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出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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* [[沢田撫松]]「事実に依って断案を下せる大本教の批判」、『新小説』大正9年(1920年)11月号、p38、春陽堂、{{obn|2006}}
 
* [[沢田撫松]]「事実に依って断案を下せる大本教の批判」、『新小説』大正9年(1920年)11月号、p38、春陽堂、{{obn|2006}}
 
* [[北野博美]]「大本教を信ずる女」、『女の世界』大正9年(1920年)11月号、p100、{{obn|2007}}
 
* [[北野博美]]「大本教を信ずる女」、『女の世界』大正9年(1920年)11月号、p100、{{obn|2007}}
* [[今村力三郎]]「大本教の不敬事件と当局者の責任」、『中央公論』大正10年(1921年)6月号、p47~50、中央公論社、{{obn|2009}}
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* 『[[変態心理]]』第6巻第6号(大正9年(1920年)12月号)大本教追撃号、主幹・[[中村古峡]]、発行・日本精神医学会
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** 662頁:一記者「宮飼氏の一文を発展するに就いて」
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** 673頁:[[宮飼陶羊]]<ref>[[宮飼陶羊]]は『[[神霊界]]』大正6年(1917年)4月号~9月号に連載された「桑の葉の茂る頃」の著者・[[宮飼慶之]]と同一人物のようである。</ref>「余が綾部生活の二年」
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** 725頁:浅羽由三郎「大本教に欺かれた告白」
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** 730頁:「大本教の解剖と西園寺陶庵公」
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** 731頁:高野正明「出口王仁さんと僕」
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** 738頁:白楊生「ペンのしづく ──本誌大本教論の無責任なる受売と沢田撫松氏の愚論」
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** 740頁:真眼生「大正日々新聞を笑ふ ──中村主幹に代りて浅野文学士に与ふ」
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** 756頁:一記者「お筆先の偽文を草案した人」
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* [[今村力三郎]]「大本教の不敬事件と当局者の責任」、『中央公論』大正10年(1921年)6月号、p47~50、中央公論社、{{digimeta|10232073}}、{{obn|2009}}、{{obc|Z9011|霊界物語ネット}}
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* [[吉野作造]]「大本教神殿の取毀ち」、『中央公論』大正10年(1921年)11月号、p180-181、中央公論社、{{digimeta|10232079}}、{{obn|2222}}
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* [[川端康成]]「湯ガ島温泉」、『文藝春秋』大正14年(1925年)3月号、p7-9、{{obn|1941}} →単行本『伊豆の旅』(1954年、中央公論社)、中公文庫『伊豆の旅』(1981年)に収録 →「[[湯本館#川端康成]]」参照
  
== 昭和(20年まで) ==
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== 昭和(19年まで) ==
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* SKP(特派記者)「綾部探訪記 怪教大本の正体」『実業時代』昭和2年(1927年)11月号(第4巻第11号)、p112-120、実業時代社、{{obn|2228}}、{{Ndldl|1541155/1/74|}}
 
* [[那須皓]]「牧歌のいななき」(二 大本教主の片影)、『経済往来』昭和3年(1928年)10月号〔3巻10号〕、p273~283、経済往来社、{{obn|2010}}
 
* [[那須皓]]「牧歌のいななき」(二 大本教主の片影)、『経済往来』昭和3年(1928年)10月号〔3巻10号〕、p273~283、経済往来社、{{obn|2010}}
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎訪問記」、『文学時代』昭和6年(1931年)1月号、p46、新潮社、{{obn|2011}}
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* [[中河与一]]「アジアの嵐 後日譚」、『新潮』昭和6年(1931年)1月号、頁未確認、新潮社、{{obn|2230}} ──中河与一(小説家、歌人)が出口王仁三郎と会った時にソ連映画「アジアの嵐」(日本で昭和5年に公開)を見たかと聞いたら、王仁三郎は、あれは自分の入蒙をヒントにしたのだという意味のことを答えた。当時、王仁三郎が主人公だと噂されていたらしい(『巨人出口王仁三郎』317~8頁)。
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** [[出口王仁三郎]]『[[更生日記]] 一の巻』(昭和6年4月)214~215頁に転載、{{ndldl|1137507/1/121}}
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** [[中河与一]]『偶然と文学』(昭和10年11月)341~342頁に転載、{{ndldl|1232758/1/175}}
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* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎訪問記」、『文学時代』昭和6年(1931年)10月号、p46、新潮社、{{obn|2011}}──{{pid|2967335/1/115|大宅壮一選集 第11(宗教・皇室)}}p.219、『[[昭和青年]]』昭和6年(1931年)12月号pp.47-52に西村保男の筆による「出口王仁三郎と大宅壮一の問答」という記事がある。
 
* [[宇佐美武吉]]「[[日本言霊学概論]]」、『日本及日本人』昭和7年(1932年)1月号、{{obn|2196}}
 
* [[宇佐美武吉]]「[[日本言霊学概論]]」、『日本及日本人』昭和7年(1932年)1月号、{{obn|2196}}
 
* [[金王志武哉]]「大本教団天恩郷秘記」、『人の噂』昭和7年(1932年)5月号、p128、月旦社、{{obn|2012}}
 
* [[金王志武哉]]「大本教団天恩郷秘記」、『人の噂』昭和7年(1932年)5月号、p128、月旦社、{{obn|2012}}
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* 「世界紅卍字会と結び、満蒙に活躍する大本教」、『世界公論』昭和9年(1934年)1月1日号、p132、世界連邦公報社、{{obn|2014}}
 
* 「世界紅卍字会と結び、満蒙に活躍する大本教」、『世界公論』昭和9年(1934年)1月1日号、p132、世界連邦公報社、{{obn|2014}}
 
* [[水原祐]]「大本教は果して没落したか 怪人出口王仁三郎の正体」、『話』昭和10年(1935年)2月号、p196、文芸春秋社、{{obn|2015}}
 
* [[水原祐]]「大本教は果して没落したか 怪人出口王仁三郎の正体」、『話』昭和10年(1935年)2月号、p196、文芸春秋社、{{obn|2015}}
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* [[千田二郎]]「大本教教主・出口王仁三郎」、『実業之世界』昭和10年(1935年)9月号、p42-48、実業之世界社、{{ndldl|10293199/31}}、{{obn|2224}} →加筆訂正して「[[邪教を裁く]]」に掲載された
 
* 「座談会・怪教大本教を暴く(井上善吉・鳥羽重節・梅原眞隆ほか)」、『サンデー毎日』昭和10年(1935年)12月号、毎日新聞社、{{obn|2016}}
 
* 「座談会・怪教大本教を暴く(井上善吉・鳥羽重節・梅原眞隆ほか)」、『サンデー毎日』昭和10年(1935年)12月号、毎日新聞社、{{obn|2016}}
 
* M・T・M「大本教検挙とニウス戦 新聞匿名月評」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p132、文芸春秋社、{{obn|2017}}
 
* M・T・M「大本教検挙とニウス戦 新聞匿名月評」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p132、文芸春秋社、{{obn|2017}}
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* 「出口王仁三郎と大本教の信者達 動脈硬化と歯痛で獄中に悩む生き神様」、『話』昭和12年(1937年)12月号、p330、文芸春秋社、{{obn|2025}}
 
* 「出口王仁三郎と大本教の信者達 動脈硬化と歯痛で獄中に悩む生き神様」、『話』昭和12年(1937年)12月号、p330、文芸春秋社、{{obn|2025}}
  
== 昭和(21年~55年) ==
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== 昭和(20年~39年) ==
 
* [[阿部真之助]]「大本教」、『サンデー毎日』昭和22年(1947年)3月2日号〔26巻10号〕、p14、毎日新聞社、{{obn|2026}}
 
* [[阿部真之助]]「大本教」、『サンデー毎日』昭和22年(1947年)3月2日号〔26巻10号〕、p14、毎日新聞社、{{obn|2026}}
 
* [[直方敏]]「綾部の使徒行状記──続・大本教ものがたり」、『読物時事』昭和22年(1947年)9月1日号〔3巻7号〕、p8~9、時事通信社、{{obn|2027}}
 
* [[直方敏]]「綾部の使徒行状記──続・大本教ものがたり」、『読物時事』昭和22年(1947年)9月1日号〔3巻7号〕、p8~9、時事通信社、{{obn|2027}}
* [[駒沢三郎]]「女弥次将軍と呼ばれても 哀愁の大石ヨシエ(出口王仁三郎を知る)」、『政界ジープ』昭和22年(1947年)10月1日号〔通巻14号(2巻10号)〕、p29~31、政界ジープ社、{{obn|2028}}
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* [[駒沢三郎]]「女弥次将軍と呼ばれても 哀愁の[[大石ヨシエ]](出口王仁三郎を知る)」、『政界ジープ』昭和22年(1947年)10月1日号〔通巻14号(2巻10号)〕、p29~31、政界ジープ社、{{obn|2028}}
 
* 「出口王仁三郎昇天 百万円の葬式」、『週刊朝日』昭和23年(1948年)2月22日号、p9、朝日新聞社、{{obn|2029}}
 
* 「出口王仁三郎昇天 百万円の葬式」、『週刊朝日』昭和23年(1948年)2月22日号、p9、朝日新聞社、{{obn|2029}}
 
* 「喪服の山越え十八里」、『アサヒグラフ』昭和23年(1948年)2月25日号、p10、朝日新聞社、{{obn|2030}}
 
* 「喪服の山越え十八里」、『アサヒグラフ』昭和23年(1948年)2月25日号、p10、朝日新聞社、{{obn|2030}}
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* [[石井純一]]「宗教界トピック集 王仁三郎亡き後の愛善苑──衣替えした大本教颯爽再建への発足」、『ヒロバ』昭和23年(1948年)8月号〔3巻7号(7.1発行)〕、p12~14、大地社、{{obn|2033}}
 
* [[石井純一]]「宗教界トピック集 王仁三郎亡き後の愛善苑──衣替えした大本教颯爽再建への発足」、『ヒロバ』昭和23年(1948年)8月号〔3巻7号(7.1発行)〕、p12~14、大地社、{{obn|2033}}
 
* 「世界平和と人類愛善運動」、『東北公論』昭和23年(1948年)9月20日号〔1巻8号〕、p7~12、東北公論社、{{obn|2034}}
 
* 「世界平和と人類愛善運動」、『東北公論』昭和23年(1948年)9月20日号〔1巻8号〕、p7~12、東北公論社、{{obn|2034}}
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* いちゐのや([[加藤義一郎]]のペンネーム)「耀盌顕現」、『日本美術工芸』昭和24年(1949年)3月号、51頁(3段組の最下段だけの短い記事)、日本美術工芸社、{{obn|2231}}、{{ndldl|2281577/1/28}}
 
