「綾部」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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2023年11月28日 (火) 03:36時点における版

綾部(あやべ)は、出口直によって大本が開教された町。大本の二大聖地の一つ「梅松苑」がある。綾部と呼ばれる範囲は時代によって変遷し、出口直・王仁三郎の在世中は京都府何鹿郡綾部町だったが、現在は何鹿郡のほぼ全域が合併し綾部市になっている[1]

綾部の範囲

【図1】江戸時代の綾部12村の位置を明治44年の地図にプロットした図。
【図2】大正9年(1920年)の綾部町の区域。
【図3】『何鹿郡誌』(京都府教育会何鹿郡部会・編、大正15年(1926年)7月15日発行)巻末に収録されている「何鹿郡全図」。
【図4】昭和25年(1950年)の綾部市の区域。
【図5】昭和30年(1955年)の綾部市の区域。
【図6】昭和35年(1960年)の綾部市の区域。

大本関係文献に登場する「綾部」の領域は時代によって次の四段階あると言える。(「#歴史」の年表参照)

  • 明治22年以前の「綾部」は【図1】を参照。江戸時代の綾部町・綾部村の領域[2]。了円寺から現在の広小路通り、ITビルの辺りを中心とした地域。新宮や坪内は別地域になる。
  • 明治22年から昭和25年までの「綾部」は【図2】【図3】を参照。山家や八田は別地域。
  • 昭和25年から昭和30年までの「綾部」は【図4】を参照。
  • 昭和30年以降の「綾部」は【図5】【図6】を参照。

戦前の文献に出る「綾部」とは【図2】【図3】の地域である。

歴史

  • 天保11年(1840年)に農政学者・佐藤信淵(さとう のぶひろ)が著した「巡察記」によると、綾部組(綾部郷)には次の12の村があった。[3]
    • 綾部村、坪内村、田野村、寺村、野田村、新宮村、神宮寺村、井倉村、井倉新町、青野村、中村、味方村
  • 明治9年(1876年):坪内村新宮村が合併し本宮村が誕生。[4]
  • 明治14年(1881年):綾部村と本宮村の町分(繁華街)[5]が分離し、綾部町と本宮町が誕生。[4] [6]
  • 明治15年(1882年):中村が綾中村に改称。[4] [7]
  • 明治22年(1889年)4月:町村制施行により次の13町村が合併して綾部町が誕生する。[8]
    • 綾部町、綾部村、本宮町、本宮村、野田村、味方村、青野村、井倉村、井倉新町、神宮寺村、綾中村、寺村、田野村
  • 明治25年(1892年)2月:出口直に艮の金神が神懸かり大本が開教。
  • 明治29年(1896年)8月:郡是製糸(グンゼ)が創業。
  • 明治30年(1897年)2月:郵便局で電信(電報)が開通する。[9] [10] [11]
  • 明治42年(1909年)11月:電話が開通。[12] [11] [13]
  • 大正元年(1912年):電灯が点く。[14] [15]
  • 大正6年(1917年)11月16日:貞明皇后が綾部に行啓。上野の蚕業試験場と、郡是製糸を視察。[16] [17] [18]
  • 昭和4年(1929年)6月:綾部大橋が竣工。工費13万円。[19]
  • 昭和25年(1950年)8月:隣村と合併して綾部市となる。
  • 昭和25年(1950年)10月:大本の影響で、日本で初めて世界連邦都市宣言を行う。(二番目は亀岡市)
  • 昭和30年(1955年)4月:さらに隣村が合併。
  • 昭和31年(1956年)9月:さらに隣村が合併し、何鹿郡が消滅する。
  • 平成12年(2000年)2月:大本の影響で、エルサレム市と姉妹都市の提携。

鉄道

  • 明治37年(1904年)11月3日:綾部駅開業。福知山駅~新舞鶴駅(現在の東舞鶴駅)間が開通。
  • 明治43年(1910年)8月25日:園部駅まで開通していた京都線(現在の山陰本線)[20]が綾部駅まで延伸する。日吉駅・胡麻駅・和知駅・山家駅が開業する。

