白狐の変化)に対して行っているセリフである。「微行」とは「こっそりと外出・他行すること。しのびあるき。おしのび」〔広辞苑〕という意味なので、文脈上は「尾行」が妥当である)
p219下 『それでも五十三次の五三公ではいか。 (誤字)
p228 『それでも五十三次の五三公でないか
愛世版と同じ
p222上 『国常立之と溝狸とは
p235 『国常立之と溝狸とは
愛世版と同じ
p300(第18章) 若い時には賭場も開張して居つた白浪女だ。
p258 若い時には賭場を開帳してをつた白浪女だ。
p226下 校定版と同じ
p246 御校正本と同じ
御校正本と同じ「開張」(一般に賭場を開くことを「開帳」と言う。しかし「開張」と言う場合もあるので、必ずしも間違いではない)
p235上 ところ運の悪い
p268 運の悪い
愛世版と同じ
p333(第20章) 大根畑荒す野鼠土鼠(もぐらもち)
p286 大根畑荒す野鼠土竜(もぐらもち)
p237上 校定版と同じ
p273 御校正本と同じ
御校正本と同じ(2020/5/18までは校定版と同じ)「もぐらもち」はモグラの異称
p242上 にしたりするのだから……』
p288 にしたりするのだから……』
愛世版と同じ
p362(第21章) 第一に地上大臣様、次がたがやし大臣様、
p311 第一に地上大神様、次がたがやし大神様、
p244下 校定版と同じ
p295 御校正本と同じ
御校正本と同じ(大臣/大神の相違は他にも多数あり)
p245上 次が八王大神、大野大神、それから道城よしのり、
p296 次が八王大神、大野大臣、それから道城よしのり、
愛世版と同じ
p246上 『ハイ、よく分りました。有難うございます
p299 『ハイ、よく分りました。有難う厶いました
愛世版と同じ
p247上 右のお社はりんとう美天大神様、
p301 右のお社はりんとう美天大臣様、
愛世版と同じ
p247下 『ハイ有難うございます。お年寄に
p303 『ハイ有難う厶いました。お年寄に
愛世版と同じ