* 「愛善苑」、『創作』昭和24年(1949年)5月1日号〔36巻5号〕、p5、創作社、{{obn|2035}}
 
* 「愛善苑」、『創作』昭和24年(1949年)5月1日号〔36巻5号〕、p5、創作社、{{obn|2035}}
 
* 「大本教改め愛善苑」、『真相(特集版)』昭和24年(1949年)7月15日号、p21、人民社、{{obn|2036}}
 
* 「大本教改め愛善苑」、『真相(特集版)』昭和24年(1949年)7月15日号、p21、人民社、{{obn|2036}}
 +
* [[加藤義一郎]]「ちゃわん抄七 耀盌『天国廿八』─出口王仁師手造茶盌─」、『日本美術工芸』昭和24年(1949年)8月号、23~28頁、日本美術工芸社、{{obn|2232}}、{{ndldl|2281582/1/14}}
 
* 「愛善苑」、『宗教時報』昭和24年(1949年)8月1日号〔3巻6号(7~8月号)〕、p18~22、宗教時報社、{{obn|2037}}
 
* 「愛善苑」、『宗教時報』昭和24年(1949年)8月1日号〔3巻6号(7~8月号)〕、p18~22、宗教時報社、{{obn|2037}}
 
* 「新興宗教をさぐる──愛善苑の巻」、『村の太陽』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p24、全国新聞情報農業組合連合会、{{obn|2038}}
 
* 「新興宗教をさぐる──愛善苑の巻」、『村の太陽』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p24、全国新聞情報農業組合連合会、{{obn|2038}}
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* [[薄田美朝]]「大本教攻略記」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)7月号〔32巻11号〕、p87、文芸春秋社、{{obn|2045}}
 
* [[薄田美朝]]「大本教攻略記」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)7月号〔32巻11号〕、p87、文芸春秋社、{{obn|2045}}
 
* [[乾孝]]、[[松島栄一]]「教祖列伝 大本教」、『中央公論』昭和29年(1954年)9月号〔69巻9号〕、p188、中央公論社、{{obn|2046}}
 
* [[乾孝]]、[[松島栄一]]「教祖列伝 大本教」、『中央公論』昭和29年(1954年)9月号〔69巻9号〕、p188、中央公論社、{{obn|2046}}
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* [[唐沢俊樹]]「大本教手入れの前後──右翼革命の資金ルート遮断」、『信濃往来』昭和30年(1955年)2月号〔第5巻第2号〕、p22-23、信濃往来社、{{obn|2221}}
 
* 「グラビア 三五教の世直し行事 神々の戯れ」、『サンデー毎日』昭和30年(1955年)5月8日号、毎日新聞社、{{obn|2047}}
 
* 「グラビア 三五教の世直し行事 神々の戯れ」、『サンデー毎日』昭和30年(1955年)5月8日号、毎日新聞社、{{obn|2047}}
 
* [[大宅壮一]]「怪僧・出口王仁三郎」、『文芸春秋臨時増刊風雲人物読本』昭和30年(1955年)6月5日号〔33巻12号〕、p20、文芸春秋社、{{obn|2048}}
 
* [[大宅壮一]]「怪僧・出口王仁三郎」、『文芸春秋臨時増刊風雲人物読本』昭和30年(1955年)6月5日号〔33巻12号〕、p20、文芸春秋社、{{obn|2048}}
* [[青地晨]]「大本教弾圧事件」、『知性』昭和31年(1956年)〔3巻10号〕、知性社、{{obn|2049}}
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* [[青地晨]]「大本教弾圧事件」、『知性』昭和31年(1956年)9月号〔3巻10号〕、知性社、{{obn|2049}} →単行本『[[現代史の曲り角]]』に収録
 
* [[山科小四郎]]「大本教事件」、『サンデー毎日臨時増刊』昭和32年(1957年)2月号、p78、毎日新聞社、{{obn|2050}}
 
* [[山科小四郎]]「大本教事件」、『サンデー毎日臨時増刊』昭和32年(1957年)2月号、p78、毎日新聞社、{{obn|2050}}
 
* 「「福は内、鬼も内」綾部大本教の節分大祭」、『アサヒグラフ』昭和32年(1957年)2月24日号、p20、朝日新聞社、{{obn|2051}}
 
* 「「福は内、鬼も内」綾部大本教の節分大祭」、『アサヒグラフ』昭和32年(1957年)2月24日号、p20、朝日新聞社、{{obn|2051}}
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* [[黒田領治]]・他「(座談会)出口直日の陶芸」、『陶説』昭和39年(1964年)12月号〔通号141号〕、日本陶磁協会、{{obn|2064}}
 
* [[黒田領治]]・他「(座談会)出口直日の陶芸」、『陶説』昭和39年(1964年)12月号〔通号141号〕、日本陶磁協会、{{obn|2064}}
 
* [[前島不二雄]]「軍ファシズム運動と大本教」、『日本史研究』昭和39年(1964年)12月号〔通号75号〕、p60-78、日本史研究会、{{obn|2065}}
 
* [[前島不二雄]]「軍ファシズム運動と大本教」、『日本史研究』昭和39年(1964年)12月号〔通号75号〕、p60-78、日本史研究会、{{obn|2065}}
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== 昭和(40年~55年) ==
 
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎と大本弾圧事件」、『中央公論』昭和40年(1965年)4月号〔80巻4号〕、p429、中央公論社、{{obn|2066}}
 
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎と大本弾圧事件」、『中央公論』昭和40年(1965年)4月号〔80巻4号〕、p429、中央公論社、{{obn|2066}}
* [[勝本清一郎]]「こころの遠近 大本教と精神医学」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月6日号〔7巻23号〕、p59、朝日新聞社、{{obn|2067}}
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* [[勝本清一郎]]「こころの遠近 大本教と精神医学」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月6日号〔7巻23号〕、p59、朝日新聞社、{{obn|2067}} →随筆集『[[こころの遠近]]』に収録
 
* [[加藤秀俊]]「グラビア 昭和史の瞬間 社会不安の反映、大本教」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月27日号〔7巻26号〕、p94、朝日新聞社、{{obn|2068}}
 
* [[加藤秀俊]]「グラビア 昭和史の瞬間 社会不安の反映、大本教」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月27日号〔7巻26号〕、p94、朝日新聞社、{{obn|2068}}
 
* [[上田正昭]]「近代宗教としての大本教」、『思想の科学』昭和40年(1965年)9月号〔通号42号〕、p29-36、思想の科学社、{{obn|2069}}
 
* [[上田正昭]]「近代宗教としての大本教」、『思想の科学』昭和40年(1965年)9月号〔通号42号〕、p29-36、思想の科学社、{{obn|2069}}
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* [[有竹修二]]「城南閑話 官僚百態「大本教」のこと 明治百年史の一断面」、『国民サロン』昭和44年(1969年)2月号、p51、国際政経調査会、{{obn|2076}}
 
* [[有竹修二]]「城南閑話 官僚百態「大本教」のこと 明治百年史の一断面」、『国民サロン』昭和44年(1969年)2月号、p51、国際政経調査会、{{obn|2076}}
 
* [[谷川徹三]]・他「(座談会)出口直日陶芸展をめぐって」、『三彩』昭和44年(1969年)3月号〔通号241号〕、p60~74、三彩社、{{obn|2077}}
 
* [[谷川徹三]]・他「(座談会)出口直日陶芸展をめぐって」、『三彩』昭和44年(1969年)3月号〔通号241号〕、p60~74、三彩社、{{obn|2077}}
 +
* [[高須令三]]「怪物・出口王仁三郎─その予言と警告─」、『経済往来』昭和45年(1970年)2月号、p228-242、経済往来社、{{obn|2226}}、(肩書きは「評論家」だが愛知主会幹部で医博の高須令三 →『[[明星記]]』参照)
 
* [[出口栄二]]「今日に生きる大本の「筆先」」、『中央公論臨時増刊日本の宗教』昭和46年(1971年)7月号〔86巻10号〕、p278~293、中央公論社、{{obn|2078}}
 
* [[出口栄二]]「今日に生きる大本の「筆先」」、『中央公論臨時増刊日本の宗教』昭和46年(1971年)7月号〔86巻10号〕、p278~293、中央公論社、{{obn|2078}}
 
* [[出口京太郎]]「ブラジル・ハリ・キュウ旅行」、『季刊人類学』昭和46年(1971年)7月号〔2巻3号〕、p192~230、京都大学人類学研究会、{{obn|2079}}
 
* [[出口京太郎]]「ブラジル・ハリ・キュウ旅行」、『季刊人類学』昭和46年(1971年)7月号〔2巻3号〕、p192~230、京都大学人類学研究会、{{obn|2079}}
99行目: 121行目:
 
* [[梅原正紀]]「弾圧の嵐の中の出口王仁三郎家」、『文芸春秋』昭和49年(1974年)1月号〔52巻1号〕、p236、文芸春秋社、{{obn|2091}}
 
* [[梅原正紀]]「弾圧の嵐の中の出口王仁三郎家」、『文芸春秋』昭和49年(1974年)1月号〔52巻1号〕、p236、文芸春秋社、{{obn|2091}}
 
* [[梅原正紀]]「経世済民への志向⦿の家(まことのいえ)<民衆宗教の原像(6)>」、『伝統と現代』昭和49年(1974年)1月号、p188、伝統と現代社、{{obn|2092}}
 
* [[梅原正紀]]「経世済民への志向⦿の家(まことのいえ)<民衆宗教の原像(6)>」、『伝統と現代』昭和49年(1974年)1月号、p188、伝統と現代社、{{obn|2092}}
* [[出口京太郎]]「巨人・出口王仁三郎パリに甦る」、『現代』昭和49年(1974年)2月号、p251、講談社、{{obn|2093}}
+
* [[出口京太郎]]「巨人・出口王仁三郎パリに甦る──大本教祖の芸術作品がなぜこんなにも欧米人の心を捉えるのか」、『現代』昭和49年(1974年)2月号、p251-261、講談社、{{obn|2093}}
 
* 「特集2 大本教団」、『季刊現代宗教』昭和50年(1975年)〔創刊号(1975春季)〕、エヌエス出版会、{{obn|2094}}
 
* 「特集2 大本教団」、『季刊現代宗教』昭和50年(1975年)〔創刊号(1975春季)〕、エヌエス出版会、{{obn|2094}}
 
* 「パリでプロ扱いされた、ワニサブローの陶器「飛鳥」」、『週刊新潮』昭和50年(1975年)1月2日号、p25、新潮社、{{obn|2095}}
 
* 「パリでプロ扱いされた、ワニサブローの陶器「飛鳥」」、『週刊新潮』昭和50年(1975年)1月2日号、p25、新潮社、{{obn|2095}}
107行目: 129行目:
 