〔参考〕

地理

周囲を山に囲まれた福知山盆地にあり、町の中心部、梅松苑の横を由良川が流れている。

古代

古代は丹波国漢部(あやべ)郷と呼ばれていた。機織りの漢部[21]が住んでいたことに由来する。

江戸時代は綾部藩があり、熊野水軍で有名な九鬼氏が藩主だった。

参考文献

  • 『綾部市史』(全3冊)何れも綾部市史編さん委員会・編、綾部市役所・発行。
    • 上巻:昭和51年(1976年)3月発行。
    • 下巻:昭和54年(1979年)3月発行。
    • 史料編:昭和52年(1977年)1月発行。
  • 『綾部町史』昭和33年(1958年)6月、綾部町史編纂委員会・発行。
  • 『何鹿郡誌』大正15年(1926年)7月、京都府何鹿郡教育部会・発行。
  • 『角川日本地名大辞典 26 京都府』上巻・下巻、昭和57年(1982年)7月、角川書店・発行。

大本の聖地・霊地

神社・寺院

地名

旧綾部町内

その他

関連資料

  • 国立国会図書館デジタルコレクション蔵書『丹波の話』 PID:9542981 礒貝勇・著、昭和31年(1956年)、東書房

関連項目

外部リンク

脚注

  1. 佐賀村の西部は福知山市に編入された。『綾部市史 上巻』p6:「西部の山野口・印内・報恩寺・下私市は福知山市へ、東部の上私市・小貝・石原は綾部市に編入された」
  2. 綾部町とはもともと綾部村の繁華街(城下町)の部分。
  3. 『綾部市史 史料編』p603
  4. 4.0 4.1 4.2 『綾部市史 下巻』p26
  5. 町分(まちぶん)…町分 - コトバンク
  6. 『綾部市史 下巻』p26では「明治十四年には綾部村から綾部町が、本宮村から本宮町が分離した」とあるが、『綾部町史』p147には「明治十一年綾部村を割いて綾部町を、本宮村を割いて本宮町を置いた」とあり、14年ではなく11年になっている。また『何鹿郡誌』p221では「明治十一年第一区綾部村、本宮村を綾部町、本宮町と改称し」とあり、分離ではなく改称だとしている。ここでは最新の史料である『綾部市史』に基づくことにした。
  7. 何鹿郡内に同名の「中村」が3つあった(綾部、小畑、東八田)ため、綾部地区の中村は綾中村に、東八田地区の中村は中山村に改称した。
  8. 『綾部市史 下巻』p39
  9. 『綾部市史 下巻』p193:「綾部郵便局ではじめて電報が取り扱われたのは、明治三十年二月に(略)」
  10. 『綾部町史』「附録 綾部町史年表」p358の明治30年の項に「郵便局に電信開通す」とある。
  11. 11.0 11.1 『何鹿郡誌』p471、473によると、綾部の郵便局(この当時は郵便局で電話業務が行われていた)で明治30年(1897年)から電報事務が、明治43年(1910年)から電話交換が行われるようになった。ウィキペディアの情報によると、綾部郵便局は明治30年2月11日に綾部郵便電信局に改称している。綾部郵便局 - ウィキペディア
  12. 綾部町では42年11月25日に開通したが、何鹿郡の他の地域では43年3月25日に開通した。『綾部市史 下巻』p191:「明治四十三年三月二十五日に全部完成し(略)綾部町は(略)四十二年十一月二十五日に開通し」
  13. 町史年表p360には、明治41年(1908年)に「綾部福知山間に電話開通す」、翌42年に「綾部郵便局で電信取扱を開始す」とある。
  14. 町史年表p360
  15. 『綾部市史 下巻』p369:「明治四十五年に綾部町に電燈が入ってから」
  16. 『綾部町史』p178。
  17. 町史年表p361には6月11日に「皇后陛下行啓あり」とあるが、日付が間違っている。
  18. 『綾部市史 下巻』p328
  19. 町史年表p363
  20. 明治32年(1899年)8月15日に亀岡駅・八木駅・園部駅が開業している。
  21. 「漢部」とは渡来人の漢氏(あやうじ)が管理していた部民。