* [[出口栄二]]「理論の折り目をつけよう」、『朝日ジャーナル』昭和50年(1975年)10月3日号〔17巻43号〕、p22、朝日新聞社、{{obn|2099}}
 
* [[出口栄二]]「理論の折り目をつけよう」、『朝日ジャーナル』昭和50年(1975年)10月3日号〔17巻43号〕、p22、朝日新聞社、{{obn|2099}}
 
* 「グラビア 現代日本の宗教 各宗派本山・本部 大本教」、『週刊読売』昭和50年(1975年)11月22日号巻頭、読売新聞社、{{obn|2100}}
 
* 「グラビア 現代日本の宗教 各宗派本山・本部 大本教」、『週刊読売』昭和50年(1975年)11月22日号巻頭、読売新聞社、{{obn|2100}}
 +
* 長尾和郎(評論家)「出口王仁三郎と世直し思想」(連載12 昭和人物史評伝)、『経済往来』昭和51年(1976年)3月号、230~241頁、{{obn|2229}}
 
* [[飯田良一]]「宗教弾圧の構造と論理 第二次大本教弾圧から宗教統制体制の確立まで」、『伝統と現代』昭和51年(1976年)9月号、p86、伝統と現代社、{{obn|2101}}
 
* [[飯田良一]]「宗教弾圧の構造と論理 第二次大本教弾圧から宗教統制体制の確立まで」、『伝統と現代』昭和51年(1976年)9月号、p86、伝統と現代社、{{obn|2101}}
 
* 「出口王仁三郎の娘陶芸家・尚江さんの生涯」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)8月18日号、p117、新潮社、{{obn|2102}}
 
* 「出口王仁三郎の娘陶芸家・尚江さんの生涯」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)8月18日号、p117、新潮社、{{obn|2102}}
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== 昭和(56年以降) ==
 
== 昭和(56年以降) ==
* [[丸山照雄]]「出口王仁三郎──皇権超克の精神と「大本弾圧」」、『現代の眼』昭和56年(1981年)1月号〔22巻1号〕、p222、現代評論社、{{obn|2114}}
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* [[丸山照雄]]「出口王仁三郎──皇権超克の精神と「大本弾圧」」、『現代の眼』昭和56年(1981年)1月号〔22巻1号〕、p222、現代評論社、{{obn|2114}}、{{ndldl|1771613/1/113}}
 
* [[梅原正紀]]「“大本教内紛”の真相」、『人と日本』昭和56年(1981年)2月号、p96、行政通信社、{{obn|2115}}
 
* [[梅原正紀]]「“大本教内紛”の真相」、『人と日本』昭和56年(1981年)2月号、p96、行政通信社、{{obn|2115}}
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* [[有賀龍太]]「スメラミコト出口王仁三郎」、『天皇制研究』第3号=昭和56年(1981年)2月号、p20、JCA出版、{{bib|000000034339}}、{{obn|2225}}
 
* [[近藤真男]]「国家権力との競合を論ず──大本教事件の場合」、『国士館大学政経論叢』昭和56年(1981年)3月号〔通号35号〕、p111、国士館大学政経学会、{{obn|2116}}
 
* [[近藤真男]]「国家権力との競合を論ず──大本教事件の場合」、『国士館大学政経論叢』昭和56年(1981年)3月号〔通号35号〕、p111、国士館大学政経学会、{{obn|2116}}
 
* [[出口和明]]「大本教内紛の現状と改革への途」、『現代の眼』昭和56年(1981年)8月号〔22巻8号〕、p75、現代評論社、{{obn|2117}}
 
* [[出口和明]]「大本教内紛の現状と改革への途」、『現代の眼』昭和56年(1981年)8月号〔22巻8号〕、p75、現代評論社、{{obn|2117}}
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* [[石川明保]]「迫りくる終末予言に対抗する日本の霊法集団7 日月神示 日本にもあった世界的予言とは…」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)12月号、p94、全貌社、{{obn|2141}}
 
* [[石川明保]]「迫りくる終末予言に対抗する日本の霊法集団7 日月神示 日本にもあった世界的予言とは…」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)12月号、p94、全貌社、{{obn|2141}}
 
* 「インサイド 新興宗教の老舗「大本教」分裂に見る神々の黄昏」、『週刊サンケイ』昭和63年(1988年)3月3日号、p19、扶桑社、{{obn|2142}}
 
* 「インサイド 新興宗教の老舗「大本教」分裂に見る神々の黄昏」、『週刊サンケイ』昭和63年(1988年)3月3日号、p19、扶桑社、{{obn|2142}}
* 「「教主VS娘むこ」に信者17万人オロオロ 名門宗教「大本教」で「骨肉の争い」」、『FRIDAY』昭和63年(1988年)3月4日号、p14、講談社、{{obn|2143}}
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* 「「教主VS娘むこ」に信者17万人オロオロ 名門宗教「大本教」で「骨肉の争い」」、『FRIDAY』昭和63年(1988年)3月4日号、p14-15、講談社、{{obn|2143}}
 
* 「新興宗教・教祖を悩ます「生臭い暗闘」ついに分裂した名門教団骨肉のゆずらぬ「正統」争い」、『アサヒ芸能』昭和63年(1988年)4月21日号、p121、徳間書店、{{obn|2144}}
 
* 「新興宗教・教祖を悩ます「生臭い暗闘」ついに分裂した名門教団骨肉のゆずらぬ「正統」争い」、『アサヒ芸能』昭和63年(1988年)4月21日号、p121、徳間書店、{{obn|2144}}
 
* [[野田晴巳]]「未来帝国・満州の興亡 亜細亜の黙示録 出口王仁三郎満蒙行の謎」、『月ノ光』昭和63年(1988年)6月1日号、p21、東京デガド社、{{obn|2145}}
 
* [[野田晴巳]]「未来帝国・満州の興亡 亜細亜の黙示録 出口王仁三郎満蒙行の謎」、『月ノ光』昭和63年(1988年)6月1日号、p21、東京デガド社、{{obn|2145}}
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* [[井上順孝]]「新宗教の解読8 病のアナロジー」、『正論』平成4年(1992年)6月号、p306、産業経済新聞社、{{obn|2162}}
 
* [[井上順孝]]「新宗教の解読8 病のアナロジー」、『正論』平成4年(1992年)6月号、p306、産業経済新聞社、{{obn|2162}}
 
* [[デ二ス・バッド・グレイ]]「グラビア べトナムの新宗教 カオダイ、ただいま信者300万」、『宝石』平成4年(1992年)8月号、p33~41、光文社、{{obn|2163}}
 
* [[デ二ス・バッド・グレイ]]「グラビア べトナムの新宗教 カオダイ、ただいま信者300万」、『宝石』平成4年(1992年)8月号、p33~41、光文社、{{obn|2163}}
 +
* [[鎌田東二]]「評論 大本霊学と内部生命論」『文芸』第31巻第3号、平成4年(1992年)8月、p296~302、河出書房新社、{{obn|2227}}
 
* 出口和明「連載 出口王仁三郎 宇宙観講座」『合気ニュース』、平成5年(1993年)~平成7年(1995年)〔95号~100号、102号~106号〕、合気ニュース、{{obn|2194}}
 
* 出口和明「連載 出口王仁三郎 宇宙観講座」『合気ニュース』、平成5年(1993年)~平成7年(1995年)〔95号~100号、102号~106号〕、合気ニュース、{{obn|2194}}
 
* [[松本健一]]「書評 日本がわかる100冊 近代日本の「知の遺産」大本教の教祖が説く本 出口王仁三郎「神と倶にある人」天声社」、『月刊ASAHI』平成5年(1993年)1月号、p270、朝日新聞社、{{obn|2164}}
 
* [[松本健一]]「書評 日本がわかる100冊 近代日本の「知の遺産」大本教の教祖が説く本 出口王仁三郎「神と倶にある人」天声社」、『月刊ASAHI』平成5年(1993年)1月号、p270、朝日新聞社、{{obn|2164}}
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* [[大橋幸泰]]「安丸良夫著「出口なお」を読む」、『民衆史研究』平成8年(1996年)11月号〔通号52号〕、p16~25、民衆史研究会、{{obn|2173}}
 
* [[大橋幸泰]]「安丸良夫著「出口なお」を読む」、『民衆史研究』平成8年(1996年)11月号〔通号52号〕、p16~25、民衆史研究会、{{obn|2173}}
 
* [[南伸坊]]・[[能美勉]]「渥美清とヴィンセント・エドワーズ、ラスプーチンと出口王仁三郎、野口英世とマタ・ハリ」、『太陽』平成8年(1996年)11月号〔34巻12号〕、p149、博文館、{{obn|2174}}
 
* [[南伸坊]]・[[能美勉]]「渥美清とヴィンセント・エドワーズ、ラスプーチンと出口王仁三郎、野口英世とマタ・ハリ」、『太陽』平成8年(1996年)11月号〔34巻12号〕、p149、博文館、{{obn|2174}}
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* 黒羽文明(ジャーナリスト)「宗教法人「大本」弾圧を乗り越え、「人類愛善」を実践」、『政界』平成9年(1997年)8月号、98~102頁、政界出版社、{{obn|2233}}
 
* 「(アートニュース)出口すみこの芸術・ほか」、『日経アート』平成11年(1999年)1月号〔12巻1号〕、p69~76、日本経済新聞社、{{obn|2175}}
 
* 「(アートニュース)出口すみこの芸術・ほか」、『日経アート』平成11年(1999年)1月号〔12巻1号〕、p69~76、日本経済新聞社、{{obn|2175}}
 
* [[武田崇元]]「昭和神聖会と出口王仁三郎」、『福神』平成11年(1999年)12月号〔通号2号〕、p46~56、福神研究所、{{obn|2176}}
 
* [[武田崇元]]「昭和神聖会と出口王仁三郎」、『福神』平成11年(1999年)12月号〔通号2号〕、p46~56、福神研究所、{{obn|2176}}
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* [[豊嶋泰國]]「出口王仁三郎 超凡の巨人か「怪物」か」、『歴史読本』平成18年(2006年)3月号、p130-136、新人物往来社、{{obn|2189}}
 
* [[豊嶋泰國]]「出口王仁三郎 超凡の巨人か「怪物」か」、『歴史読本』平成18年(2006年)3月号、p130-136、新人物往来社、{{obn|2189}}
 
* [[牧野史敬]]「出口王仁三郎の霊界に学ぶ」、『アネモネ』平成18年(2006年)4月号、p42-43、ビオ・マガジン、{{obn|2190}}
 
* [[牧野史敬]]「出口王仁三郎の霊界に学ぶ」、『アネモネ』平成18年(2006年)4月号、p42-43、ビオ・マガジン、{{obn|2190}}
* 「13の有名夫婦怪事件簿3 出口王仁三郎・すみ 信仰と弾圧の狭間で」、『新潮45』平成18年(2006年)4月号、p42-44、新潮社、{{obn|2191}}
+
* 「出口王仁三郎・すみ 信仰と弾圧の狭間で(総力特集 「功名が辻」もびっくり! 明治・大正・昭和 13の有名夫婦「怪」事件簿)」、『新潮45』平成18年(2006年)4月号、p42-44、新潮社、{{obn|2191}}
 +
* [[出口信一]]「イラン・ダマバンド山平和祈念祭典を奉仕して 「文明の衝突」から「文明の融和」への転換をめざす八岐大蛇退治を!」、『月刊日本』平成18年(2006年)7月号、p38-45、K&Kプレス、{{bib|7947107}}、{{obn|2223}}
 
* [[出口信一]]「「文明の共存」実現への鍵を持つ「日本的神観」の再認識を」、『月刊日本』平成18年(2006年)11月号、p86-91、K&Kプレス、{{obn|2192}}
 
* [[出口信一]]「「文明の共存」実現への鍵を持つ「日本的神観」の再認識を」、『月刊日本』平成18年(2006年)11月号、p86-91、K&Kプレス、{{obn|2192}}
 
* [[出口信一]](解説)「みやびのことば」、『アネモネ』平成19年(2007年)3月号、p20-21、ビオ・マガジン、{{obn|2193}}
 
* [[出口信一]](解説)「みやびのことば」、『アネモネ』平成19年(2007年)3月号、p20-21、ビオ・マガジン、{{obn|2193}}
 +
* [[鎌田東二]]「柳宗悦と宮沢賢治と出口王仁三郎における宗教と芸術」、『京都造形芸術大学紀要』第12号、平成19年(2007年)発行、p128-138、{{bib|10230726}}、{{obn|2197}}
 +
* [[早瀬圭一]]「出口王仁三郎──世界平和を目指した満州の地で、張作霖に裏切られた一行の運命は?(特集 石原莞爾と満洲帝国)」、『歴史読本』平成21年(2009年)9月号、p134-137、{{bib|10360682}}、{{obn|2198}}
 +
* [[吉永進一]]「大正期大本教の宗教的場──出口王仁三郎、浅野和三郎、宗教的遍歴者たち」、『舞鶴工業高等専門学校紀要』第45号、平成22年(2010年)3月発行、p69-80、{{bib|10758788}}、{{obn|2199}}
 +
* [[上本雄一郎]]「出口王仁三郎のユーモア──その作品と「屁」」、『国文学』平成22年(2010年)5月号、p81-89、{{bib|10651159}}、{{obn|2200}}
 +
* [[坪内隆彦]]「日本文明の先駆者(31)興亜陣営とともに理想郷建設の夢を描いた宗教家 出口王仁三郎」、『月刊日本』平成22年(2010年)6月号、p84-91、ケイアンドケイプレス、{{bib|10676986}}、{{obn|2201}}
 +
* [[三浦小太郎]]「近代の闇 闇の近代(第7回) 出口王仁三郎と大本教弾圧」、『月刊日本』平成24年(2012年)4月号、p56-61、ケイアンドケイプレス、{{bib|023499438}}、{{obn|2202}}
 +
* [[執行草舟]]「Shigyo Sosyu Collection 憂国の芸術(第3回)国士の涙 頭山満・出口王仁三郎」、『正論』平成26年(2014年)4月号、p14-17、産経新聞社、{{bib|025295817}}、{{obn|2203}}
 +
* [[水内勇太]]「皇道大本の思想と行動 皇道大本前史(特集 日本宗教史像の再構築 トランスナショナルヒストリーを中心として 近代日本宗教史における〈皇道〉のポリティクス)」、『人文学報』第108号、平成27年(2015年)発行、p85-96、京都大学人文科学研究所、{{bib|027062143}}、{{obn|2204}}
 +
* [[鎌田東二]]・[[安藤礼二]]「討議 隠された神々の世界を求めて 折口信夫と出口王仁三郎から(総特集 神道を考える)」、『現代思想』平成29年(2017年)2月臨時増刊号、p54-71、青土社、{{bib|028310074}}、{{obn|2205}}
 +
* [[徐玄九]]「昭和維新運動 大本教・出口王仁三郎を中心に」、『専修人間科学論集 社会学篇』第8号、平成30年(2018年)3月発行、p53-64、専修大学人間科学学会、{{bib|029089975}}、{{obn|2206}}
 +
* [[川島堅二]]「出口王仁三郎『霊界物語』とキリスト教──キリスト教土着の一事例として」、『人文学と神学』第16号、平成31年(2019年)3月発行、p1-12、東北学院大学学術研究会、{{bib|029655659}}、{{obn|2207}}
  
 
== 令和 ==
 
== 令和 ==
 
+
* [[河原信之]]「出口王仁三郎と船岡妙霊教会物語」、『丹波』第21号、令和元年(2019年)11月発行、p77-94、丹波史談会、{{bib|030182053}}、{{obn|2208}}
 +
* [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命」
 +
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第1回)二〇二〇年と一九二〇年が問いかけるもの」、『三田文学』令和2年(2020年)夏季号、p234-243、三田文学会、{{bib|030559619}}、{{obn|2209}}
 +
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第2回)世直しと言直し」、『三田文学』令和2年(2020年)秋季号、p216-227、三田文学会、{{bib|030697532}}、{{obn|2210}}
 +
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第3回)大正十年の言直し」、『三田文学』令和3年(2021年)冬季号、p222-234、三田文学会、{{bib|031258382}}、{{obn|2211}}
 +
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第4回)大正十年の言直し(2)予言の淵源 承久の乱と日蓮の予言」、『三田文学』令和3年(2021年)春季号、p236-247、三田文学会、{{bib|031420856}}、{{obn|2212}}
 +
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第5回)大正十年の言直し(3)聖苦と笑いの物語戦略」、『三田文学』令和3年(2021年)夏季号、p212-225、三田文学会、{{bib|031608837}}、{{obn|2213}}
 +
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第6回)物語の二相系 分岐する日の語りと月の語り」、『三田文学』令和3年(2021年)秋季号、p262-275、三田文学会、{{bib|031770498}}、{{obn|2214}}
 +
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第7回)関東大震災とモンゴル奇行」、『三田文学』令和4年(2022年)冬季号、p238-249、三田文学会、{{bib|031945038}}、{{obn|2215}}
 +
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第8回)人類愛善と万教同根」、『三田文学』令和4年(2022年)春季号、p216-228、三田文学会、{{bib|032114443}}、{{obn|2216}}
 +
* [[石原和]]「稲荷講社と出口王仁三郎──講社所管教会という視点から(第78回学術大会紀要特集 パネル 近代宗教政策下における「教団」未満の宗教者たち)」、『宗教研究 別冊』第93号、令和2年(2020年)3月30日発行、日本宗教学会、{{bib|031849681}}、{{obn|2217}}
 +
* [[島薗進]]「あなた自身の死生観のために(第6回)罪を贖うスサノオと出口王仁三郎、太宰治」、『一冊の本』令和2年(2020年)10月号、p14-19、朝日新聞出版、{{bib|030679834}}、{{obn|2218}}
 +
* [[佐々充昭]]「大本教の皇道宣揚運動と人類愛善会朝鮮本部の設立 出口王仁三郎と内田良平との提携を中心に」、『立命館文學』第675号、令和3年(2021年)10月号、p281-321、立命館大学人文学会、{{bib|031839368}}、{{obn|2219}}
 +
* [[小野耕資]]「風土と共同体に基づく経済(24)出口王仁三郎の皇道経済論」、『国体文化』第1172号、令和4年(2022年)1月号、p18-21、日本国体学会、{{bib|031892826}}、{{obn|2220}}
  
 
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[[Category:雑誌記事]]
 
[[Category:雑誌記事]]

2024年5月7日 (火) 04:43時点における最新版

雑誌記事一覧は、雑誌に掲載された王仁三郎大本関連の記事の一覧。ただし大本関係機関紙誌に掲載された記事は除く。

大正

  • 中村古峡「連載 余の観たる大本教」、『東亜の光』大正9年(1920年)3月号~、東亜協会、OBN:2008
  • 大山郁夫「社会問題として見たる最近に於ける迷信流行の傾向」、『中央公論』大正9年(1920年)9月号、p63、中央公論社、OBN:2001
  • 境野黄洋(東洋大学長)「知識階級と大本教」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p117~118、博文館、OBN:2002
  • 高島平三郎「教祖出口直子は精神異常者」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p119~122、博文館、OBN:2003
  • 沢田撫松「公平無私のメスを揮って解剖したる疑問の大本教」、『新小説』大正9年(1920年)10月号、p1、春陽堂、OBN:2004
  • 本多日生(大僧正)「我国為政者の覚醒を促す」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p113~117、博文館、OBN:2005
  • 沢田撫松「事実に依って断案を下せる大本教の批判」、『新小説』大正9年(1920年)11月号、p38、春陽堂、OBN:2006
  • 北野博美「大本教を信ずる女」、『女の世界』大正9年(1920年)11月号、p100、OBN:2007
  • 変態心理』第6巻第6号(大正9年(1920年)12月号)大本教追撃号、主幹・中村古峡、発行・日本精神医学会
    • 662頁:一記者「宮飼氏の一文を発展するに就いて」
    • 673頁:宮飼陶羊[1]「余が綾部生活の二年」
    • 725頁:浅羽由三郎「大本教に欺かれた告白」
    • 730頁:「大本教の解剖と西園寺陶庵公」
    • 731頁:高野正明「出口王仁さんと僕」
    • 738頁:白楊生「ペンのしづく ──本誌大本教論の無責任なる受売と沢田撫松氏の愚論」
    • 740頁:真眼生「大正日々新聞を笑ふ ──中村主幹に代りて浅野文学士に与ふ」
    • 756頁:一記者「お筆先の偽文を草案した人」
  • 今村力三郎「大本教の不敬事件と当局者の責任」、『中央公論』大正10年(1921年)6月号、p47~50、中央公論社、NDLOBN:2009霊界物語ネット#
  • 吉野作造「大本教神殿の取毀ち」、『中央公論』大正10年(1921年)11月号、p180-181、中央公論社、NDLOBN:2222
  • 川端康成「湯ガ島温泉」、『文藝春秋』大正14年(1925年)3月号、p7-9、OBN:1941 →単行本『伊豆の旅』(1954年、中央公論社)、中公文庫『伊豆の旅』(1981年)に収録 →「湯本館#川端康成」参照

昭和(19年まで)

  • SKP(特派記者)「綾部探訪記 怪教大本の正体」『実業時代』昭和2年(1927年)11月号(第4巻第11号)、p112-120、実業時代社、OBN:2228NDLDL蔵書
  • 那須皓「牧歌のいななき」(二 大本教主の片影)、『経済往来』昭和3年(1928年)10月号〔3巻10号〕、p273~283、経済往来社、OBN:2010
  • 中河与一「アジアの嵐 後日譚」、『新潮』昭和6年(1931年)1月号、頁未確認、新潮社、OBN:2230 ──中河与一(小説家、歌人)が出口王仁三郎と会った時にソ連映画「アジアの嵐」(日本で昭和5年に公開)を見たかと聞いたら、王仁三郎は、あれは自分の入蒙をヒントにしたのだという意味のことを答えた。当時、王仁三郎が主人公だと噂されていたらしい(『巨人出口王仁三郎』317~8頁)。
  • 大宅壮一「出口王仁三郎訪問記」、『文学時代』昭和6年(1931年)10月号、p46、新潮社、OBN:2011──国立国会図書館デジタルコレクション蔵書『大宅壮一選集 第11(宗教・皇室)』 PID:2967335/1/115p.219、『昭和青年』昭和6年(1931年)12月号pp.47-52に西村保男の筆による「出口王仁三郎と大宅壮一の問答」という記事がある。
  • 宇佐美武吉日本言霊学概論」、『日本及日本人』昭和7年(1932年)1月号、OBN:2196
  • 金王志武哉「大本教団天恩郷秘記」、『人の噂』昭和7年(1932年)5月号、p128、月旦社、OBN:2012
  • 金王志武哉「世界に伸びる出口王仁三郎」、『人の噂』昭和7年(1932年)6月号、p132、月旦社、OBN:2013
  • 「世界紅卍字会と結び、満蒙に活躍する大本教」、『世界公論』昭和9年(1934年)1月1日号、p132、世界連邦公報社、OBN:2014
  • 水原祐「大本教は果して没落したか 怪人出口王仁三郎の正体」、『話』昭和10年(1935年)2月号、p196、文芸春秋社、OBN:2015
  • 千田二郎「大本教教主・出口王仁三郎」、『実業之世界』昭和10年(1935年)9月号、p42-48、実業之世界社、NDLDL蔵書OBN:2224 →加筆訂正して「邪教を裁く」に掲載された
  • 「座談会・怪教大本教を暴く(井上善吉・鳥羽重節・梅原眞隆ほか)」、『サンデー毎日』昭和10年(1935年)12月号、毎日新聞社、OBN:2016
  • M・T・M「大本教検挙とニウス戦 新聞匿名月評」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p132、文芸春秋社、OBN:2017
  • 阿部真之助「妖怪・出口王仁三郎」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p166、文芸春秋社、OBN:2018
  • 高津正道「大本教検挙の考察」、『改造』昭和11年(1936年)1月号、p292、改造社、OBN:2019
  • 大宅壮一「大本教弾圧是非」、『日本評論』昭和11年(1936年)1月号、p577、日本評論新社、OBN:2020
  • 神岡阿矢夫「怪教「大本」を脱出して 一修業者のみたからくり」、『話』昭和11年(1936年)2月号、p20、文芸春秋社、OBN:2021
  • 今村新吉「鑑定余瀝」、『京都医学雑誌』昭和11年(1936年)6月号〔33巻6号〕、京都医学会、OBN:2022
  • 今村新吉「鑑定余瀝」、『京都医学雑誌』昭和11年(1936年)7月号〔33巻7号〕、京都医学会、OBN:2023
  • 今村新吉「鑑定余瀝」、『京都医学雑誌』昭和11年(1936年)8月号〔33巻8号〕、京都医学会、OBN:2024
  • 「出口王仁三郎と大本教の信者達 動脈硬化と歯痛で獄中に悩む生き神様」、『話』昭和12年(1937年)12月号、p330、文芸春秋社、OBN:2025

昭和(20年~39年)

  • 阿部真之助「大本教」、『サンデー毎日』昭和22年(1947年)3月2日号〔26巻10号〕、p14、毎日新聞社、OBN:2026
  • 直方敏「綾部の使徒行状記──続・大本教ものがたり」、『読物時事』昭和22年(1947年)9月1日号〔3巻7号〕、p8~9、時事通信社、OBN:2027
  • 駒沢三郎「女弥次将軍と呼ばれても 哀愁の大石ヨシエ(出口王仁三郎を知る)」、『政界ジープ』昭和22年(1947年)10月1日号〔通巻14号(2巻10号)〕、p29~31、政界ジープ社、OBN:2028
  • 「出口王仁三郎昇天 百万円の葬式」、『週刊朝日』昭和23年(1948年)2月22日号、p9、朝日新聞社、OBN:2029
  • 「喪服の山越え十八里」、『アサヒグラフ』昭和23年(1948年)2月25日号、p10、朝日新聞社、OBN:2030
  • 東大作「出口王仁三郎蒙古行状記」、『真相』昭和23年(1948年)5月1日号〔3巻6号〕、p21、人民社、OBN:2031
  • 「王仁三郎の横顔」、『号外』(?)昭和23年(1948年)5月27日号〔第2集〕、p22、新史書房、OBN:2032
  • 石井純一「宗教界トピック集 王仁三郎亡き後の愛善苑──衣替えした大本教颯爽再建への発足」、『ヒロバ』昭和23年(1948年)8月号〔3巻7号(7.1発行)〕、p12~14、大地社、OBN:2033
  • 「世界平和と人類愛善運動」、『東北公論』昭和23年(1948年)9月20日号〔1巻8号〕、p7~12、東北公論社、OBN:2034
  • いちゐのや(加藤義一郎のペンネーム)「耀盌顕現」、『日本美術工芸』昭和24年(1949年)3月号、51頁(3段組の最下段だけの短い記事)、日本美術工芸社、OBN:2231NDLDL蔵書
  • 「愛善苑」、『創作』昭和24年(1949年)5月1日号〔36巻5号〕、p5、創作社、OBN:2035
  • 「大本教改め愛善苑」、『真相(特集版)』昭和24年(1949年)7月15日号、p21、人民社、OBN:2036
  • 加藤義一郎「ちゃわん抄七 耀盌『天国廿八』─出口王仁師手造茶盌─」、『日本美術工芸』昭和24年(1949年)8月号、23~28頁、日本美術工芸社、OBN:2232NDLDL蔵書
  • 「愛善苑」、『宗教時報』昭和24年(1949年)8月1日号〔3巻6号(7~8月号)〕、p18~22、宗教時報社、OBN:2037
  • 「新興宗教をさぐる──愛善苑の巻」、『村の太陽』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p24、全国新聞情報農業組合連合会、OBN:2038
  • 「王仁三郎師手造の楽焼茶碗鑑賞会」、『大道』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p39、OBN:2039
  • 東山三郎「出口王仁三郎と戦後の大本」、『同盟時報』昭和24年(1949年)11月号〔通号77・78号〕、p44、同盟通信社、OBN:2040
  • 「豪華な遺跡 大本教」、『毎日グラフ』昭和25年(1950年)3月15日号、p8、毎日新聞社、OBN:2041
  • 「出口家その後」、『アサヒグラフ』昭和27年(1952年)12月24日号、p12、朝日新聞社、OBN:2042
  • 「ペンとカメラで…大本愛善苑」、『毎日グラフ』昭和28年(1953年)6月3日号、p6、毎日新聞社、OBN:2043
  • 林逸郎「大本教弾圧のかげに」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)1月号〔32巻16号〕、p116、文芸春秋社、OBN:2044
  • 薄田美朝「大本教攻略記」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)7月号〔32巻11号〕、p87、文芸春秋社、OBN:2045
  • 乾孝松島栄一「教祖列伝 大本教」、『中央公論』昭和29年(1954年)9月号〔69巻9号〕、p188、中央公論社、OBN:2046
  • 唐沢俊樹「大本教手入れの前後──右翼革命の資金ルート遮断」、『信濃往来』昭和30年(1955年)2月号〔第5巻第2号〕、p22-23、信濃往来社、OBN:2221
  • 「グラビア 三五教の世直し行事 神々の戯れ」、『サンデー毎日』昭和30年(1955年)5月8日号、毎日新聞社、OBN:2047
  • 大宅壮一「怪僧・出口王仁三郎」、『文芸春秋臨時増刊風雲人物読本』昭和30年(1955年)6月5日号〔33巻12号〕、p20、文芸春秋社、OBN:2048
  • 青地晨「大本教弾圧事件」、『知性』昭和31年(1956年)9月号〔3巻10号〕、知性社、OBN:2049 →単行本『現代史の曲り角』に収録
  • 山科小四郎「大本教事件」、『サンデー毎日臨時増刊』昭和32年(1957年)2月号、p78、毎日新聞社、OBN:2050
  • 「「福は内、鬼も内」綾部大本教の節分大祭」、『アサヒグラフ』昭和32年(1957年)2月24日号、p20、朝日新聞社、OBN:2051
  • 「三五教騒動記──手玉にとられた沼津市」、『週刊文春』昭和34年(1959年)11月16日号、p34~38、文芸春秋社、OBN:2052
  • 梅棹忠夫「日本探検 綾部・亀岡 大本教と世界連邦」、『中央公論』昭和35年(1960年)3月号〔75巻3号〕、p184、中央公論社、OBN:2053
  • 「われこそは万能宗教 教団「大本」を訪ねる」、『毎日グラフ』昭和35年(1960年)4月17日号、p10、毎日新聞社、OBN:2054
  • 木暮正義「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 1」、『歴史評論』昭和35年(1960年)12月号〔通号124号〕、校倉書房、OBN:2055
  • 木暮正義「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 2」、『歴史評論』昭和36年(1961年)1月号〔通号125号〕、校倉書房、OBN:2056
  • 木暮正義「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 3」、『歴史評論』昭和36年(1961年)2月号〔通号126号〕、校倉書房、OBN:2057
  • 木暮正義「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 4」、『歴史評論』昭和36年(1961年)3月号〔通号127号〕、校倉書房、OBN:2058
  • 前島不二雄「昭和神聖会運動」、『日本史研究』昭和36年(1961年)4月号〔通号54号〕、p66-69、日本史研究会、OBN:2059
  • 芳賀日出男「大本の芸能」、『芸能』昭和36年(1961年)4月号〔3巻4号〕、芸能発行所、OBN:2060
  • 木暮正義「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 5(完)」、『歴史評論』昭和36年(1961年)7月号〔通号131号〕、校倉書房、OBN:2061
  • 野上龍「ある新興宗教の教祖」、『文芸春秋』昭和39年(1964年)7月号、p246、文芸春秋社、OBN:2062
  • 「連載 ひとつの人格(1~3)(出口栄二・著)」、『図書新聞』昭和39年(1964年)7月4日号~18日号、図書新聞社、OBN:2063
  • 黒田領治・他「(座談会)出口直日の陶芸」、『陶説』昭和39年(1964年)12月号〔通号141号〕、日本陶磁協会、OBN:2064
  • 前島不二雄「軍ファシズム運動と大本教」、『日本史研究』昭和39年(1964年)12月号〔通号75号〕、p60-78、日本史研究会、OBN:2065

昭和(40年~55年)

  • 大宅壮一「出口王仁三郎と大本弾圧事件」、『中央公論』昭和40年(1965年)4月号〔80巻4号〕、p429、中央公論社、OBN:2066
  • 勝本清一郎「こころの遠近 大本教と精神医学」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月6日号〔7巻23号〕、p59、朝日新聞社、OBN:2067 →随筆集『こころの遠近』に収録
  • 加藤秀俊「グラビア 昭和史の瞬間 社会不安の反映、大本教」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月27日号〔7巻26号〕、p94、朝日新聞社、OBN:2068
  • 上田正昭「近代宗教としての大本教」、『思想の科学』昭和40年(1965年)9月号〔通号42号〕、p29-36、思想の科学社、OBN:2069
  • 小沢信男「日本教育探検 大本教の青年」、『読書新聞』昭和41年(1966年)1月1日号、p11、OBN:2070
  • 松島栄一「教団大本 そのロゴスと、ミュトス」、『図書新聞』昭和42年(1967年)10月7日号、p1、図書新聞社、OBN:2071
  • 出口京太郎「出口王仁三郎を語る」、『今橋ニュース』昭和42年(1967年)12月号、p4、OBN:2072
  • 新名丈夫「大本事件(上)」、『歴史読本』昭和42年(1967年)12月号、p216、新人物往来社、OBN:2073
  • 末永勝介「日本性ゴウ伝7 恍惚の大教祖・出口王仁三郎」、『宝石』昭和43年(1968年)5月号、p280、光文社、OBN:2074
  • 「突然銀座に躍り出た香港の“紅卍字会” 有名人をトリコにする中国“老祖のお告げ”」、『週刊サンケイ』昭和43年(1968年)11月11日号、p136、扶桑社、OBN:2075
  • 有竹修二「城南閑話 官僚百態「大本教」のこと 明治百年史の一断面」、『国民サロン』昭和44年(1969年)2月号、p51、国際政経調査会、OBN:2076
  • 谷川徹三・他「(座談会)出口直日陶芸展をめぐって」、『三彩』昭和44年(1969年)3月号〔通号241号〕、p60~74、三彩社、OBN:2077
  • 高須令三「怪物・出口王仁三郎─その予言と警告─」、『経済往来』昭和45年(1970年)2月号、p228-242、経済往来社、OBN:2226、(肩書きは「評論家」だが愛知主会幹部で医博の高須令三 →『明星記』参照)
  • 出口栄二「今日に生きる大本の「筆先」」、『中央公論臨時増刊日本の宗教』昭和46年(1971年)7月号〔86巻10号〕、p278~293、中央公論社、OBN:2078
  • 出口京太郎「ブラジル・ハリ・キュウ旅行」、『季刊人類学』昭和46年(1971年)7月号〔2巻3号〕、p192~230、京都大学人類学研究会、OBN:2079
  • 清水雅人「日本の秘密結社(5)弾圧下の新宗教 蓮門教・大本教・ひとのみち」、『伝統と現代』昭和46年(1971年)9月号、p170、伝統と現代社、OBN:2080
  • 小口偉一村上重良「出口王仁三郎と戸田城聖」、『現代の眼』昭和47年(1972年)1月号〔13巻1号〕、p136、現代評論社、OBN:2081
  • 村上重良「近代日本と中国(28)大谷光瑞と出口王仁三郎」、『朝日ジャーナル』昭和47年(1972年)8月18日号〔14巻33号〕、p40、朝日新聞社、OBN:2082
  • 小沢信男「出口王仁三郎──世直し予言の組織者」、『別冊経済評論』昭和47年(1972年)11月号〔通号11号〕、p232、日本評論社、OBN:2083
  • 清水雅人「教祖と夢託 彼岸と此岸との往還の使者 大本教・出口王仁三郎」、『伝統と現代』昭和48年(1973年)1月号、p89、伝統と現代社、OBN:2084
  • 前田トシ子「続女人の書(6)出口なお──大本教開祖のお筆先」、『日本美術工芸』昭和48年(1973年)4月号〔通号415号〕、p62、日本美術工芸社、OBN:2085
  • 「王仁三郎の“耀碗”がパリで評判」、『週刊現代』昭和48年(1973年)4月12日号、p35、講談社、OBN:2086
  • 「宗教団体青年部に「青春とは何か」を問う 第5回 大本」、『プレイボーイ』昭和48年(1973年)4月17日号、p156、集英社、OBN:2087
  • 「出口王仁三郎から生れた正統と異端」、『週刊文春』昭和48年(1973年)5月14日号、p155、文芸春秋社、OBN:2088
  • 佐木秋夫「現代五大教祖烈伝」、『創』昭和48年(1973年)6月号、p144、創出版、OBN:2089
  • 「徹底分析 巨大宗教団体10派の実力者地図 大本教 保守派と進歩が混在」、『週刊大衆』昭和48年(1973年)8月23日号、p32、双葉社、OBN:2090
  • 梅原正紀「弾圧の嵐の中の出口王仁三郎家」、『文芸春秋』昭和49年(1974年)1月号〔52巻1号〕、p236、文芸春秋社、OBN:2091
  • 梅原正紀「経世済民への志向⦿の家(まことのいえ)<民衆宗教の原像(6)>」、『伝統と現代』昭和49年(1974年)1月号、p188、伝統と現代社、OBN:2092
  • 出口京太郎「巨人・出口王仁三郎パリに甦る──大本教祖の芸術作品がなぜこんなにも欧米人の心を捉えるのか」、『現代』昭和49年(1974年)2月号、p251-261、講談社、OBN:2093
  • 「特集2 大本教団」、『季刊現代宗教』昭和50年(1975年)〔創刊号(1975春季)〕、エヌエス出版会、OBN:2094
  • 「パリでプロ扱いされた、ワニサブローの陶器「飛鳥」」、『週刊新潮』昭和50年(1975年)1月2日号、p25、新潮社、OBN:2095
  • 「⦿の家(まことのいえ) 世界連邦の建設をめざす<新宗教の“生き神さま”は語る(6)>」、『週刊大衆』昭和50年(1975年)1月23日号、p38、双葉社、OBN:2096
  • 「紀卍字会「内修・外慈」を説く不思議な修養団<新宗教の“生き神さま”は語る(13)>」、『週刊大衆』昭和50年(1975年)3月13日号、p126、双葉社、OBN:2097
  • 北條明直「王仁三郎の茶わん」、『月刊ペン』昭和50年(1975年)9月号、p105、月刊ペン社、OBN:2098
  • 出口栄二「理論の折り目をつけよう」、『朝日ジャーナル』昭和50年(1975年)10月3日号〔17巻43号〕、p22、朝日新聞社、OBN:2099
  • 「グラビア 現代日本の宗教 各宗派本山・本部 大本教」、『週刊読売』昭和50年(1975年)11月22日号巻頭、読売新聞社、OBN:2100
  • 長尾和郎(評論家)「出口王仁三郎と世直し思想」(連載12 昭和人物史評伝)、『経済往来』昭和51年(1976年)3月号、230~241頁、OBN:2229
  • 飯田良一「宗教弾圧の構造と論理 第二次大本教弾圧から宗教統制体制の確立まで」、『伝統と現代』昭和51年(1976年)9月号、p86、伝統と現代社、OBN:2101
  • 「出口王仁三郎の娘陶芸家・尚江さんの生涯」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)8月18日号、p117、新潮社、OBN:2102
  • 村上重良「特集 妻たちの歴史 出口王仁三郎とその妻すみ」、『伝統と現代』昭和52年(1977年)11月号、p45、伝統と現代社、OBN:2103
  • 「求道集団 鈴鹿山脈の麓に潜む「マルチョンの家」とは」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)11月10日号、p64、新潮社、OBN:2104
  • 「特集 新聞社説に見る昭和事件史 大本教事件」、『流動』昭和53年(1978年)9月号、p64、流動出版、OBN:2105
  • 「大本教・出口王仁三郎は熾仁親王のご落胤!?」、『サンデー毎日』昭和53年(1978年)10月1日号、p172、毎日新聞社、OBN:2106
  • 出口京太郎「なぜ王仁三郎の未来予測が見直されるか」、『現代』昭和54年(1979年)6月号、p368、講談社、OBN:2107
  • 川村邦光「教祖における神がかりの意味をめぐって」、『論集』昭和55年(1980年)12月31日発行〔通号7号〕、東北印度学宗教学会、OBN:2108
  • 出口栄二「日本の近代化と宗教」、『社会科学討究』昭和55年(1980年)3月号〔25巻3号〕、p585~609、早稲田大学アジア太平洋研究センター、OBN:2109
  • 「ミドル・リーダーの実力診断 大本教総長・出口京太郎43才“名門”は甦ったか」、『宝石』昭和55年(1980年)5月号、p208、光文社、OBN:2110
  • 鹿野政直「安丸良夫著「出口なお」」、『歴史評論』昭和55年(1980年)7月号〔通号363号〕、p90~93、校倉書房、OBN:2111
  • 梅原正紀「シリーズ新宗教の実像5 大本信仰に生きた人」、『創』昭和55年(1980年)12月号、p258、創出版、OBN:2112
  • 丸山照雄「宗教界をおおう「天皇制」の影──東本願寺和解と大本教内紛」、『朝日ジャーナル』昭和55年(1980年)12月12日号〔22巻50号〕、p28、朝日新聞社、OBN:2113

昭和(56年以降)

  • 丸山照雄「出口王仁三郎──皇権超克の精神と「大本弾圧」」、『現代の眼』昭和56年(1981年)1月号〔22巻1号〕、p222、現代評論社、OBN:2114NDLDL蔵書
  • 梅原正紀「“大本教内紛”の真相」、『人と日本』昭和56年(1981年)2月号、p96、行政通信社、OBN:2115
  • 有賀龍太「スメラミコト出口王仁三郎」、『天皇制研究』第3号=昭和56年(1981年)2月号、p20、JCA出版、NDLOBN:2225
  • 近藤真男「国家権力との競合を論ず──大本教事件の場合」、『国士館大学政経論叢』昭和56年(1981年)3月号〔通号35号〕、p111、国士館大学政経学会、OBN:2116
  • 出口和明「大本教内紛の現状と改革への途」、『現代の眼』昭和56年(1981年)8月号〔22巻8号〕、p75、現代評論社、OBN:2117
  • 梅原正紀「失敗した大本教の“反乱”」、『人と日本』昭和56年(1981年)8月号、p92、行政通信社、OBN:2118
  • 「巨大教団の財産追及 第13弾 大本ほか「分離騒動」と「財産」の相関を抉る」、『週刊ポスト』昭和56年(1981年)11月27日号、p222、小学館、OBN:2119
  • 「戦後大本教団史の真相を語る」、『民族宗教研究』昭和57年(1982年)第1号、民族宗教研究所、OBN:2120
  • 栗原彬「郷(さと)の立替え立直し──出口王仁三郎」、『日本政治学会年報政治学』昭和57年(1982年)、p177、岩波書店、OBN:2121
  • 川村邦光「スティグマとカリスマの弁証法──教祖をめぐる一考察」、『宗教研究』昭和57年(1982年)〔25号〕、宗教時報社、OBN:2122
  • 寺井美奈子「昇華された恋愛感情──出口なお論」、『思想の科学』昭和57年(1982年)1月号、p15、思想の科学社、OBN:2123
  • 八代誠「骨肉の争い「大本教内紛」教団追放で紛争は泥沼化」、『創』昭和57年(1982年)1月号、p158、創出版、OBN:2124
  • 梅原正紀「大本教を騒がせた造反派のツケ 出口栄二の追放処分」、『人と日本』昭和57年(1982年)2月号、p70、行政通信社、OBN:2125
  • 梅原正紀「大本教を騒がせた造反派のツケ」、『人と日本』昭和57年(1982年)2月号、p70、行政通信社、OBN:2126
  • 出口栄二「近代日本における「信教の自由」と「宗教弾圧」」、『社会科学討究』昭和57年(1982年)7月号〔27巻3号〕、p751~778、早稲田大学アジア太平洋研究センター、OBN:2127
  • 「グラビア 昭和の顔60人 昭和10年」、『週刊文春』昭和57年(1982年)7月1日号巻頭、文芸春秋社、OBN:2128
  • 「巨大教団追及・第47弾 揺れる「PL教団」「大本教」の後継者騒動と財産問題」、『週刊ポスト』昭和57年(1982年)7月30日号、p209、小学館、OBN:2129
  • 橋本信隆「真宗者の大本教批判──伊藤義賢を中心に」、『竜谷大学仏教文化研究所紀要』昭和57年(1982年)11月号〔通号21号〕、p127、竜谷大学仏教文化研究所、OBN:2130
  • 島田一男「現代宗教者に問う 大本教嗣・出口聖子」、『中央公論』昭和58年(1983年)2月号〔98巻2号〕、p194、中央公論社、OBN:2131
  • 出口栄二「強権政治による「近代化」と民衆宗教の対応──大本教弾圧事件の意味」、『社会科学討究』昭和58年(1983年)6月号〔28巻3号〕、p377~412、早稲田大学アジア太平洋研究センター、OBN:2132
  • 栗原彬「民衆にとっての平和──民衆宗教大本の平和思想を緒口に」、『平和研究』昭和58年(1983年)11月号〔8号〕、p121、日本平和学会、OBN:2133
  • 「昭和の手紙 出口王仁三郎・すみの書簡」、『別冊太陽』昭和59年(1984年)6月25日号、p16、平凡社、OBN:2134
  • 尾辻克彦「教祖王仁三郎の精華」、『芸術新潮』昭和60年(1985年)3月号〔36巻3号〕、p64、新潮社、OBN:2135
  • 出口栄二「日本近代における政治と宗教のかかわり──祭神論争を通して」、『社会科学討究』昭和61年(1986年)12月号〔32巻2号〕、p331~364、早稲田大学アジア太平洋研究センター、OBN:2136
  • 薄井篤子「女性教祖の誕生」、『宗教研究』昭和62年(1987年)〔274号〕、宗教時報社、OBN:2137
  • 渡辺雅子「ちりめんの町における大本教の受容と展開」、『明治学院論叢』昭和62年(1987年)2月号〔通号403号〕、p1、明治学院大学、OBN:2138
  • 内藤国夫「神声天眼学会・倉田地久統理 言霊信仰の超過激<人はいま、なぜ新宗教に走るか(2)ふだん着の教祖サマかく語りき>」、『現代』昭和62年(1987年)3月号、p174~176、講談社、OBN:2139
  • 石川明保「中国が発祥 紅卍字会 人類最大の災厄に対処する術とは<日本の霊法集団4>」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)8月号、p42、全貌社、OBN:2140
  • 石川明保「迫りくる終末予言に対抗する日本の霊法集団7 日月神示 日本にもあった世界的予言とは…」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)12月号、p94、全貌社、OBN:2141
  • 「インサイド 新興宗教の老舗「大本教」分裂に見る神々の黄昏」、『週刊サンケイ』昭和63年(1988年)3月3日号、p19、扶桑社、OBN:2142
  • 「「教主VS娘むこ」に信者17万人オロオロ 名門宗教「大本教」で「骨肉の争い」」、『FRIDAY』昭和63年(1988年)3月4日号、p14-15、講談社、OBN:2143
  • 「新興宗教・教祖を悩ます「生臭い暗闘」ついに分裂した名門教団骨肉のゆずらぬ「正統」争い」、『アサヒ芸能』昭和63年(1988年)4月21日号、p121、徳間書店、OBN:2144
  • 野田晴巳「未来帝国・満州の興亡 亜細亜の黙示録 出口王仁三郎満蒙行の謎」、『月ノ光』昭和63年(1988年)6月1日号、p21、東京デガド社、OBN:2145
  • 上之郷利昭「明治・大正・昭和 有名人おもしろまじめ交遊図巻 英文学者の入信で世間の評価を高めた大本教 出口王仁三郎、浅野和三郎」、『歴史読本臨時増刊』昭和63年(1988年)11月5日号、p92、新人物往来社、OBN:2146

平成

  • 四方田犬彦「書評 出口王仁三郎の「霊界物語」の復刊が始まった」、『SPA!』平成元年(1989年)6月21日号、p136、扶桑社、OBN:2147
  • 出口京太郎「大本の健康観とヒーリング(日本民間療法大観)」、『思想の科学』平成元年(1989年)10月号〔通号121号〕、p43~48、思想の科学社、OBN:2148
  • 出口京太郎「致知随想 世界平和を可能にする心」、『致知』平成2年(1990年)1月号、p95、致知出版社、OBN:2149
  • 滝沢誠松本健一「対談 幻の大高麗国と出口王仁三郎」、『知識』平成2年(1990年)4月号〔通号100号〕、p254、彩文社、OBN:2150
  • 栗原彬「変容する社会主義 市民フォーラム・大本教・ネットワーキング」、『朝日ジャーナル臨時増刊』平成2年(1990年)6月20日号〔32巻24号〕、p150、朝日新聞社、OBN:2151
  • 山口文憲「日本ばちかん巡り 第3回 大本 霊界二都物語」、『芸術新潮』平成2年(1990年)9月号、p125、新潮社、OBN:2152
  • 「TEMPO インシデント 亡くなった大本教3代教主「出口直日」の傷跡」、『週刊新潮』平成2年(1990年)10月4日号、p26、新潮社、OBN:2153
  • 平川宗信「第二次大本教治安維持法違反事件」、『別冊ジュリスト 109号 宗教判例百選(第二版)』平成3年(1991年)1月10日号、p232-233、有斐閣、OBN:2154
  • 早川和広「深層追及レポート 宗教界再編の目は立正佼成会、大本、黒住教」、『宝石』平成3年(1991年)2月号、p174、光文社、OBN:2155
  • 「ひかり教会 至恩郷 岡本三典 “芸術家教祖”の遺作を守って<グラビア 平成の教祖たち(16)>」、『アサヒ芸能』平成3年(1991年)4月25日号、p96~97、徳間書店、OBN:2156
  • 川崎喜久子「「大本」教団の成立と活動(1)」、『社会学論叢』平成3年(1991年)6月号〔通号111号〕、p75、日本大学社会学会、OBN:2157
  • アレックス・カー「失われし美を求めて 第8回 大本教の国際部に就職し…」、『新潮45』平成3年(1991年)11月号、p164、新潮社、OBN:2158
  • 松本健一「中山みき・出口なお──神がかりする女性」、『彷書月刊』平成4年(1992年)〔8巻2号〕、弘隆社、OBN:2159
  • 「墓碑銘 大本事件で迫害、拷問を受けた出口日出麿氏」、『週刊新潮』平成4年(1992年)1月16日号、p119、新潮社、OBN:2160
  • 井上順孝「新宗教の解読7 増殖への憎悪」、『正論』平成4年(1992年)5月号、p340、産業経済新聞社、OBN:2161
  • 井上順孝「新宗教の解読8 病のアナロジー」、『正論』平成4年(1992年)6月号、p306、産業経済新聞社、OBN:2162
  • デ二ス・バッド・グレイ「グラビア べトナムの新宗教 カオダイ、ただいま信者300万」、『宝石』平成4年(1992年)8月号、p33~41、光文社、OBN:2163
  • 鎌田東二「評論 大本霊学と内部生命論」『文芸』第31巻第3号、平成4年(1992年)8月、p296~302、河出書房新社、OBN:2227
  • 出口和明「連載 出口王仁三郎 宇宙観講座」『合気ニュース』、平成5年(1993年)~平成7年(1995年)〔95号~100号、102号~106号〕、合気ニュース、OBN:2194
  • 松本健一「書評 日本がわかる100冊 近代日本の「知の遺産」大本教の教祖が説く本 出口王仁三郎「神と倶にある人」天声社」、『月刊ASAHI』平成5年(1993年)1月号、p270、朝日新聞社、OBN:2164
  • 武田崇元「巨人・出口王仁三郎の黙示」、『ムー』平成5年(1993年)2月号〔15巻2号〕、p36、学習研究社、OBN:2165
  • 「ドイモイ(刷新)の進む社会主義国ベトナムで復興著しいカオダイ教とは」、『VIEWS』平成5年(1993年)5月26日号、p119、講談社、OBN:2166
  • 川崎喜久子「「大本」教団の成立と活動(2)」、『社会学論叢』平成5年(1993年)6月号〔通号117号〕、p61、日本大学社会学会、OBN:2167
  • 岡田信子「生きた、愛した、時代をつくった日本を創った女たち 第69回 大本教開祖 出口なお」、『週刊女性』平成5年(1993年)8月17日号、p174、主婦と生活社、OBN:2168
  • 佐高信「男言葉と改憲論」、『世界』平成6年(1994年)2月号、p238、岩波書店、OBN:2169
  • 佐高信「風速計 エスペラント(大本教のエスペラント運動支援)」、『週刊金曜日』平成7年(1995年)4月28日号、p4、金曜日、OBN:2170
  • 原田実「私が出会ったもうひとりの「カリスマ」──武田崇元とオカルト雑誌『ムー』、の軌跡」平成7年(1995年)11月号『宝島30』、p138~147、宝島社、OBN:2171
  • 武田崇元(インタビュー・中島渉)「80年代オカルト一代記!」、『宝島30』平成8年(1996年)1月号、宝島社、OBN:2172
  • 大橋幸泰「安丸良夫著「出口なお」を読む」、『民衆史研究』平成8年(1996年)11月号〔通号52号〕、p16~25、民衆史研究会、OBN:2173
  • 南伸坊能美勉「渥美清とヴィンセント・エドワーズ、ラスプーチンと出口王仁三郎、野口英世とマタ・ハリ」、『太陽』平成8年(1996年)11月号〔34巻12号〕、p149、博文館、OBN:2174
  • 黒羽文明(ジャーナリスト)「宗教法人「大本」弾圧を乗り越え、「人類愛善」を実践」、『政界』平成9年(1997年)8月号、98~102頁、政界出版社、OBN:2233
  • 「(アートニュース)出口すみこの芸術・ほか」、『日経アート』平成11年(1999年)1月号〔12巻1号〕、p69~76、日本経済新聞社、OBN:2175
  • 武田崇元「昭和神聖会と出口王仁三郎」、『福神』平成11年(1999年)12月号〔通号2号〕、p46~56、福神研究所、OBN:2176
  • 武田崇元「平田篤胤から国家神道へ」、『福神』平成12年(2000年)3月号〔通号3号〕、p69~77、福神研究所、OBN:2177
  • 五十嵐太郎「復元思想の社会史(第19回)宗教建築の破壊と創造──大本教の弾圧をめぐって 」、『住宅建築』平成12年(2000年)8月号〔通号305号〕、p158、建築資料研究社、OBN:2178
  • 藤野七穂「偽史源流行(18)反大本運動の中の皇道宣揚会」、『歴史読本』平成13年(2001年)6月号、p220、新人物往来社、OBN:2180
  • 熊田一雄「大本聖師のトランスジェンダー志向を再考する 」、『愛知学院大学文学部紀要』平成14年(2002年)、p1、愛知学院大学文学会、OBN:2181
  • 広瀬浩二郎「人類愛善運動の史的意義──大本教のエスペラント・芸術・武道・農業への取り組み」、『国立民族学博物館研究報告』平成14年(2002年)〔27巻1号〕、p1-24、国立民族学博物館、OBN:2182
  • 津城寛文「国体思想・大本霊学・日蓮主義」、『神道宗教』平成14年(2002年)4月号、p128、神道宗教学会、OBN:2183
  • 森孝一「出口王仁三郎の陶芸について──出口王仁三郎とその一門の作品展より」、『陶説』平成14年(2002年)9月号〔通号594号〕、p46、日本陶磁協会、OBN:2184
  • 藤村耕治「大本と高橋和巳『邪宗門』──現実を峻拒する宗教」、『国文学 解釈と教材の研究』平成15年(2003年)5月号、p93、学灯社、OBN:2185
  • 熊田一雄「大衆宗教と男らしさ──出口王仁三郎の言説から」、『現代のエスプリ』平成16年(2004年)9月号2004年9月号、p163-172、ぎょうせい、OBN:2186
  • 窪田英樹「天皇制に関する研究──大本教典「霊界物語」の神格論を巡る第2次大本事件裁判記録」、『Journal of IOND University』平成17年(2005年)1月号、p193~223、イオンド大学出版局、OBN:2187
  • 兵頭晶子「大正期の「精神」概念──大本教と『変態心理』の相克を通して」平成17年(2005年)6月号(通号344号)『宗教研究』、p97~120、日本宗教学会、OBN:2188
  • 豊嶋泰國「出口王仁三郎 超凡の巨人か「怪物」か」、『歴史読本』平成18年(2006年)3月号、p130-136、新人物往来社、OBN:2189
  • 牧野史敬「出口王仁三郎の霊界に学ぶ」、『アネモネ』平成18年(2006年)4月号、p42-43、ビオ・マガジン、OBN:2190
  • 「出口王仁三郎・すみ 信仰と弾圧の狭間で(総力特集 「功名が辻」もびっくり! 明治・大正・昭和 13の有名夫婦「怪」事件簿)」、『新潮45』平成18年(2006年)4月号、p42-44、新潮社、OBN:2191
  • 出口信一「イラン・ダマバンド山平和祈念祭典を奉仕して 「文明の衝突」から「文明の融和」への転換をめざす八岐大蛇退治を!」、『月刊日本』平成18年(2006年)7月号、p38-45、K&Kプレス、NDLOBN:2223
  • 出口信一「「文明の共存」実現への鍵を持つ「日本的神観」の再認識を」、『月刊日本』平成18年(2006年)11月号、p86-91、K&Kプレス、OBN:2192
  • 出口信一(解説)「みやびのことば」、『アネモネ』平成19年(2007年)3月号、p20-21、ビオ・マガジン、OBN:2193
  • 鎌田東二「柳宗悦と宮沢賢治と出口王仁三郎における宗教と芸術」、『京都造形芸術大学紀要』第12号、平成19年(2007年)発行、p128-138、NDLOBN:2197
  • 早瀬圭一「出口王仁三郎──世界平和を目指した満州の地で、張作霖に裏切られた一行の運命は?(特集 石原莞爾と満洲帝国)」、『歴史読本』平成21年(2009年)9月号、p134-137、NDLOBN:2198
  • 吉永進一「大正期大本教の宗教的場──出口王仁三郎、浅野和三郎、宗教的遍歴者たち」、『舞鶴工業高等専門学校紀要』第45号、平成22年(2010年)3月発行、p69-80、NDLOBN:2199
  • 上本雄一郎「出口王仁三郎のユーモア──その作品と「屁」」、『国文学』平成22年(2010年)5月号、p81-89、NDLOBN:2200
  • 坪内隆彦「日本文明の先駆者(31)興亜陣営とともに理想郷建設の夢を描いた宗教家 出口王仁三郎」、『月刊日本』平成22年(2010年)6月号、p84-91、ケイアンドケイプレス、NDLOBN:2201
  • 三浦小太郎「近代の闇 闇の近代(第7回) 出口王仁三郎と大本教弾圧」、『月刊日本』平成24年(2012年)4月号、p56-61、ケイアンドケイプレス、NDLOBN:2202
  • 執行草舟「Shigyo Sosyu Collection 憂国の芸術(第3回)国士の涙 頭山満・出口王仁三郎」、『正論』平成26年(2014年)4月号、p14-17、産経新聞社、NDLOBN:2203
  • 水内勇太「皇道大本の思想と行動 皇道大本前史(特集 日本宗教史像の再構築 トランスナショナルヒストリーを中心として 近代日本宗教史における〈皇道〉のポリティクス)」、『人文学報』第108号、平成27年(2015年)発行、p85-96、京都大学人文科学研究所、NDLOBN:2204
  • 鎌田東二安藤礼二「討議 隠された神々の世界を求めて 折口信夫と出口王仁三郎から(総特集 神道を考える)」、『現代思想』平成29年(2017年)2月臨時増刊号、p54-71、青土社、NDLOBN:2205
  • 徐玄九「昭和維新運動 大本教・出口王仁三郎を中心に」、『専修人間科学論集 社会学篇』第8号、平成30年(2018年)3月発行、p53-64、専修大学人間科学学会、NDLOBN:2206
  • 川島堅二「出口王仁三郎『霊界物語』とキリスト教──キリスト教土着の一事例として」、『人文学と神学』第16号、平成31年(2019年)3月発行、p1-12、東北学院大学学術研究会、NDLOBN:2207

令和

  • 河原信之「出口王仁三郎と船岡妙霊教会物語」、『丹波』第21号、令和元年(2019年)11月発行、p77-94、丹波史談会、NDLOBN:2208
  • 鎌田東二「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命」
    • 鎌田東二「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第1回)二〇二〇年と一九二〇年が問いかけるもの」、『三田文学』令和2年(2020年)夏季号、p234-243、三田文学会、NDLOBN:2209
    • 鎌田東二「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第2回)世直しと言直し」、『三田文学』令和2年(2020年)秋季号、p216-227、三田文学会、NDLOBN:2210
    • 鎌田東二「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第3回)大正十年の言直し」、『三田文学』令和3年(2021年)冬季号、p222-234、三田文学会、NDLOBN:2211
    • 鎌田東二「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第4回)大正十年の言直し(2)予言の淵源 承久の乱と日蓮の予言」、『三田文学』令和3年(2021年)春季号、p236-247、三田文学会、NDLOBN:2212
    • 鎌田東二「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第5回)大正十年の言直し(3)聖苦と笑いの物語戦略」、『三田文学』令和3年(2021年)夏季号、p212-225、三田文学会、NDLOBN:2213
    • 鎌田東二「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第6回)物語の二相系 分岐する日の語りと月の語り」、『三田文学』令和3年(2021年)秋季号、p262-275、三田文学会、NDLOBN:2214
    • 鎌田東二「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第7回)関東大震災とモンゴル奇行」、『三田文学』令和4年(2022年)冬季号、p238-249、三田文学会、NDLOBN:2215
    • 鎌田東二「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第8回)人類愛善と万教同根」、『三田文学』令和4年(2022年)春季号、p216-228、三田文学会、NDLOBN:2216
  • 石原和「稲荷講社と出口王仁三郎──講社所管教会という視点から(第78回学術大会紀要特集 パネル 近代宗教政策下における「教団」未満の宗教者たち)」、『宗教研究 別冊』第93号、令和2年(2020年)3月30日発行、日本宗教学会、NDLOBN:2217
  • 島薗進「あなた自身の死生観のために(第6回)罪を贖うスサノオと出口王仁三郎、太宰治」、『一冊の本』令和2年(2020年)10月号、p14-19、朝日新聞出版、NDLOBN:2218
  • 佐々充昭「大本教の皇道宣揚運動と人類愛善会朝鮮本部の設立 出口王仁三郎と内田良平との提携を中心に」、『立命館文學』第675号、令和3年(2021年)10月号、p281-321、立命館大学人文学会、NDLOBN:2219
  • 小野耕資「風土と共同体に基づく経済(24)出口王仁三郎の皇道経済論」、『国体文化』第1172号、令和4年(2022年)1月号、p18-21、日本国体学会、NDLOBN:2220
  • 宮飼陶羊は『神霊界』大正6年(1917年)4月号~9月号に連載された「桑の葉の茂る頃」の著者・宮飼慶之と同一人物のようである。